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74613中谷京華 HP 2007/11/01 08:33
内12



朝の訪れとともに
体内時計が
促され
目覚めていく
意識




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No.74615 2007/11/01 09:22 山田武秋
私の場合、早朝野球が体内時計のバランスを整えてくれているようです。




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No.74621 2007/11/01 11:44 田上洋治
京華さん、こんにちは。この所朝起きて朝食後のジョッギング、ウォーキングが、楽しみの一つになっています。今日はその後道場で一人、審査に備えて空手の型のおさらいをしました。頑張っている自分が好きです。




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No.74640 2007/11/02 09:49 中谷京華
山田さんも田上さんもそれぞれ、体調管理をしっかりされているんですね。
私は早起きは今ひとつ苦手ですが、そうも言ってはいられない現況ですし、日々自己管理に励もうと思います。

74610会津太郎メール 2007/11/01 08:14
前作を推敲して(雑誌「五行歌」12月号の投稿締めきりが迫っているので、前作を推敲しながら検討中)



私の犬が
一番可愛いのは
芸を見せる姿ではなくて
野原を自由に駆け回り
そして戻って来る姿




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No.74612 2007/11/01 08:32 中谷京華
生き生きとした視点を四行めでくっきりと描いていることで、五行めの安堵感もよりあたたかく伝わるように思いました。




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No.74620 2007/11/01 11:37 田上洋治
会津さん、こんにちは。芸術に志しを持つ人にとってはことのほか、「自由」特に「精神の自由」こそが最重要な価値だろうと思います。「和して同ぜず」、大切にしてゆきたいです。




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No.74635 2007/11/01 23:50 会津太郎
愛する者が自由になって自分から離れていってもいいのか、それとも帰って来た方がいいのか、そしてそれが自分のためなのか相手のためなのか、うーん、迷いますね。

74609木の花 2007/11/01 00:35
内・11  見えすぎ、聞こえすぎは、少し恐ろしくもある。



目を瞑れば
内なる世界が
広がる
内なる声が
聞こえてくる




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No.74611 2007/11/01 08:22 中谷京華
内なる世界、内なる声からは自分の確かな思いが導かれ、未来へと向かう一歩の方向付けとして働きかける側面があるように思います。
内心の思いに立ち止まる意識が伝わる歌だと思いました。

74602山田武秋 2007/10/31 02:20
内・10 地球の質量が迫ってくる感じに圧倒されました



外輪山の
内側から眺めた
阿蘇の風景は
ずっしりと
地球の重さが感じられた




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No.74604 2007/10/31 11:33 会津太郎
山田さん、外輪山の内側が地球の重さという発想が独創的で心を動かされました。ただ1点だけ、疑問を感じるんですが、ちょっとだけ質問させていただけないでしょうか。それは、たいへん恐縮なんですが、5行目の「・・・が感じられた」ですが、この表現はエッセイの文体というか散文の文体のように私には思えるんですが、いかがなもんでしょうか。5行歌であれどんな詩歌であれ、詩歌の最後が「・・・が感じられた」あるいは「・・・と思う」という
表現は、感じられた内容や思われた内容を表現することが詩歌なのに、あえてそれを言葉にする必要があるのかなあ、もっと言えば詩歌の文体を緊密にし、余韻を出すために詩歌ではそれを省略すべきではないのかなあ、などと手前勝手ながら思いましたが、いかがなもんでしょうか。でもこの感じ方は私の個人的な手前味噌かもしれませんので、貴兄の考え方を教えていただければ、詩歌についての私の思いを深めていくためにたいへん参考になると思いますので、なにとぞよろしくお願いいたします。




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No.74605 2007/10/31 19:59 山田武秋
会津さん、どうもありがとうございます。ご指摘の通りです。ただ、私の場合ですが「挨拶通り」では、「挨拶五行歌」と割り切っており、大半は歌と言うより、交流のためのメッセージといった気持ちで書いています。それは「日本新聞」を舞台に和歌の革新運動を展開した陸羯南、桂湖村、子規、天田愚庵ら歌友が好んで交わした贈答応酬の歌と同じようなものと考えていただければよいかと思います。ただし、それはあくまで私の場合であって、作品発表の場として投稿されたり、その他いろいろあってよいと思います。

それはそれとして、一般論して「散文」と「詩歌」の文体の違いをどう考えるかは、面白い議論だと思います。例えば今でも漢文の読み下し調でなければ詩歌ではないと思っている人もいますし、散文を五行や五七五七七にしたようなうたもあります。わたしはどちらかといえば散文で表現する「詩歌」を志向していますが、最近は「古語」「文語」にも捨て難い味があると思っています。「うれひ」「いふ」など、旧かなにも魅力を感じます。もともと、現代仮名遣いといっても、能もあれば歌舞伎、浄瑠璃もあり、新派、新劇、ミュージカルから大衆演芸まで重層的に楽しめるのが日本の文化の特長ですから、文体はいろいろあってよいし、いろいろな試みがあっても良いと言うのが、私のスタンスです。

問題は「思い」や「感じ」というのはその言葉自体は百万遍叫んでも掛け声ほどの意味しかなく、会津さんのおっしゃるように、人が感動するのは「感じられた内容や思われた内容」だということです。「思い」の内容、対象が明確でないものは、詩歌以前に、文章として訴える内容が何もありませんよね。また、「うたは感性だ」と言ってしまっては、そのあとの進歩はありません。それで全てがお終いですから。感性のみで、新しい精神文化を創造することなど不可能です。
ただ、文章としては未完成でも、同じ精神・文化を共有する仲間の中では、読み手が勝手に未完成を完成品に見繕って鑑賞するケースが多々あります。実は、短詩型文学の大半はこのように固有の精神文化に依存した文学ではないかと思います。新しい思想、新しい哲学をたった五行で表現できるはずもありません。西行も芭蕉も、儒仏の背景なしに鑑賞することは不可能です。
しかし、五行歌はあくまで妥協なく新しい思想、哲学に基づいた詩歌を目指します。それは既成の精神文化に依存するのではなく、新しい精神文化を創造する行為ですから、既存の精神文化に依存した未完成な詩歌に満足することはありません。

では、新しい精神文化とは何か。それは私には分かりませんが、手がかりとしては「共生」ではないかと考えています。「自然との共生」「人類の共生」「命の共生」。こういったものを目指す思想・哲学の創造ではないのかと。実は「戦争」というものを深く考えていくと、その問題に突き当たります。残念ながら、現在の自由主義も、完全に戦争を排する哲学ではありません。
「戦争」でもよいし「自己とはなにか」でもよし、「存在とはなにか」「表現とはなにか」でもよい。突破口は各人、いろいろあるでしょうが、まず、既存の精神文化を疑う。既存の「感性」を拒否する。仏教は、親子の情愛、死の恐怖すら超えた教理を説くことで新しい文化を創造しました。新しい精神文化を創造するということは、そこまで厳しいものだと、私は考えています。
長くなって、すみませんでした。よいテーマを頂いた会津さんに感謝いたします。




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No.74607 2007/10/31 23:23 会津太郎
山田さん、丁寧で長文に渡るお答、ありがとうございます。真実を追究するために、こういう意見交換がしょっちゅうなされることは、私にとって大変うれしいことです。それは他人の意見を自分の意見に引き寄せることを目指すのではなくて、お互いの意見を尊重しながら、自分の間違いは素直に認め合いながら、しかし自分の意見が正しいと思えば徹底的に自己主張していく、そんな姿勢でこれからも臨みたいですね。その究極の目的は、仲間関係の維持ではなくて、真実の追求でしょうか。
そんな視点に立ちますと、山田さんが書いた『「戦争」でもよいし「自己とはなにか」でもよし、「存在とはなにか」「表現とはなにか」でもよい。突破口は各人、いろいろあるでしょうが、まず、既存の精神文化を疑う。既存の「感性」を拒否する。仏教は、親子の情愛、死の恐怖すら超えた教理を説くことで新しい文化を創造しました。新しい精神文化を創造するということは、そこまで厳しいものだと、私は考えています。』という意見には大賛成です。五行歌が俳句や短歌と違って、マイトアンドパワーの上下関係を排し、お互いの意見を対等に尊重しながら、真実だけを追究していくなら、まさに山田さんのおっしゃる通りだと私も思います。それは禅の教えにあったと思いますが、親に会っては親を殺し、師に会っては師を殺し、そして仏に会っては仏をCENSORED、という境地でしょうか。それはあらゆる権威を否定して、ただ真実だけを追究していく、という境地でしょうか。そんな境地を目指しながらこれからも精進していきたいと思いますので、何とぞよろしくお願いします。これからもお互いに忌憚なく意見交換をしながら、お互いの思いを深め、普遍的な真実を追究していこうではありませんか。どうもありがとうございました。




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No.74616 2007/11/01 09:48 山田武秋
会津さん、こちらこそどうもありがとうございます。考え方、感じ方は、百人百様あって当然ですよね。その百人百様の考えを持ったものがどのように共存していくかが、これからの課題だと思います。禅やタオイズム、そして八百万神などが、渾然一体となって日本人の精神文化の深層を形成しています。そこを突破して、新しい精神文化を創造しようというのだから、絶望的にたいへんです。でも、手がかりがないわけではない。タオイズムや八百万神や禅にも、不備はある。というか、時代がすでに凌駕しているのかもしれない。その尻尾をどうとらえるか、いまはそういう時代だと思っています。想像力と想像力の働かせ時だと思っています。これからもよろしくお願いいたします。

74600木の花 2007/10/31 00:58
機械に振り回されている感じ。帰り際にコピーを頼まれたのは良いけれど、さて困った・・・



両面コピー
ホチキス止め等
便利な機能の調子が狂い
帰りたくても帰れない
この不便さ

74599たかなお 2007/10/31 00:15
そりゃないよ!橋本病のせいだと諦めていたのがこんな大病になるなんて。



名詞の
肩書きみたいに
ずっしりとのし掛かる
睡眠時無呼吸症候群という
認めたくない容疑

74595会津太郎メール 2007/10/30 22:50
今まで食べたイカの塩辛の中で、まったりとして一番おいしかったです。今年の冬は私も挑戦!



店で買うよりも
味わい深い
男友達が作ってくれた
塩辛くない
いかの塩辛




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No.74608 2007/10/31 23:38 会津 太郎
冷凍イカをお薦めのレス、ありがとうございました。発酵食品はお店で買う場合はどうしても日保ちをよくするために塩分をきかせているので、塩辛くなり、食べてまずいですね。うまみを出して塩辛くならないようにするためには、塩分を減らし、自分の家ですぐ食べてしまうしかありません。つまり、おいしい発酵食品は自分の家で作るしかない、というのが私の結論です。時間がたてばまずくなるんです。だから塩辛も漬物も自分の家で自分たちの味に合った物を作るしかないと思いました。まずはイカの塩辛、そして白菜の漬物も今年の冬の目標なんです。ところで今夜のカワハギの肝のタレにつけた刺身、白ワインと相性が良くて最高でした!

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