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74661山田武秋 2007/11/03 10:41
(No Subject)



神について
真剣に語る
こんなことをできる世界が
他にあるだろうか
この「信」は深い




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No.74662 2007/11/03 13:01 会津太郎
「神」以外に私達人間は「信」「真」「思い」「愛」「情け」などいろいろなものを自分の最高の価値としながら生きているんでしょうね。でもその価値の中身は何なのか、五行歌を通しながらその最高価値の中身を追求していきたいですね。
そして自分の心の中の最高価値は人それぞれ違って当然ですから、その違う最高価値をお互いに非難せずに、その違う最高価値にお互いに敬意を払いながら、その最高価値を尊重し合って生きたいですね。それが日本の五行歌人の人間関係だけではなくて、世界五行歌人の人間関係の基本になってほしいなあと私は思うんです。言うは易く、行なうは難しいですが、やるっきゃないでしょうね。




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No.74664 2007/11/03 17:52 きなこ
五行歌を通して、神についてなど、価値観を語り合う、とても深く、広い語り合いだと思います。この掲示板を活用して頂け、嬉しいです。
この歌、五行歌を詠う人の純粋さを感じます。5行目が効いてます。




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No.74668 2007/11/03 19:37 えんた
 私は海外でも、そんな調子で宗教のことはよく話します。はっと気がつくと宗教関係者だったりしますが、徹底して話すことはいいことだと思います。
 自分の考えを強制さえしなければ。
 私は、アメリカのヒーラーたちを説得してしまいたいです。ほんとうのところを聞くのが恐い、というように彼らは感じているかもしれません。
 どうも違っていると思うのですが、彼らの場合、それが仕事になっているので、仕事を壊されたくないと思うようです。




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No.74672 2007/11/03 23:46 木の花
 山田さん、えんた先生の歌への長文のレス、読ませていただきました。人間は絶対的な存在ではありません。どんな人間も、完全に信じ切ることは不可能と思っております。それが人間だとも。しかし、苦難の時、依り頼む存在、絶対的な存在が自分と共にいてくれることを、自分を支配してくれる存在を求めます。自分一人で肩に力を入れて強くあろうとしましたが、私にはそれは結果的に出来ませんでした。むしろ、弱い自分が居続けたと言えるでしょう。自分の弱さを受け入れたとき、完全に自分を明け渡したとき、強さを得られたような気がしました。
 宗教の奥が深いことを知れば知るほど、私は絶対者に対して謙虚にされていくようになりました。広大な宇宙の中での、このちっぽけな自分も捕らえてもらっていると思えば、生かされていることに感謝せずにはいられません。そこから、自ずからどう生きるかが出てくるような気がします。生かされていることへの感謝の生き方、そうありたいと思うのです。
 真面目に意見を交換できる、このサイトに感謝します。




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No.74698 2007/11/05 01:12 山田武秋
えんた先生、きなこさん、会津さん、木の花さん、どうもありがとうございました。
「神」の話題はタブーとされがちですが、お互いに尊重しあっていれば、立場は違っても、実りの多いお話ができますね。

74658えんた 2007/11/03 05:35
たまたま木の花さんの歌の次になりましたが、神を言う人は人を支配しようとする人、としか思えない私です。



勝手に殺したり
生かしたりする
自然と接して
神を想定したのは
人を支配しようとした人だろう




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No.74659 2007/11/03 09:51 木の花
 えんた先生、おはようございます。この歌、私の歌へのレスととりました。ありがとうございました。
 いろいろな考えがあります。それでいいのだと思います。苦難の時、神を否定していました。神を受け入れたのは、それから大分経ってからでした。トゥルニエ著の『強い人 弱い人』という訳本を読んで、肩の力が抜けたときでした。結局は、ここに立ち帰るのだと思い、受け入れました。植物に回帰するのと同じような感覚でした。26歳か27歳の時です。




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No.74660 2007/11/03 10:24 山田武秋
神の問題については、支配者が民を「支配」するために利用したという側面もあるでしょうが、支配者自らが熱心な崇拝者として広めたという側面も見のがせないと思います。そこで、神(特定の宗教の神ではなく)については、私は「自己の認証」の問題であろうと考えております。神の問題は、歌の理解に欠かせないと考え、1年ほど前に白堊歌会のミニ講座で扱ったことですが、この問題をフーコーが「監獄の誕生」の中で紹介したパノプティコンの監獄」モデルで考察したことがあります。「パノプティコンの監獄」では、各個人は独房に入れられて、中央の部屋にいる監視者から24時間、常に監視されています。そして監視者から各個人は見えますが、個人の側からは監視者の姿はみえません。従って、監視者が常にいるかいないか分からないのですが、常に監視されていると思い込ませることで、効率的に管理することができるというものです。

このモデルにそって考えれば、えんた先生がお考えのように「神」は「支配」のシステムそのものとなるのですが、問題は人間は、監視者がいなくってもアイデンティーが保てるかどうか、ということです。人間は一方で、自分の行いはだれかが見ていようがいまいが、「すべてお見通し」である、ということを自明にして成り立っています。言葉や感情、文化、哲学、心といったすべてが、「だれか知っていてくれる。自分のことをすべて知っていてくれるものがある」ということの前提に成り立っていると思います。それが「パノプティコンの監獄」における「神」のもう一つの重要なポイントだと思っています。このことは、逆に、みんなが同じ監視者によって、等しく平等に監視されてるという保障にもなって、アイデンティティーのシステムとしても機能するということにもなります。監視者が「人間の王」では、酷いえこひいきや差別、気まぐれ、不正、眼が行き届かない問題などが多発することは眼に見えており、それではとても「支配」はできません。自分をふくめて、人間は人間をそこまでは信じることができない。「王」も「奴隷」も同じ監視者によって、平等に24時間、心の中さえもらざず監視し、記憶してくれる装置。事実は事実として変えることはできない、真実はかならずだれかが見ていて、分っていてくれる。そういった人間を超えた大いなる何か、それが「神」ではないかと考えます。

「パノプティコンの監獄」モデルは、神の存在証明ではなく、神の不在を示唆するモデルでもあるわけで、えんた先生の説を裏付けるひとつの論拠ともなりますが、しかし、やっかいなのは、現代人は「神」の不在を見破ったあとに、その位置に「自己を監視=24時間自己を見守ってくれるもの」としてさまざまな「監視者」を持ち込んだことです。たとえば「自己」。「もうひとりの自分」というようなものですね。あるいは「神」の変わりに「自然」や「哲学」を持ってくることもあります。タオイズムや、禅などでしょう。「太陽」をもってくれば、素朴なアミニズムになりますし、「言葉」や「真理」を入れたがる人もいるでしょう。
いちばん酷いのは、この位置に「恋人」や「親」「家族」「友人」「会社」を持ってくることです。「わたしの全てを知って欲しい」とか、「会社にすべてを捧げる」というのはこういう構図だと思います。
最近、親殺し、子殺し、恋人殺しが多く、いともかんたんにこういった犯罪が起こるのは、本来は「神」に監視されていた(見守っってもらっている)ことを、恋人や親や友人に期待し、それが裏切られたとき(もともと無理スジな欲求だとおもいますが)、自己が全否定されたと思い、逆上して殺人にいたる、という構図ではないのか。「パノプティコンの監獄」モデルは、そんな現代人の荒んだ心、貧しさをも示唆してくれています。

このように「パノプティコンの監獄」モデルは、「支配」のモデルでもあり、「自己認証のモデル」をも表わしているということです。「神」=人間を24時間見守るもの=は、「支配」とともに「自己のアイデンティティーを支える」という2つの側面を持っていると思います。現代社会は「神」の非在は見破ったものの、「神」に代わって「自己認証」のために「自己を24時間見守ってくれるもの」を相変わらずさがしています。それを再び「神」と呼ぶか「自然」と呼ぶか「真理」と呼ぶか、それはひとそれぞれでしょう。
しかし、「支配」はいやでも「自己を24時間見守ってくれるもの」を求めない人はいないと思います。もし、これさえ否定するなら、哲学も「おもい」も「うた」も無用となるからです。ただ、モノとして漆黒の宇宙空間に彷徨っていればよい(そういう感覚の詩人もけっこういますが)。いや、そういう存在としてすらゆるされるかどうか、疑問です。

呼び名は「神」であってもなくても、どうでもよい。ただ「自己を24時間見守ってくれるもの」という意味での存在は、人間が人間らしくあるために必要なことだと思います。「五行歌」の核心も、従来の「支配」だけの神ではない、他に代えることのできない世界でたった独りの「自己」を常に見守り、その存在をあるがままの姿で永遠に請け負ってくれるもはなにか、その原理を追求することではないかと思っています。すくなくとも「神」に代わって「人間」に支配されることだけは真っ平ですし、人間に向かって「私のすべてを知っていてほしい」などと、私は思いません。そんな期待をかけられた人間も大迷惑でしょう。人間が、自分自身を含めて人間の全てを知ることなど不可能ですし、そういう欲求を持つ事自体が、正常な精神とは思いません。しかし、それでもなお、多くのひとは多少の不安をいだきつつ、「過去」を信じ「真実」を信じ「言葉」を信じています。日が暮れても明日、また太陽が照ることを信じて、つつがなく日々を送っています。太陽の光はだれにも平等に照り、同じ1日の長さであることを疑うこともなく、生きています。

えんた先生は、無神論を公言されておられますが、その真意は、私などともそう違わないところにあると思っております。
達人に向かって、たいへん御無礼を申し上げましたことは、重々お詫び申し上げます。
つつがない旅を、お祈りいたしております。




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No.74667 2007/11/03 19:28 えんた
 山田さんの文章、ぜんぶ読みきれませんが、私は宗教家が人の頭を支配しようとする、もし聖が神の代理人のように言うならば、聖が人の頭を支配しようとする、と考えているのです。
 神のように大きな強い者の仮面を被る、人類は、こういう人に発言権を与えるべきではないのではないかと考えるのです。
「神のお告げを聞いた」と言うなら、そこで話は終わりということにしなくては、いくらでも無根拠のことを言うことは出来る。
 木の花さん、私はほんとうに偶然書き込みしたのです。この問題とは、この数ヶ月、取り組んでいます。ピッグバン、ビッグクランチを繰り返しているような、無感動で大雑把な宇宙に、一人種、人間個人を見分けて何か感じたりすることはありえない、ということが言いたいのです。
 神はいないというのではなく、神は我々とはスケールの違う存在なので、何もお話し出来る相手ではない、私たち弱者の持つ「意味」の世界を知らない相手なので、私たちの意味をいくら訴えても通用して行かない、こういうことを言いたかったのです。
 ではどうするかについては、また。

 
 
 




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No.74669 2007/11/03 20:07 会津太郎
えんた先生、確かに政治の場では神は支配の道具にされやすいですね。特に戦前の日本では、まさにその通りだったと私も思います。幕末の尊皇攘夷から第二次世界大戦の現人神まで、天皇を神に祭り上げて私達日本人を支配してきた政治家たちがいたと思います。
 でも信仰の立場から純粋に神様を信じる方々も各国にたくさんいると思います。素朴な直感から哲学的な形而上学まで、一神教から多神教まで、神への純粋な信仰は心の不安の解消としてほとんど全ての民族にあると思います。そして集団的な宗教になるとどうしても政治的になって支配の道具になりますが、信仰という個人の心の中では、神は純粋に信ずる対象になるのではないでしょうか。その純粋な心の信仰が五行歌など詩歌に詠われた場合、信仰心のない読者の心をも揺さぶり、感動させることができるのではないでしょうか。生意気なことを書いてしまいましたが、神について考えるきっかけを与えてくださり、ありがとうございました。
 それでは海外への普及活動は健康第1で何とぞよろしくお願いします。先生の健康にもしものことがありましたら、海外はもちろんのこと日本国内の五行歌もどうなることか、五里霧中になってしまいますので、先生の健康優先でなにとぞよろしくお願いします。




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No.74697 2007/11/05 00:39 山田武秋
えんた先生、会津さん、どうもありがとうございます。
えんた先生のお考えをお伺いしていますと、宗教の「支配」面、すなわち宗教家が宗教をどう扱ったかという側面にのみ注目しているように感じられます。現象としての宗教は、宗教家の現世的な振る舞いからいくらでも批判できるでしょうが、真の「宗教問題」は宗教家の振る舞いとはまったく別の問題と思っています。それは、五行歌人の振る舞いと、五行歌の理想とはまったく別者であるということと同じです。私が問題としたのは人間にとって「宗教とはなにか」という根本的な問題です。私は宗教の最大の大事は支配ではなく「保証」だと思っています。「人間を人間として認証してくれるもの」「自己を自己として保証してくれるもの」はなにか、という根本的な問題です(この件は長く書きましたので繰り返しません)。先生はいみじくも「神はいないのではなく、スケールの違う存在」とおっしゃられました。少なくとも、先生もそういうものの存在を信じておられるようですから、私と先生の考えに、実はそんなに違いはないと思うのですが、どうでしょうか。
「神はスケールが違う」からお話できる相手ではないということですが、同じスケールではケンカしてばっかりということもありますし・・・

74655木の花 2007/11/02 23:37
寒くなってきましたが、木々が黄や赤に紅葉し、寒さとは逆に心に暖かいものを感じます。



寒気と暖色
自然界の
この同時性は
創造主の
憐れみ




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No.74679 2007/11/04 09:48 会津太郎
毎年紅葉を見ながら、動物の最後に比べると、植物達の最後はきれいでいいなあ、と羨ましく思っています。私もこのように赤や黄色に燃えながら散りたいものです。

74653会津太郎メール 2007/11/02 23:23
人類の愚かさを繰り返さないために(今夜、あるアメリカ人と広島への原爆投下について話したが、戦争終結を早めるために必要だったという異口同音の答だった。)



広島に原爆を落とした
B二九の機長が
昨日十一月一日
九十二才で死亡したが
彼もある意味で原爆の犠牲者だった




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No.74663 2007/11/03 13:11 会津太郎
全く散文的な五行歌ですね。
きのうネットで読んだニュースでしたが、あのエノラゲイの機長が死んだのかと思うと、感無量でした。任務を遂行しただけと言っていましたが、心の中はどんなだったでしょうか。日本人記者に何度もしつこく質問され、人類最初の原爆投下者として良心の呵責や苦しみを感じなかったでしょうか。命令されて任務を遂行しただけだとしても、軍人として命令を拒否することはできなかったわけですから、彼もある意味で原爆の犠牲者のような気がしました。(合掌)

74651ripple HP 2007/11/02 13:07
内 15



内なる思いが
こみ上げて
ついに男泣き
苦労人
中村紀洋




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No.74652 2007/11/02 13:09 ripple
干された男が中日に拾われ、日本シリーズのMVP。
大リーグでも二軍めぐりで苦労したが、ついに花がさいた。




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No.74656 2007/11/02 23:37 きなこ
本当に、人間ドラマです。これで、元気をもらった人が、沢山いますね。

74647中谷京華 HP 2007/11/02 11:55
内 14



室内は
人の気配で
少しずつ
活気づいて
あったかくなる




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No.74648 2007/11/02 12:01 中谷京華
題詠について考えると思い出が甦ってくるような面がありますが、思い出に耽りすぎないようにすることが私にとっての課題かな…と思う昨今です。

74642山田武秋 2007/11/02 10:26
内・15  M社の文章作成ソフトは、 仕事では使えません。



思考の内容まで
制限されてしまう
ビジネス文章作成ソフト
マインドコントロールの
一種かもしれない




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No.74644 2007/11/02 10:51 山田武秋
編集などクリエイティブな現場では、M社の文章入力ソフトは使いません(文章のやりとりのため、やむを得ず使う程度です)。ビジネス文章作成のために作られたソフトで、思考の流れをビジネス流に勝手に判断し制限されるため、創造的な仕事には不向きだからです。GUI(グラフィカル ユーザー インターフェース/操作を記号で表示する機能)が、クリエイティブワークの三種の神器といわれるソフトに比べ、無理スジで、使いづらい。それと、ムダな機能が多過ぎます。簡単なレイアウトもできるということでしょうが、所詮、ビジネス用途のまがいものしかつくれませんしね。文章入力ソフトに関していえば「一太郎」のほうが断然使いよかったんですが、M社が強引にOSと抱き合わせでWINDOWSマシンの標準文章入力ソフトにしてしまいました。しかし、M社のこの文章入力ソフトだけは、どうにかして欲しいと思っています。




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No.74650 2007/11/02 12:54 中谷京華
ソフトは使いこなせる方がいいという感覚がありますが、細かなことに影響するんですね。
私はホームページ歴は長いですが、ソフトは使いこなせてないのですが、あまり無理せずにいようと思いました。
サイトの更新は今だに旧i-Macを使っていますが、ネットサーフィンの際は最近は見れないページが増えてきたのが実情なんですけどね。(苦笑)
つい、先日も新i-Macも見かけましたし、時代遅れもはなはだしいのかもしれませんが、家族共用Winもあることですし、ある意味贅沢なのかもしれません。
文章作成ソフトもi-Mac専用ソフトがいまだに使い勝手がいいですね。
インターネット上の文書交換ではそれでは対応できないことが生じるのでWin用のソフトも使えるようになりましたが…。
「一太郎」は仕事していた頃、使っていたので懐かしいですね。その頃はインターネットは知りませんでしたし、ワープロ専用でした。




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No.74654 2007/11/02 23:34 きなこ
私も、普段、一太郎を使ってますが、職場のPCなどまわりがM社のものなので、そちらを使わざるをえません。マインドコントロールとまでは知りませんでした。
日本の一太郎、頑張れ!!ですね。

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