平井和正が作家的変革期にスラプスティックな作品を書くことはわりと知られています。『狼の紋章』でいわゆる「狼の時代」が始まる前に書いたのが『超革命的中学生集団』でしたし、ここでしばしば云っている「生頼範義期」から「泉谷あゆみ期」への端境に書かれたのが『女神變生』でした。そして『人狼白書』で「天使の時代」の幕開けとともに書かれたのが『狼の世界(ウルフランド)』です。ところで「人狼白書 闇のストレンジャー」がGOROに連載されたのと、「ウルフランド」が奇想天外に連載されたのって、時期的にはどちらも76年でほぼ同じなんですよね。「ウルフランド消滅」に登場する犬神明はブルSSSに同乗するマイク・ブローニングに「おれたちは、これから“凶眼の女”大滝志乃を捜しに出かけるところだったんだが」と語り、青鹿晶子の外見をした実は沢恵子に「他の雑誌に出てる途中だったんですが」と語っているのは、そういうことです。参考 ヒライストライブラリー [掲載雑誌目録]http://hiraist.fan.coocan.jp/mokuroku/mag/mag_ki.htmlhttp://hiraist.fan.coocan.jp/mokuroku/mag/mag_xx.html「あっはっは。まかしといてくれ。そのほうが読者も喜ぶ。なあ、マイクちゃん、ウルフガイが交替したら、よろしく頼むよ。こっちの犬神明センセイは、どうも最近陰々滅々ムードでかったるくなってるからな。このへんで気分を変えて、新鮮に溌剌とやろうぜ」「いずれ先輩が引退したら、後を務めることになるかもしれませんよ」「まだまだ、こんなひ弱な若い連中には負けませんよ。現役バリパリの狼男ですからな」「ははは。しかし最近はだいぶくたびれて、陰々滅々だという評判だけどな」神明、“悪徳学園”犬神明、双方から「陰々滅々」と云われるアダルト犬神明。この辺があの方の面白いというか凄いところで、神と信仰の世界にダイブしながらも、まるでバンジージャンプのように自分の足元にしっかりとロープを繋ぎ留めている。宗教にハマって、人が変わってしまうという話は、よく聞くところです。平井和正も「大きな心境の変化を経験していた」「大量のタバコ、酒、睡眠剤とあっさり縁が切れてしまった」「人格円満さによって友人知己たちを驚かせているようなのだ」(『人狼天使 第I部』「あとがき」)と語っており、そうだったのでしょう。けれども、そういう自分を客観視し、茶化す冗談っ気も失わずにいる。そういう人だから、作家に戻ってこれたんでしょう。そして、リアル教団とは関係を断ち、小説という作家業を通じて、真の救世主を探す旅を始める。それにしても、ラノベ(ライトノベル)という言葉も概念もない時代に、挿絵と不可分の小説「超革中」を書き、新井素子のデビュー(77年)に先んじて、登場人物たちが楽屋話的に作者について語り合うセルフパロディを書く。なんだかんだ云って、やっぱりある種の天才だと云わざるを得ません。「『狼のレクイエム』改訂版」の“のりしろ”とかね。頭おかしいですよ(笑)。この頭のおかしさは、魅力でもあるし、欠点でもある。平井和正という作家に対して思う、凄ぇなこのひとはという部分と、なんでこんなことしちゃうかなという部分、それらはきっと一枚のコインの裏表なんだと思います。最後に蛇足を。この物語ありエッセイありの書物の最後のパートである「平井和正氏・急逝・追悼座談会」、座談会と銘打たれていながら、座談はおこなわれません。司会がひとり平井和正氏「急逝」の事情を解説し、「紙数が尽きました」と云って終了してしまいます。その「急逝」の事情というのが、ウルフランドの連載最終回用に用意していた登場人物座談会を同じ奇想天外で横田順彌氏に先を越されてしまって、それでショック死してしまった……という巷間の噂は俗説妄説であって、真相は別にあったというのですが。よろしいですか、みなさん。書く前、構想段階で先を越されたのじゃありません、書いたあとなんですよ。つまり、発表されずにお蔵入りした、幻の原稿があったのですよ!そして、その幻の「ウルフガイ登場人物の座談会」が、電子書籍版に《特別付録》として収録されているのですよ! 電子書籍なんて興味ねーよ、という方も、ちょっぴり食指が動いたんじゃありませんか?「おれは、お宅の年頃には派手にやってたぞ。学生トップ屋なんていわれたもんだ。梶山李之のトップ屋時代の話さ。そのころ蛇姫さまの郷子とはじめて逢ったんだ」蛇足その二。さり気に『若き狼の肖像』への伏線を張ってますね。神がかり後に書いた神がかりでない作品という点で、ウルフランド、『死霊狩り』2・3(「このままでは、われわれもゾンビー島で立往生だ」by 林石隆)と並んで「やればできる」ことを証明した作品ですね。「あそこに“幻魔大戦”のグループがいる。あの連中はみな超能力者だ。なんとかラチをあけるかもしれん」蛇足その三。初読のときには、ずいぶんと扱いが小さいなあ、と思ったものです。この頃はまだ、第二次・小説幻魔大戦は書かれてなかったですからね。読者として、まだまだビギナーでした。Ending. 特撮 人狼天使それでは大槻ケンヂ率いるロックバンドの、このナンバーを聴きながらお別れです。それでは次回、『人狼天使』でお会いしましょう。 言霊を引用 Re: 天使時代前夜の死と再生〜狼の世界(ウルフランド) - Name: カナメ No.1481 - 2017/03/19(Sun) 16:34:51 『ウルフガイ・イン・ソドム』について書くつもりだったのですが、その枕としてちょろっと書くつもりだったものが、一本のテキストとして充分な長さになってしまったので、この部分だけで発表してしまいます。実をいうと『狼の世界(ウルフランド)』は、要所を読み返しただけで、全部をちゃんと再読したわけではありません。全部を読めば、また云いたいことが増えるかもしれず、あるいは云いたいことがまったく変わってしまうこともないとは云えません。ですから、これは先行配信版と思ってください。読後にあらためて、正式版を発表することになるでしょう。
『ウルフガイ・イン・ソドム』について書くつもりだったのですが、その枕としてちょろっと書くつもりだったものが、一本のテキストとして充分な長さになってしまったので、この部分だけで発表してしまいます。実をいうと『狼の世界(ウルフランド)』は、要所を読み返しただけで、全部をちゃんと再読したわけではありません。全部を読めば、また云いたいことが増えるかもしれず、あるいは云いたいことがまったく変わってしまうこともないとは云えません。ですから、これは先行配信版と思ってください。読後にあらためて、正式版を発表することになるでしょう。
≪天使や悪魔が出てきたからって、なにを戸惑っているんだ? よく考えてみろ。この物語の主人公は狼男なのだぞ。≫ワタシがまだ平井和正に対して、全肯定の一途な崇拝者だった頃、後期アダルトウルフガイへの批判に対して、このようにうそぶいていたことを思い出します。一途なファンとして、ムリしてたんだな(笑)といまは思います。だって、あらためて読み返したら、あの最終章「暗黒世界の対決」には、違和感ハンパなかったですもん(笑)。ウルフガイであれはやっちゃいかんと思いますよ。物語にはそれぞれ、ついていいウソの範囲というものがあります。たとえば、木村拓哉の医者もののドラマに、狼男が出てくることは許されません。担ぎ込まれた絶望的な重症患者が奇跡的な回復を見せ、こんな告白をする。「信じてもらえないかもしれないけど、実はおれ、狼男なんです」→「君の身体を調べさせてほしい!」……この脚本家、気でも狂ったか? と思われるでしょう。一方で、『狼男だよ』という作品があります。――白状しよう。実をいうとおれは人間じゃない。おれは人狼なのだ。……この一節を読んで、狼男なんているわけないだろ、この作者、頭おかしいんじゃないか? とは普通思いません。前者と後者の物語では、ついていいウソの範囲が異なるからです。宝くじで高額当選をすることは、私たちの日常レベルでは、ほぼあり得ない話です。でも、世間のどこかには、そういう人もいる、それもまた現実です。だから、「一億円当たってしまった! どうしよう!?」……というように、初めからそのレアな人物にスポットを当てた、レアな人物の物語というのはアリです。でも、多額の借金を背負った男の物語というのがあって、こんな結末を迎えたとしたらどうでしょう。「一億円当たらないかなぁ」→「当たったあ!」→めでたしめでたし……めでたいのはお前(作者)のアタマじゃい! ということになります。同じ宝くじの高額当選という出来事であっても、前者は物語の設定であり前提、それに対し後者は噴飯もののご都合主義となってしまうのです。当たり前の話です。当たり前すぎて、ことさらこのように考えたり論じたりされることもちょっとないぐらい。でも、このことを整理して頭に置いておくことで、『人狼白書』に感じる違和感の正体も見えてきます。物語でついていいウソの範囲。それは原則、物語の最初に唯一もしくは最大限のものとして設定されます。ウルフガイの場合、狼人間の存在が許容されるウソのリミットということになります。ですから、ライオン・ヘッドのような呪術師、ラッキー・チャンスのような超能力者、大滝雷太のような別種の不死身人間、このレベルであれば、許容の範囲内になります。ところが、天使や悪魔となってくると、これはもうこれまでになかった宗教観という異物であって、初期設定を逸脱しています。まさに「話が違う」のです。ここまで作者自身の人生観・世界観が変わり、作品の性格が変わるならば、初めから全く別の新作でやるべきでした。であれば、読者の好みの違いはあれ、何の問題もありませんでした。なぜそうしなかったのか、なぜ既存の作品の続きで新たなステージを表現しなければならなかったのか? 平井和正の作品論・作家論は、結局そこにブチ当たることになります。その後の“幻魔大戦”も過去の漫画、そして『新幻魔大戦』を発展させたもので、完全オリジナルの新作ではありませんでした。 彼女は、つねにおれを教え導く役割を受け持っている“師”だったのである。現象界のことではない。おれは肉に埋もれた存在、狼男として、小学生時分から“師”を持った経験はなかった。永遠の転生輪廻のプロセスにおける不滅の霊魂としてのおれ――本質的な霊存在のおれにとっての“師”なのだ。その点をうまく理解してもらえただろうか?それを理解できるかどうかは、読者がどれだけ作者の宗教観を(あらかじめ)理解しているかにかかっていると云っていいでしょう。ワタシのような、その後の作品から入った、いわゆる「神がかり」後の平井和正のステージをよく知った読者はいい。けれども、宗教に馴染みがあるわけでもない、オンタイムで読んできた読者からすれば、とうてい理解はおぼつかないでしょう。知識ゼロ、心得の無い読者に対して、説明不足の感は否めません。たとえ相手が天使だろうと、犬神明が拝跪するなんてありえない! そんな平岡正明に代表される読者の反応は、ごく当然のものだろうと思います。なぜ、こんなことになってしまうのか。それはおそらく、作者のなかでこれが「ウソ」ではないからでしょう。ついていいウソの範囲どころではない、ウソじゃないんですよ、平井和正にとっては。本当なんだから、仕方がない。CIAやKGBが現実にあるように、天使も悪魔も現実にいる。現実を物語に持ち込んで、何の不都合があるのだと。――天使はいるんですよ、犬神明のような物質世界のヒエラルキーに縛られない者も自然に跪いてしまう、真に尊い存在なんですよ。きみだって天使が眼の前に現れたら、きっとそうなる。たとえば、磁石は鉄を引きつけるよね。それは事実なんだよ。それを知らないのは、ただの無知ですよ。そんな読者のために、その原理を一から説明しなきゃいけないのかい? ――平井和正の心の声を憶測すると、そんな感じではないかと思います。なんだか、ワタシの想像上の平井和正に、ワタシ自身が説得されそうな気がしてきました。作者と読者の「常識」のギャップ、これを埋めないままに、それまで築き上げてきたアダルトウルフガイの世界に作者の新境地を持ち込むことで、この作品は一種異様な問題作となりました。それでもワタシは、そのことでこの物語を単純に否定することはできません。それはワタシが作者の宗教観に理解があるからではありません。というよりもですね、この程度のツッコミどころは、あえて云おう、些事であると。「わかっているさ。なによりも大事な家庭がなかったというのだろう。だが、おれにはもともとなにもなかった。家庭どころか、両親の顔もろくにおぼえていない。孤児だったんだ。四歳のころから、なにもかも自分で面倒を見なければならなかった。それがどんなものかわかるか? 他人に借りを作るのだけは我慢できなかった。誇りだけがおれを支えていたんだ。きみより惨めな境遇にいる人間は山ほどいる。そうした人々のことをきみは考えたことはあるまい。きみの目はなにも見ようとしない。自分のこと以外、念頭にないからだ。歪んだ心の鏡に映った自分の顔しか見ていないからだ。だから、きみは、自分の分け前がいかに大きいものかわからない」これですよ。この雷に撃たれるような、ビリビリとシビれるこの科白ときたら! むろん、この矢島絵理子との応酬は、結果的に彼女を傷つけ、怨みを買い、敵対を決定的にしてしまいます。残酷で思慮を欠いた言葉のしもとであったのは間違いありません。だけど、やっぱりカッコいいんですよ、シビれるんですよ。物語のそこかしこに抹香くさいセンテンスは散りばめられていても、こういうところは我らがウルフの兄貴ですよ。こんなオッサンに兄貴呼ばわりされたくないって? いいなあ、小説のひとは、歳をとらなくて。とまれ、皆さんもよくご承知のように、平井和正の問題作はこの『人狼白書』が唯一でもなければ、最大でもありません。読者を悩ます“言霊使い”平井和正の問題作メーカーの道のりが、ここから始まるのです。 言霊を引用 Re: 『人狼白書』をもう一度 - Name: 弘田幸治 No.1477 - 2017/03/05(Sun) 23:24:12 幻魔大戦→ウルフガイ読者の意見が聞けて楽しかったです。そうした読書体験にも関わらず、冷静な読解はさすがですね。 やはり『人狼白書』は無理がありますよ。仰るとおり“別作品”として書かれるべきでした。 しかしその“別作品”が存在する、というのが、この頃の平井和正でした。そう『真幻魔大戦』ですね。 アダルトウルフガイ→真幻魔大戦を読んだ身としては、「ああ、平井さん、うまくやったなー」という感想をもちました。不死身の男犬神明には非物質的な力は必要ありませんが(むしろ作品の面白さとしては邪魔ですが)、タフガイでも何でもない小柄な東丈がじつは絶大な霊力を秘めているかもしれない、という物語は、『人狼白書』以後のシリーズの“反省”として感心したところでした。 また『人狼白書』以後のシリーズに幻滅した読者へのプレゼントとでもいうべきオカルト要素抜きの『若き狼の肖像』を書いたことも好感が持てました。 この頃の平井和正は明らかに「書き分け」ができていたのだと思います。世界観の変化なら説明がつかず、やはり世界設定との混同があったのではないかと思っています。 笠井潔『ヴァンパイヤー戦争』はアダルトウルフガイへのオマージュとでもいうべき作品ですが、この作品ははじめから活劇→オカルトという構造になっていて、『人狼白書』以後のシリーズの変質に肯定的な読者もいたことをうかがわせます。 カルロ・ギンズブルグ『闇の歴史』では、狼に変身した戦士が、冥界の魔女/妖術師を討ち取って、その年の豊穣をもたらす、という“異端”が紹介されていました。どこかでみた構図ですね(笑)。 『人狼白書』以後のシリーズの変質は「失敗」だったと思うのですが、それでもさすがの平井和正だな、と身贔屓込みで思ってしまうところです。 Re: 『人狼白書』をもう一度 - Name: keep9 No.1478 - 2017/03/10(Fri) 17:58:07 後期平井和正の中での「完全オリジナルの新作」であった「地球樹の女神」・「ボヘミアンガラス・ストリート」及び「アブダクション」をどう位置付けていくかという問題が残りますが、……残りはするんですが、ざっくり言ってしまうとこの3作品、「世界」とか「宇宙」とかそのものをハンドリングしちゃう作品であったので、ついていい嘘の上限がほぼない、という考え方もできるかなと。上限がないと逆に、微妙な制約のもとにある「幻魔大戦」「ウルフガイ」と比べて完結が導き出し易かったということかもしれません。特撮ヒーロー物である「ウルトラマン」や「仮面ライダー」が2010年あたりから多元宇宙を当然の前提とした世界観に移行していったこと、世界の異なるヒーローを共演させる仕掛けとしての多元宇宙の「活用」が進んでいったこと、そもそも「世界観」なんて言葉が普通の視聴者読者にも一般化していったプロセスは、SFガジェットの浸透(と拡散?)の実例としても興味深いものがあります。 Re: 『人狼白書』をもう一度 - Name: 弘田幸治 No.1479 - 2017/03/10(Fri) 23:23:56 keep9さま。 後期平井和正作品で読んでいるのは『地球樹の女神』と『ボヘミアンガラス・ストリート』だけなんですが、仰るとおり“「世界」とか「宇宙」とかそのものをハンドリングしちゃう作品”なんでよね。主人公はいわば“神”であって、“神のごとき”覚醒した東丈を失踪せざるをえなかった『真幻魔大戦』と違うところですね。 ただそのぶん、主人公の“敵”が矮小化してしまったきらいがあったと思います。作品世界の“神”には誰もかないませんからね。 作劇上、幻魔という“便利すぎる敵”を登場させてしまったこともその後の平井和正を祟ったのかもしれません。いつまでも戦える敵ですから、主人公勢のドラマに集中できる。 特撮ヒーロー物については全く無知ですので、勘違いしてしまっている可能性大ですが、多元宇宙については「世界設定」の分野かなという気がします。 世界観を“気にしない”作品といえば手塚治虫の一連のスターシステムなんてそうでしたね。ただ劇画革命以後はそれも鳴りを潜めるわけですが。 俺の推測が正しければ、オールスター作品の復権は、世界観を“気にしない”客層の復権でもあります。時代は寄せる波引く波のようなものなのかもしれないと感じました。
幻魔大戦→ウルフガイ読者の意見が聞けて楽しかったです。そうした読書体験にも関わらず、冷静な読解はさすがですね。 やはり『人狼白書』は無理がありますよ。仰るとおり“別作品”として書かれるべきでした。 しかしその“別作品”が存在する、というのが、この頃の平井和正でした。そう『真幻魔大戦』ですね。 アダルトウルフガイ→真幻魔大戦を読んだ身としては、「ああ、平井さん、うまくやったなー」という感想をもちました。不死身の男犬神明には非物質的な力は必要ありませんが(むしろ作品の面白さとしては邪魔ですが)、タフガイでも何でもない小柄な東丈がじつは絶大な霊力を秘めているかもしれない、という物語は、『人狼白書』以後のシリーズの“反省”として感心したところでした。 また『人狼白書』以後のシリーズに幻滅した読者へのプレゼントとでもいうべきオカルト要素抜きの『若き狼の肖像』を書いたことも好感が持てました。 この頃の平井和正は明らかに「書き分け」ができていたのだと思います。世界観の変化なら説明がつかず、やはり世界設定との混同があったのではないかと思っています。 笠井潔『ヴァンパイヤー戦争』はアダルトウルフガイへのオマージュとでもいうべき作品ですが、この作品ははじめから活劇→オカルトという構造になっていて、『人狼白書』以後のシリーズの変質に肯定的な読者もいたことをうかがわせます。 カルロ・ギンズブルグ『闇の歴史』では、狼に変身した戦士が、冥界の魔女/妖術師を討ち取って、その年の豊穣をもたらす、という“異端”が紹介されていました。どこかでみた構図ですね(笑)。 『人狼白書』以後のシリーズの変質は「失敗」だったと思うのですが、それでもさすがの平井和正だな、と身贔屓込みで思ってしまうところです。
後期平井和正の中での「完全オリジナルの新作」であった「地球樹の女神」・「ボヘミアンガラス・ストリート」及び「アブダクション」をどう位置付けていくかという問題が残りますが、……残りはするんですが、ざっくり言ってしまうとこの3作品、「世界」とか「宇宙」とかそのものをハンドリングしちゃう作品であったので、ついていい嘘の上限がほぼない、という考え方もできるかなと。上限がないと逆に、微妙な制約のもとにある「幻魔大戦」「ウルフガイ」と比べて完結が導き出し易かったということかもしれません。特撮ヒーロー物である「ウルトラマン」や「仮面ライダー」が2010年あたりから多元宇宙を当然の前提とした世界観に移行していったこと、世界の異なるヒーローを共演させる仕掛けとしての多元宇宙の「活用」が進んでいったこと、そもそも「世界観」なんて言葉が普通の視聴者読者にも一般化していったプロセスは、SFガジェットの浸透(と拡散?)の実例としても興味深いものがあります。
keep9さま。 後期平井和正作品で読んでいるのは『地球樹の女神』と『ボヘミアンガラス・ストリート』だけなんですが、仰るとおり“「世界」とか「宇宙」とかそのものをハンドリングしちゃう作品”なんでよね。主人公はいわば“神”であって、“神のごとき”覚醒した東丈を失踪せざるをえなかった『真幻魔大戦』と違うところですね。 ただそのぶん、主人公の“敵”が矮小化してしまったきらいがあったと思います。作品世界の“神”には誰もかないませんからね。 作劇上、幻魔という“便利すぎる敵”を登場させてしまったこともその後の平井和正を祟ったのかもしれません。いつまでも戦える敵ですから、主人公勢のドラマに集中できる。 特撮ヒーロー物については全く無知ですので、勘違いしてしまっている可能性大ですが、多元宇宙については「世界設定」の分野かなという気がします。 世界観を“気にしない”作品といえば手塚治虫の一連のスターシステムなんてそうでしたね。ただ劇画革命以後はそれも鳴りを潜めるわけですが。 俺の推測が正しければ、オールスター作品の復権は、世界観を“気にしない”客層の復権でもあります。時代は寄せる波引く波のようなものなのかもしれないと感じました。
ここで云う『リオの狼男』とは、ルナテックの電子書籍の書名です。祥伝社ノン・ノベルの『魔境の狼男』といったほうが通りはいいでしょう。でも、こちらのタイトルのほうが好きなんですよね。ルナテック電子書籍のアダルトウルフガイは、シリーズ構成も角川文庫版に準拠にしていて、まさにいいとこ取り。決定版と云えるでしょう。角川文庫版は構成はいいんですが、タイトルが、ね。… I have a 狼は泣かず、… I have a 人狼白書、… あン、… ウルフガイ 不死の血脈。… なんでやねん!!! というね。『リオの狼男』はシリーズでも随一のゲスト美女たちが乱舞する物語です。アダルトウルフガイ再読ロードの感想テキスト、今回はそんなボンドガールならぬ魅惑のウルフガールたちに焦点をあてて、振り返ってみようと思います。■《一人目》 エリカ・フジタ日系二世。三星商事の現地法人に勤務し、犬神明の通訳を務める。だが、ライオン・ヘッドの部下で都市ゲリラ人民解放戦線の女兵士という裏の顔を持つ。無類に愛くるしく、明は彼女を子猫や仔犬に喩えている。彼女の寄せる好意を明はわかっていたが、その想いに応えることはなかった。成熟した女性が好みということもあろうが、それよりも一途な愛に縛られることを厭うたがゆえだ。だが、そのことが彼女に悲惨な運命を招くことになる。生ける神、犬神明は悪人も善人も区別なく、近寄る者に悲運をもたらす。最後は可哀想でしたね。初読時にはわからない、すべての筋書きを知ったうえでエリカのこの言葉を見ると、単に女の子らしく愛する男の身を案じているだけではない、自分の敵に回ろうとしている男をなんとか引き留めようとする必死な想いがわかってじわじわきます。「ロボ、あなたはあたしのアミーゴ、死なないで。あたしのいうことをきいてよ。あたしを信じてよ、ロボったら……」■《二人目》 ブランカリオの顔役フォルツナトの妻、ライオン・ヘッドの前妻でもあった。シリーズでも数少ない破滅しなかった女。エリカにはつれなかったのに、彼女とはあっさり“アダルト”な関係になってしまう。呪術師(マクンベーロ)でもある彼女には、明を待つ死地が視えていた。それでも彼女は数日間の休息の終わりに、すがって止めるのではなく、戦士を戦場に送り出した。彼女もまたアダルト。このあたり、前述のエリカとは対比的だ。互いの母国語で交わす別れの言葉が美しい。「もうお行きなさい。サヨナラ、ロボ」「アディオス、ブランカ」■《番外》 石崎郷子ゲストではないが、この並びに加えないわけにはいかない。ライオン・ヘッドのつかの間の妻。犬神明は親友の夫を手にかけたことになる。まさに怪物に怪物をぶつけた陰謀の絵図を知り、明は復讐の鬼となる。犬神明の月に代わっておしおきは怖ろしい。彼女を娶ったそのことだけで、すでにライオン・ヘッドの命運は尽きていたというのに。いや、やはりそれもこれも含めて、犬神明と同じ、生ける神である彼女がもたらす禍いなのだろう。登場はわずかだが、ニヒルで物憂げな存在感は抜群。「むだなことだわ。いっそうむごたらしいことがあなたに起こるだけよ、ウルフ。この愚かしい人間社会では、あたしやウルフはアウトサイダーなんだわ」■《三人目》 バルバラエリカの妹。同じ都市ゲリラのメンバー。エリカ殺しの犯人と誤解し、明を烈しく憎み復讐の炎を燃やす。だが、収容所の同じ牢獄で、明のうわ言を聞き、真実を知る。彼女は明の重荷になるまいと、猛毒蛇スルククに自らを咬ませ死を選ぶ。実はワタシの一番印象に残っているのが、このひとだったりします。のちの大滝志乃と通じるところがありますが、彼女の最期は志乃よりもずっと幸せだったようです。「あなたのお喋りを聞いていると、身体が温かくなってくる……きっとあなたをよく知れば、好きにならずにはいられないわね。こんなに勇猛なのに、こんなにも優しいんだもの」■《選外》 マリア・スコッティブラジル軍保安部での階級は少佐、だが正体はKGBのエージェント。明の収容所脱出を手びきする。犬神明の評によれば、ちょっぴり美人で年増美人。選にはもれたが、後述するドナとの関係と、明の彼女にあびせた科白が秀逸につき、ここに記しておく。「マリア・スコッティ少佐よ」「ティッシュ・ペーパーなんかに用はない」■《四人目》 ドナ・フェレイラマリアの配下。明の緑の魔境(マット・グロッソ)行きに同行する。人間的にいいところはまるでなし、冷血な女殺し屋。なおかつ明にとっては、足手まといでもある。だが、明はそんな彼女を見捨てて置き去りにできない。そんなやさしさにつけ込む、悪い意味で女らしい狡さも持ち合わせている。「死ぬとわかりきっているのに、かよわい女をジャングルに放り出すの?」「それなら、あたしを背負っていけばいいわ」「あたしは女だし、あんたみたいにタフじゃないのよ。へとへとに疲れてるし、つい我慢しきれなくなったのよ。それくらいあんただってわかってるでしょ」ここまで図々しいと、かえって清々しいというか、妙な可愛げすら覚えてしまう。犬神明は一人称のト書きでこう云っている。――ドナ・フェレイラ、おれの遭遇したもっとも手強い厄病神だった。 このニュアンスはミソで、心底憎悪する相手なら、こんな云い方は決してしない。その微妙な心情はこちらにも伝わって、彼女はなんだか憎めない。平井和正のこういうキャラの造形、描き方って本当に名手だなと思います。「せめて、あんたぐらい生きててほしかったよ、ドナ」「たのむから、まだ生きててくれ!」ウルフのその祈り、その叫び、ワタシも同じ気持ちです。生きてはいないとわかっていても。エリカ、バルバラ姉妹とともに、ご冥福をお祈りします。 言霊を引用
■両面の戦いワタシが(無印)幻魔大戦のファンとして声が大きいのだとすれば、劣勢のマイノリティとして、両面の戦いを強いられるからだと思います。一方は(無印)幻魔大戦なんてつまらない、どこが面白いの? という人々。そしてもう一方は、「幻魔大戦を毛嫌いする人々、それは哲学書に触れたことのない人々だ」なんてことをのたまう人々です。そういうこと云っちゃう? 困ったなぁ、って感じです。つまり後者もまた、(無印)幻魔大戦を良質のエンターテインメントと認めていないという点で、前者と同じ穴のムジナなのです。ワタシの敵ですよ(笑)。(無印)幻魔大戦がいかにエンターテインメントであるか、それは以前にここで語りましたので繰り返しません。No.1342 再読『幻魔大戦』http://www1.rocketbbs.com/612/bbs.cgi?id=t_kaname&mode=pickup&no=1342■読者のセクト弘田さんとワタシの違い、それはシュミの違いに尽きると思います。ワタシはSFとか、基本興味ないんですよ。それは平井和正のファンですから、非現実・超現実設定が嫌いなワケじゃありません。でも、それよりは現実的フレームの中で描かれる物語のほうに食指が動く。ひっきょう、昨今のアニメもラノベもさっぱり興味がわかず、ハマっているのは、福本伸行だったり、『闇金ウシジマくん』だったりします。いまだに共感してくれるひとには出会ってないのですが、福本伸行なんて、けっこう平井和正と通じるところはあると思うんですけどね、長尺だけではなく(笑)。無印幻魔の長尺を非常識なんて云ってるひとは『アカギ』を読んでみたまえ。もっと非常識だから。『カイジ』だって、ひと晩の勝負をどんだけ続けてるんだってハナシでね。17歩→救出ゲーム→ワン・ポーカーの一連の勝負って、日を空けてないですからね。カイジくん、寝てないんですよ。『黄金の少女』だって、これに比べりゃかわいいもんです。特に『アカギ』は麻雀幻魔大戦と云うべきで、平井和正が麻雀をきっかけに心霊主義に目覚めたというのが納得できる。誰がなんと言おうと流れはあるし、ツキもある。確率なんて言ってるやつは麻雀をやる資格がない。これは『天』の科白ですが(大意)。弘田さんって、たぶん朝ドラとか全然興味ないんじゃありません? 日常的フレームのなかで、ひとが泣いたり怒ったりして、そんなの面白い? みたいな。そういうところだと思うんですよ。だからワタシはこう云いたい。(無印)幻魔大戦を毛嫌いする人々、それは朝ドラに興味のない人々だ。これはたぶんかなり当たってるんじゃないかと思います。平井和正はSF作家であると同時に、山本周五郎や大藪春彦にも傾倒した素地を持つ生々しい人間の心の襞の書き手でもあって、そこに跨る作家としての幅が、読者間のセクトの違いを生んでいる一因ではないかと思いますね。■次回予報(執筆確率30%)お小遣いに限りがあった高校生時代の筆者。『真幻魔大戦』も新書版には手が出せず、文庫本の刊行を待つ日々。そんななか、生頼範義画伯の衝撃の挿し絵を目撃する。その名も「犬の帝国」……!! 言霊を引用 Re: 読者の声 - Name: 弘田幸治 No.1472 - 2017/02/20(Mon) 21:29:48 たしか畑中佳樹だったと思うのですが、SFは読み返すのが怖い、と書いていました。 こどもの頃に読んだ感激、感動、そういったものが作品評価を過剰なものにしている可能性があることを仄めかしていたんだと思います。SFの黄金時代はいつだって12歳だという言葉もあるくらいですしね。 俺はいまはもう平井和正を読み返せない環境にあります。ですから平井和正を買いかぶっている話になるかもしれません。それを承知で読んでいただければ幸いです。 >弘田さんって、たぶん朝ドラとか全然興味ないんじゃありません? うん鋭いですね(笑)。さすが。 No.1342は当然読ませていただいていましたが、なるほど、そこにつながるわけですね。 俺の場合、もう少し平井和正を評価していて、彼の描く人物たちは、大方のTVドラマやコミックに登場するような平面的なキャラクターではないと考えています。 つまり平井和正の作品は文学であって、たんなるエンターテインメントではない、という評価をしています。 少なくとも俺にとっては、たとえば『(無印)幻魔大戦』などは、ひとつの文学的体験を与えてくれたものでした。平井作品による文学的体験がなければ、たとえば三島由紀夫を読むようなことはなかったでしょう。 山本周五郎が「本物の小説」と呼んでいましたが、文学と通俗小説は両立する、という立場を、俺もとります。三島由紀夫作品も通俗小説と文学の融合というところがあります。 俺にとり平井和正の作品は、そうした「本物の小説」のひとつでした。 「幻魔大戦を毛嫌いする人々、それは哲学書に触れたことのない人々だ」という立場は俺もとりません。しかし同時に「たんなるエンターテインメントだ」という立場もとりません。「エンターテインメントなんだから楽しめばいいのに」とは思わないんですね。俺はいつだって平井和正の作品と向きあうときは“真剣”でした。楽しむという気軽な態度で接することはできませんでした。まあこどもというのはそういうものなのかもしれません。 赤裸々な人間性を描く文学というものは人を選びます。平井和正の作品はエンターテインメントという側面もありますから、そこだけを楽しむこともできるでしょう。なるほどベストセラー作家になるわけです。しかし俺は平井和正の作品に文学をみてしまった。平井和正がベストセラー作家であるのはもちろん嬉しかったのですが、それ以上に彼の作品を購読する「本物の小説」の理解者が多数いることが誇らしかったですね。一日本人として。 しかしそれは幻想かもしれない、と気づかせてくれたのが、1980年代当時ベストセラーになっていた「戦後生まれの作家」たちによる作品群です。そこにあったのは「たんなるエンターテインメント」でした。文学性がまったく存在していませんでした。純文学ならぬ、いわば純エンタメでした。 多少の文学性を残した中間小説を一掃したのが、この1980年代の純エンタメでした。いまとなってはそれも歴史の必然だと思えるのですが、当時の俺はそれに怒りを覚えていました。戦後日本がやっと手に入れた「本物の小説」、戦後日本文学を穢すものだと思ったのです。 俺の怒りを慰めたのは平井和正の作品でした。純エンタメがベストセラーランキングを席巻する1980年代に、平井和正だけは“生き残っていた”、平井和正だけは違うんだ、というのが俺の胸の裡に秘めた小さな誇りでした。 荒巻義雄が指摘したところでは、なぜ日本ではニューウェーブ運動が起きなかったかといえば、日本SF第一世代の書く小説が最初から文学性をもっていたからだといいます。ミステリでいえば松本清張ら、時代小説でいえば山本周五郎など、たんなるエンターテインメントではありませんでした。戦後日本文学の一翼だった。かつてPC-VANに、文学における戦後とは“大衆と文学の蜜月時代”という点で「俺たちの19世紀」だったのだ、と書いた覚えがあります。 初期SF短編の頃に言われていたことですが、その日本SF第一世代のなかでももっとも文学に近いと目されていたのが平井和正でした。その平井和正の文学性が爆発したのが『(無印)幻魔大戦』だったというのが俺の評価です。その眩いばかりの文学性に痺れました。 文学は人を選びます。俺は『(無印)幻魔大戦』を人に薦めることはありません。「毛嫌いされる」というのをそれほど否定的にとらえていません。人には本能、生理、直感というものがあります。『(無印)幻魔大戦』を忌避する方々というのは、そうとう感度がいいのではないか、と思っています。わざわざ心に重い軌跡を残す文学的体験など味わいたくもないという人もいるでしょうから。 >■次回予報(執筆確率30%) >お小遣いに限りがあった高校生時代の筆者。『真幻魔大戦』も新書版には手が出せず、文庫本の刊行を待つ日々。そんななか、生頼範義画伯の衝撃の挿し絵を目撃する。その名も「犬の帝国」……!! 執筆確率30%とは言わず書いて欲しいです。ぜひ読みたい。どんな挿絵だったか気になります。 「犬の帝国」、あれ絶対フロイが出て来ると思っていたんですけどね。解脱前の若き日のフロイとか。犬だけに(笑)。 Re: 読者の声 - Name: カナメ No.1474 - 2017/02/26(Sun) 00:46:49 コメント、ありがとうございます。実は書きものをしていて、ようやくちゃんと読みました。読むぐらいチャッチャと読んでもよさそうなものですが、弘田さんの文章って、こちらの“脳作業”も全部もっていかれかねませんので(笑)。正直云いましてアップしたそばから、しょうもないことを云うてもうたと思ってます。フェイスブックに再掲しないのがその証拠。失敗作です。それでも弘田さんから読み応えのあるコメントを寄せてもらえたのですから、よしとしましょう。ヘヴィですよ。書きものをしたあとで読んで、やっぱり正解でした。書きものとは『リオの狼男』(『魔境の狼男』)について。書き上げましたので、じきにアップできると思います。はっきり「次回予告」しておきます。『真幻魔大戦』についても、いずれ書きたいですね。先日読み終えた『人狼白書』について書きたいことが湧いてきていて、こちらのほうが先になりそうですが。
たしか畑中佳樹だったと思うのですが、SFは読み返すのが怖い、と書いていました。 こどもの頃に読んだ感激、感動、そういったものが作品評価を過剰なものにしている可能性があることを仄めかしていたんだと思います。SFの黄金時代はいつだって12歳だという言葉もあるくらいですしね。 俺はいまはもう平井和正を読み返せない環境にあります。ですから平井和正を買いかぶっている話になるかもしれません。それを承知で読んでいただければ幸いです。 >弘田さんって、たぶん朝ドラとか全然興味ないんじゃありません? うん鋭いですね(笑)。さすが。 No.1342は当然読ませていただいていましたが、なるほど、そこにつながるわけですね。 俺の場合、もう少し平井和正を評価していて、彼の描く人物たちは、大方のTVドラマやコミックに登場するような平面的なキャラクターではないと考えています。 つまり平井和正の作品は文学であって、たんなるエンターテインメントではない、という評価をしています。 少なくとも俺にとっては、たとえば『(無印)幻魔大戦』などは、ひとつの文学的体験を与えてくれたものでした。平井作品による文学的体験がなければ、たとえば三島由紀夫を読むようなことはなかったでしょう。 山本周五郎が「本物の小説」と呼んでいましたが、文学と通俗小説は両立する、という立場を、俺もとります。三島由紀夫作品も通俗小説と文学の融合というところがあります。 俺にとり平井和正の作品は、そうした「本物の小説」のひとつでした。 「幻魔大戦を毛嫌いする人々、それは哲学書に触れたことのない人々だ」という立場は俺もとりません。しかし同時に「たんなるエンターテインメントだ」という立場もとりません。「エンターテインメントなんだから楽しめばいいのに」とは思わないんですね。俺はいつだって平井和正の作品と向きあうときは“真剣”でした。楽しむという気軽な態度で接することはできませんでした。まあこどもというのはそういうものなのかもしれません。 赤裸々な人間性を描く文学というものは人を選びます。平井和正の作品はエンターテインメントという側面もありますから、そこだけを楽しむこともできるでしょう。なるほどベストセラー作家になるわけです。しかし俺は平井和正の作品に文学をみてしまった。平井和正がベストセラー作家であるのはもちろん嬉しかったのですが、それ以上に彼の作品を購読する「本物の小説」の理解者が多数いることが誇らしかったですね。一日本人として。 しかしそれは幻想かもしれない、と気づかせてくれたのが、1980年代当時ベストセラーになっていた「戦後生まれの作家」たちによる作品群です。そこにあったのは「たんなるエンターテインメント」でした。文学性がまったく存在していませんでした。純文学ならぬ、いわば純エンタメでした。 多少の文学性を残した中間小説を一掃したのが、この1980年代の純エンタメでした。いまとなってはそれも歴史の必然だと思えるのですが、当時の俺はそれに怒りを覚えていました。戦後日本がやっと手に入れた「本物の小説」、戦後日本文学を穢すものだと思ったのです。 俺の怒りを慰めたのは平井和正の作品でした。純エンタメがベストセラーランキングを席巻する1980年代に、平井和正だけは“生き残っていた”、平井和正だけは違うんだ、というのが俺の胸の裡に秘めた小さな誇りでした。 荒巻義雄が指摘したところでは、なぜ日本ではニューウェーブ運動が起きなかったかといえば、日本SF第一世代の書く小説が最初から文学性をもっていたからだといいます。ミステリでいえば松本清張ら、時代小説でいえば山本周五郎など、たんなるエンターテインメントではありませんでした。戦後日本文学の一翼だった。かつてPC-VANに、文学における戦後とは“大衆と文学の蜜月時代”という点で「俺たちの19世紀」だったのだ、と書いた覚えがあります。 初期SF短編の頃に言われていたことですが、その日本SF第一世代のなかでももっとも文学に近いと目されていたのが平井和正でした。その平井和正の文学性が爆発したのが『(無印)幻魔大戦』だったというのが俺の評価です。その眩いばかりの文学性に痺れました。 文学は人を選びます。俺は『(無印)幻魔大戦』を人に薦めることはありません。「毛嫌いされる」というのをそれほど否定的にとらえていません。人には本能、生理、直感というものがあります。『(無印)幻魔大戦』を忌避する方々というのは、そうとう感度がいいのではないか、と思っています。わざわざ心に重い軌跡を残す文学的体験など味わいたくもないという人もいるでしょうから。 >■次回予報(執筆確率30%) >お小遣いに限りがあった高校生時代の筆者。『真幻魔大戦』も新書版には手が出せず、文庫本の刊行を待つ日々。そんななか、生頼範義画伯の衝撃の挿し絵を目撃する。その名も「犬の帝国」……!! 執筆確率30%とは言わず書いて欲しいです。ぜひ読みたい。どんな挿絵だったか気になります。 「犬の帝国」、あれ絶対フロイが出て来ると思っていたんですけどね。解脱前の若き日のフロイとか。犬だけに(笑)。
コメント、ありがとうございます。実は書きものをしていて、ようやくちゃんと読みました。読むぐらいチャッチャと読んでもよさそうなものですが、弘田さんの文章って、こちらの“脳作業”も全部もっていかれかねませんので(笑)。正直云いましてアップしたそばから、しょうもないことを云うてもうたと思ってます。フェイスブックに再掲しないのがその証拠。失敗作です。それでも弘田さんから読み応えのあるコメントを寄せてもらえたのですから、よしとしましょう。ヘヴィですよ。書きものをしたあとで読んで、やっぱり正解でした。書きものとは『リオの狼男』(『魔境の狼男』)について。書き上げましたので、じきにアップできると思います。はっきり「次回予告」しておきます。『真幻魔大戦』についても、いずれ書きたいですね。先日読み終えた『人狼白書』について書きたいことが湧いてきていて、こちらのほうが先になりそうですが。
ハッシュタグによるお題#名前の最初をどにすると強そうどMグループというのも、ある意味強そうだ。ミスターどS「ゾンビー島の訓練生諸君、わさびシュークリームをご賞味いただいたあとは、熱湯風呂であたたまっていただこう」(初出 Twitter)再掲にあたり編集しました。ミスターどSによって養成されたのが、どMグループという解釈が成り立ちそうです。 言霊を引用
http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=112204602ワタシ的に一番印象に残っているのは、トークライブ後の懇親会でグイン・サーガの話になり、七月鏡一さんが五大ゆうさんらの後継続編を好評価されていたことですね。ワタシの評価は真逆なので、面白いものだなと思いました。いや、ワタシからはその場で何もコメントしなかったんですけどね。グインの後継続編は、文章はきれいだと思うし、ストーリーの展開にも納得できる。それなのに、栗本薫本人のそれのように、胸躍るワクワク感を感じられない。ひたすら苦行のように文章を追うだけで愉悦というものを味わえず、「グイン・サーガ・ワールド」の連載だけで、読むのをやめてしまいました。こればっかりは相性とでも云うほかありません。いずれリトライしようとは思いますが。栗本薫もツッコミどころの多い作家です。平井和正に比べれば可愛いものですが。やはりストーリーテラーとしてのスケールの大きさと、ディティールの大雑把さはセットなのだと思う。スキのない緻密な小説を書く作家にグイン・サーガは書けなかったし、幻魔大戦も書けなかった。考えてみれば、『幻魔大戦Rebirth』と通じる試みですね。欠点も多い天才型の作家の大作を、それに学び、育てられた秀才型の作家が受け継ぐ。……これをなんで、その場で思いついて、口にできないかなぁ。まったく頭と口先の反射神経の鈍さよ。自己嫌悪を禁じ得ませんね。ライブ本編ももちろん愉しいものでしたが、レポートをお求めの方には申し訳ありませんが、特にワタシが書いておきたいと思うことはありません。平井和正の思想や信仰の変遷、物語の中身にまで突っ込んだ話にはならなかったし、またそれは当然で、そこまでやるには二時間では少なすぎる。もしかなうなら、一作品、一シリーズごとに、こういう企画をやってもらいたいところではあります。まあ、自分が探し求める答えは、自分で探すしかないということでしょう。いずれグランドライン後半の平井和正作品の大海原へ、再び漕ぎ出してみようではないかと思っております。なかなかの大冒険ですよ。とは云え、スケジュール的に向こう数カ月は、幻魔大戦の再読で押さえられてるんですけどね。その話はまたあらためて。【おまけ】画像は会場で即売していた『幻魔大戦Rebirth』4巻にいただいたサイン。下が空いているのは、早瀬マサト先生用のスペースだそうですが、そういうチャンスに都合よく持ち合わせているだろうか。とっくにコミックスは買って所持しているのですが、アイドルヲタをやっていると、こういう出費がまったく惜しくなくなる。なにしろ、好きなアイドルのCDを1枚しか買わないとは何事だ、と云われる世界ですから。これが小説界にも常識になれば、少しは出版業界も潤うんでしょうけどね。 言霊を引用 Re: 日下三蔵の昭和SF&ミステリ秘宝館 平井和正編 Part.2 - Name: 実は各駅停車で二駅下ったところに住んでいた幻魔大戦ジプシー No.1469 - 2017/02/19(Sun) 13:23:04 カナメさん、申し訳ありません。小太りだとは思いませんでしたが、皮ジャンを着ていた方がいらっしゃったので、たぶんカナメさんなのかなと思いつつも、名乗り出たらインタビュー・タイムリーパーをエッセイ・タイムリープと間違えたことを咎められるのではないかと思い、名乗り出られませんでした。ほとぼりが冷めた頃に機会があれば名乗りでたいと思います。ところで、私、とある方がご近所様だったことがわかってしまいました。「カナメ君はトルテックを読んで戻ってきたみたいだよ」と仰っていたので、カナメさんもご存知の方だと思います。ネットで読んだことのないお話を電車の中で伺ってしまったり、私が如何にして石ノ森章太郎ファンになってしまったのかなどをお話しさせて頂きました。昔お盆と正月にやっていた映画とか去年の9月に長期連載が終了したジャンプの漫画で町おこしをしている辺りなのですが、まさか、平井和正ゆかりの場所だったとは露とも知りませんでした。ご近所迷惑になるので、今後、ネタバレはできるだけ控えるように致します。ライブの内容や懇親会のお話を伺い、自分は平井和正とかSF作家というものに対して思い違いをしていたことを知りました。累計2000万部以上を売上げたという幻魔大戦の読者はどこに行ってしまったのかと思っていましたが、生き残っているファンや関係者を実際にみて、逆についていけなくなって離れた人のブログの内容を読み比べてみると、今のような状態になっているのは自然な成り行きだということがわかりました。私が感心してしまったのが七月鏡一先生の素直さですね。私もハルマゲドンの少女を昔読みましたが、未完の帝王の異名を知った状態で読んだので、思い付きを書きなぐっているのだと気にせず読み飛ばしていました。先生の御解釈でRebirthの展開がどうなるのか、旧作との辻褄チェックをしながら楽しんでいきたいと思います。さて、せっかくライブで聞いた裏話があるので、レポートを書かせて頂きました。それなりに推敲したつもりですが、書き間違いなどあると思います。その時は、ご容赦のほど何卒宜しくお願い致します。=====================================================================【1】.角川幻魔について角川幻魔大戦は、無印幻魔大戦/ハルマゲドンで完結はしなかったものの、ハルマゲドンの少女のビッグアップ壊滅で描かれている顛末が、初期の構想としては正しいと思われる。ハルマゲドンの少女で角川幻魔は決着を得たと考えている。ハルマゲドンの少女には、平井和正は幾つかアイディアの投入を行っていて、他の幻魔大戦シリーズにはまだ出ていないキーワードがチラチラ出てくる。七月鏡一先生としてはそれをどうするかが悩ましいと感じている。【2】.地球樹の女神以降の平井和正平井和正が終生こだわり、平井和正の作品で共通して描かれているテーマの重要なキーワードは母親。母親とうまくいっていなかったので、平井和正の中では、「自分には実は本当の母親がいるのではないだろうか」と思っていて、母親を探すとか母親が敵に回るとか実は本当の母親がいるとかいう話が目立つ。地球樹の女神を書く前に、伊邪那美神(イザナミ)と火之迦具土神(ヒノカグツチ) を祀る神社に参詣して、構想を練っていた。大手出版社と揉めて、地球樹の女神は角川では6巻で終わり、徳間で出しなおして13巻(実質14巻分)まで行って、アスキー(アスペクトノベルス)で出し直すも6冊で中断。幻魔大戦も同様だった。過去で出たシリーズものを出版社を変えて出し直すというのは難しい。出版社を変えてしまうと、ファンが既に持っているため買ってくれないため、出版社の体力が持たない(<=平井和正の作品が一般の書店で置かれなくなっていったことの原因の一つ)。大手でない出版社からもいくつか出していて、リム出版の平井和正全集も途中で頓挫してしまっている。これ以降、地球樹の女神クラスの長さの物が多い。ボヘミアンガラス・ストリート:パソコン通信の電子書籍。秘密結社も特殊部隊も襲ってこないラブコメだった。全9巻。パソコン通信ニフティサーブでの初出の際、著者名が「MASK−MAN」と伏せられていて「作者は誰でしょう?」という作者当てクイズをやっていた。七月鏡一先生はそれを読んで「文体や文章の癖やウルフ様というセリフが出てくるので、どう考えても平井和正だよなあ?」と思って解答した。それが平井和正と直に会うきっかけとなり、後々の8マン・インフィニティにつながる。月光魔術團:ウルフガイシリーズに属する作品。とても長い。ラノベを意識してかわいいキャラを泉谷あゆみに描かせていた。全30巻。時空暴走気まぐれバス/ABDUCTION 拉致:同じ時空を繰り返すというテーマを突き詰めていったもの。これが後々に幻魔大戦に合流していく。全20冊インフィニティ・ブルー:エイトマンアフターの話だが、色々と伏せれたカードが多い作品だった。あれは本当のさち子さんなのかという謎は多かった。駿台曜曜社で4巻。集英社では上下巻で出た。フルーハイウェイとブルーレディ:アメリカに帰ったエイトマンの話。どちらもマシナリーというテーマだが、話のつながりが明確でない。ブルーレディは、魔女エスパーなどの魔女キャラに蹴りをつけた。その日の午後、砲台山で:幻魔大戦deepの序曲となる作品。四騎忍と化した平井和正が東三千子に東丈を探してくださいと依頼される。平井和正宇宙に行って、無印幻魔大戦で矢頭に襲われる杉村由紀を助けて、ボヘミアンガラス・ストリートの世界に行って、最後に東丈が一言も発しない三歳児となって現れる。カスタネダの話が合流した幻魔大戦deepトルテックは、ウルフガイのキャラも出てくる非常に集大成的な作品となっている。最後にとあるラスボスを登場させて石森幻魔大戦にグルっとくっつけてしまった(実はそのラスボスは幻魔大戦Rebirthに既に登場している)。振り返るとハルマゲドンの少女あたりで、少年マガジンの内容を踏襲したセリフのやり取りがあり、deepとトルテックでその展開を踏まえている(幻魔大戦3最初の戦闘でも丈・ルナ・ソニーがドク・タイガーに見覚えがあると思うシーンがある)。平井和正のご長男に他に未発表の作品はないかを聞いたが、2DDの5インチフロッピーに保存されているため、いまどき読める機械がない。実際にどうやったら読めるかわからないが、たぶん、OASIS 専用機でPlain Textファイルとして読み込ませるか、エクスポートすることから始めないといけないと思う。フロッピーはカビでダメになりやすいので、早くサルベージ出来ると良いなと思っている。【3】.8マン・インフィニティの中断についてエイケンが記念作品として8マンのリメイクの引き合いを内田勝に打診し企画が始まった。この時に平井和正から七月先生に声が掛かり、月刊マガジンZでの連載に至る(あまり人気が出ず第一部で終わってしまう)。ウルフガイや幻魔大戦のブームの読者を連れてこようと思って80年代の小説のキャラを出した。アニメ化を意識していたが、結局、アニメ化は実現しなかった。形にならなかったアニメ化や映像化の話は多かったが、平井和正がこれだと思わない企画が多かった。戦後の3大ロボットアニメと言えば、鉄腕アトム、鉄人28号、8マン。しかし、8マンにはすごい弱点があった。鉄腕アトムも鉄人28号も80年代にリメイクされている。8マンも80年代にアニメ化の話があったが、平井和正が承認せずに実現に至らなかった。鉄腕アトム、鉄人28号は80年代のアニメ化により世代に渡る記憶が継承されたが、8マンはそれがなされなかった。8マンのそれ以外の映像化8マン・すべての寂しい夜のために:あまりのチャチさで伝説となった東京ドームでのイベント公開映画。ほとんど一般客はおらず、椅子がパイプ椅子だったらしい。その後、リム出版は倒産。OVAのエイトマンAFTER:ライブでは特にコメントはなかった。【4】.幻魔大戦 裏話1989年の地球樹の女神・改竄発覚で平井和正は角川から引き上げていたが、2005年ごろには平井和正と角川書店は和解に合意していた。コミックチャージから漫画作品として幻魔大戦の引き合いがあり、平井和正と七月鏡一先生が打ち合わせをして企画を練っていたが、コミックチャージが休載したため、話が立ち消えになった。【5】.幻魔大戦 Rebirth 裏話2004年ごろ某テレビ局で石森プロに幻魔大戦のアニメ化の企画話が持ち上がった(具体的にどこのテレビ局かは、次のURLのインターネットラジオの17:35 - 18:30を聴くと、大体わかります。http://sokoani.com/archives/9459.html)。平井和正の声がけで七月鏡一先生が参加し、石森プロに通ってシリーズ構成案を出した(月が落ちてきたところまでやろうとしていた)。石森プロからも東丈とプリンセス・ルナのキャラデザが2パターン上がってきた。七月鏡一先生は早瀬マサト先生とその時に知り合った。某テレビ局のプロデューサーが「これで行きましょう。ただし来月うちの局で異動がありまして、私が現在の部署に残っておりましたらGOということで」と言ったが、示唆された可能性が現実のものとなり、そのプロデューサーは異動してしまい、話が立ち消えになった。石森プロは小学館でサイボーグ009conclusion GOD'S WARをやっていたが、完結したので、009の次に幻魔大戦をすることになり、七月鏡一先生に声が掛かり脚本を担当することになった。同じ漫画家(石森プロ)の絵だと、同じ漫画(石森章太郎の1967年の少年マガジン版)の書き直しになるから、同じような話を書きながら、小説幻魔大戦と漫画幻魔大戦の宇宙をつなげようということになった(但し、現時点ではリュウ版のルーフとジンは顔見世程度しか動いていない)。リュウ誌で、永井豪司会で平井和正と石森章太郎の対談があり、その中で「いつか合流するかもね」という話は出ていた。七月鏡一先生は「いつかそれを見たいな」と思いつつ、その案は果たされていなかったため、幻魔大戦Rebirthは石森大戦(クロスオーバー)としてやっている。Rebirthで東丈の立ち位置に悩んだ。未熟なんだけど、現代風な子供にした。悟りきらない東丈で行こうと考えている。次から異世界編に入る。異世界編から帰ってきてから最終的な戦いになる予定。石ノ森章太郎の作品からどのキャラをカメオ出演やゲスト出演させるかスターシステム的にレギュラー出演させるかは、早瀬マサト先生に寄りかかってやっている。石森章太郎がエスパーを描く時、超能力を得る代償に何か失い、不幸な運命を背負わされる(醜い姿になるとか大切な肉親や恋人を失うなど)。「超能力と引き換えに背負わされる不幸な運命」というのは幻魔大戦Rebirthでもキーワードだと考えている。石森プロから幻魔大戦Rebirthにゲストとして出してよいとOKをもらっているのは、・イワン・ウィスキー・ミュータント・サブ・さるとびエッちゃんの3キャラクター。(少年マガジン版幻魔大戦のラストにはボンボンも出てくるが、ゲスト出演の許可は未確認)石森章太郎はエスパーエッちゃん(読売水曜日版)で、未来からやってきたエスパーのリーダーを東丈にすごくそっくりにキャラデザしている。しかも学ランを着ている。東丈が未来から来た超能力者という設定にはしないが、そのうち、ベストなタイミングでエッちゃんは出す予定。小説幻魔大戦の補完が、七月鏡一先生自身の解釈による補完になってしまうところが悩みどころ。Rebirthのオリジナル・キャラで成功したと思っているのはスミス。このキャラを登場させて、ザメディに繋げられたのは嬉しかった。ただ、早瀬マサト先生はニューヨークを描くのは大変だった。異世界編で戦艦を描いてもらうのだけれども、これも大変そう(ちょっと心配そうなトーンで仰っていました)。ライブ客席からの質問?@:3巻でスカールの名前が伏せられているのはなぜ。回答:伏せることで、読者自身がスカールという名前を想像してほしかった。版権の事情でそうしているわけではない。Rebirthではブラックゴーストのサイボーグ計画は初期段階で潰えて、002から009の8人は拉致・改造手術されずに、それぞれの人生を歩んだということになっている。ライブ客席からの質問?A:少年マガジン版のフロイは犬の姿をした異星人の超能力者だが、小説版では高次元意識。Rebirthのフロイはどのような位置づけになっているのか。回答:漫画と小説の差異を洗い出したときに一番大きかった差異がフロイだった。Rebirthではニューヨークのザメディ戦でステラの前に、犬のフロイがイワンを跨らせて既に登場している。野生時代版幻魔大戦7(浄化の時代)で、江田四朗にさらわれた久保陽子を探す東三千子が霊体として現れる巨大なセントバーナード犬から「あなたは私とここで看視してはどうか?あなたは看視者になるのだ」と啓示を受けるシーンがある。それを踏まえて、Rebirth流に統合した設定でフロイがいずれ登場する予定。ライブ客席からの質問?B:Web公開だが作品の評価はどうなされているのか。作品へのアクセス数をカウントして、ランキングを出している。Web連載では応援として感想をSubmitしてもらえると、読者の反応がわかりやすいから助かる。応援は七月鏡一先生も早瀬マサト先生も担当の編集者も一通り全て目を通している。今月末のリリースから犬の帝国編になる。真幻魔大戦第三部には「7つの地底都市」、“雲の人”、“悪しき者”などキーワードはいっぱいある。 生頼範義は平井和正から作品の先の展開を聞いてからイラストを描いていたが、SFアドベンチャー増刊のムック「平井和正の幻魔宇宙?W」の表紙イラストでは、失神しているクロノスの右手首を、磔にされているはずのジョージドナーが右頬に充ててしゃがんでいて、黄金の獣神がツルイ・ヘフスイ率いる戦艦を迎え撃とうとしている。このイラストを画集で見ると、上空には月が2つある。「地下帝国に幻魔はいそうだけど、結局いるのか?いないのか?」などどうしようかと悩みながら書いている。平井和正が亡くなられて2014年の第35回日本SF大賞で功績賞を贈ることには誰も反対せず満場一致で決定した。2015年の第36回の生頼範義 功績賞も同様。そして今年とうとう30年ぶりの雪解けに至りそう。以上。=====================================================================私も余白ページの下半分のところに早瀬マサト先生のサインがほしいです。サイン会が開かれると良いですね。 Re: 日下三蔵の昭和SF&ミステリ秘宝館 平井和正編 Part.2 - Name: カナメ No.1470 - 2017/02/19(Sun) 19:24:43 幻魔大戦ジプシーさん、めっちゃ詳細なレポート、ありがとうございます。ワタシはこういうのができないんですよねえ、面倒くさがりで。小太りに見えませんでしたか。それは嬉しいなあ、ダイエットに励んだ甲斐がありました。タイムリープの件は全然気にしてませんよ。あれは普通に考えて、筒井さんに軍配だと思います。ワタシもこのひとじゃないかという見当はあったのですが、シャイが出てしまってお声がけできませんでした、すみません。ワタシの知人と知り合われたのですね。また、お会いする機会でもあれば、お話しを聞かせてください。
カナメさん、申し訳ありません。小太りだとは思いませんでしたが、皮ジャンを着ていた方がいらっしゃったので、たぶんカナメさんなのかなと思いつつも、名乗り出たらインタビュー・タイムリーパーをエッセイ・タイムリープと間違えたことを咎められるのではないかと思い、名乗り出られませんでした。ほとぼりが冷めた頃に機会があれば名乗りでたいと思います。ところで、私、とある方がご近所様だったことがわかってしまいました。「カナメ君はトルテックを読んで戻ってきたみたいだよ」と仰っていたので、カナメさんもご存知の方だと思います。ネットで読んだことのないお話を電車の中で伺ってしまったり、私が如何にして石ノ森章太郎ファンになってしまったのかなどをお話しさせて頂きました。昔お盆と正月にやっていた映画とか去年の9月に長期連載が終了したジャンプの漫画で町おこしをしている辺りなのですが、まさか、平井和正ゆかりの場所だったとは露とも知りませんでした。ご近所迷惑になるので、今後、ネタバレはできるだけ控えるように致します。ライブの内容や懇親会のお話を伺い、自分は平井和正とかSF作家というものに対して思い違いをしていたことを知りました。累計2000万部以上を売上げたという幻魔大戦の読者はどこに行ってしまったのかと思っていましたが、生き残っているファンや関係者を実際にみて、逆についていけなくなって離れた人のブログの内容を読み比べてみると、今のような状態になっているのは自然な成り行きだということがわかりました。私が感心してしまったのが七月鏡一先生の素直さですね。私もハルマゲドンの少女を昔読みましたが、未完の帝王の異名を知った状態で読んだので、思い付きを書きなぐっているのだと気にせず読み飛ばしていました。先生の御解釈でRebirthの展開がどうなるのか、旧作との辻褄チェックをしながら楽しんでいきたいと思います。さて、せっかくライブで聞いた裏話があるので、レポートを書かせて頂きました。それなりに推敲したつもりですが、書き間違いなどあると思います。その時は、ご容赦のほど何卒宜しくお願い致します。=====================================================================【1】.角川幻魔について角川幻魔大戦は、無印幻魔大戦/ハルマゲドンで完結はしなかったものの、ハルマゲドンの少女のビッグアップ壊滅で描かれている顛末が、初期の構想としては正しいと思われる。ハルマゲドンの少女で角川幻魔は決着を得たと考えている。ハルマゲドンの少女には、平井和正は幾つかアイディアの投入を行っていて、他の幻魔大戦シリーズにはまだ出ていないキーワードがチラチラ出てくる。七月鏡一先生としてはそれをどうするかが悩ましいと感じている。【2】.地球樹の女神以降の平井和正平井和正が終生こだわり、平井和正の作品で共通して描かれているテーマの重要なキーワードは母親。母親とうまくいっていなかったので、平井和正の中では、「自分には実は本当の母親がいるのではないだろうか」と思っていて、母親を探すとか母親が敵に回るとか実は本当の母親がいるとかいう話が目立つ。地球樹の女神を書く前に、伊邪那美神(イザナミ)と火之迦具土神(ヒノカグツチ) を祀る神社に参詣して、構想を練っていた。大手出版社と揉めて、地球樹の女神は角川では6巻で終わり、徳間で出しなおして13巻(実質14巻分)まで行って、アスキー(アスペクトノベルス)で出し直すも6冊で中断。幻魔大戦も同様だった。過去で出たシリーズものを出版社を変えて出し直すというのは難しい。出版社を変えてしまうと、ファンが既に持っているため買ってくれないため、出版社の体力が持たない(<=平井和正の作品が一般の書店で置かれなくなっていったことの原因の一つ)。大手でない出版社からもいくつか出していて、リム出版の平井和正全集も途中で頓挫してしまっている。これ以降、地球樹の女神クラスの長さの物が多い。ボヘミアンガラス・ストリート:パソコン通信の電子書籍。秘密結社も特殊部隊も襲ってこないラブコメだった。全9巻。パソコン通信ニフティサーブでの初出の際、著者名が「MASK−MAN」と伏せられていて「作者は誰でしょう?」という作者当てクイズをやっていた。七月鏡一先生はそれを読んで「文体や文章の癖やウルフ様というセリフが出てくるので、どう考えても平井和正だよなあ?」と思って解答した。それが平井和正と直に会うきっかけとなり、後々の8マン・インフィニティにつながる。月光魔術團:ウルフガイシリーズに属する作品。とても長い。ラノベを意識してかわいいキャラを泉谷あゆみに描かせていた。全30巻。時空暴走気まぐれバス/ABDUCTION 拉致:同じ時空を繰り返すというテーマを突き詰めていったもの。これが後々に幻魔大戦に合流していく。全20冊インフィニティ・ブルー:エイトマンアフターの話だが、色々と伏せれたカードが多い作品だった。あれは本当のさち子さんなのかという謎は多かった。駿台曜曜社で4巻。集英社では上下巻で出た。フルーハイウェイとブルーレディ:アメリカに帰ったエイトマンの話。どちらもマシナリーというテーマだが、話のつながりが明確でない。ブルーレディは、魔女エスパーなどの魔女キャラに蹴りをつけた。その日の午後、砲台山で:幻魔大戦deepの序曲となる作品。四騎忍と化した平井和正が東三千子に東丈を探してくださいと依頼される。平井和正宇宙に行って、無印幻魔大戦で矢頭に襲われる杉村由紀を助けて、ボヘミアンガラス・ストリートの世界に行って、最後に東丈が一言も発しない三歳児となって現れる。カスタネダの話が合流した幻魔大戦deepトルテックは、ウルフガイのキャラも出てくる非常に集大成的な作品となっている。最後にとあるラスボスを登場させて石森幻魔大戦にグルっとくっつけてしまった(実はそのラスボスは幻魔大戦Rebirthに既に登場している)。振り返るとハルマゲドンの少女あたりで、少年マガジンの内容を踏襲したセリフのやり取りがあり、deepとトルテックでその展開を踏まえている(幻魔大戦3最初の戦闘でも丈・ルナ・ソニーがドク・タイガーに見覚えがあると思うシーンがある)。平井和正のご長男に他に未発表の作品はないかを聞いたが、2DDの5インチフロッピーに保存されているため、いまどき読める機械がない。実際にどうやったら読めるかわからないが、たぶん、OASIS 専用機でPlain Textファイルとして読み込ませるか、エクスポートすることから始めないといけないと思う。フロッピーはカビでダメになりやすいので、早くサルベージ出来ると良いなと思っている。【3】.8マン・インフィニティの中断についてエイケンが記念作品として8マンのリメイクの引き合いを内田勝に打診し企画が始まった。この時に平井和正から七月先生に声が掛かり、月刊マガジンZでの連載に至る(あまり人気が出ず第一部で終わってしまう)。ウルフガイや幻魔大戦のブームの読者を連れてこようと思って80年代の小説のキャラを出した。アニメ化を意識していたが、結局、アニメ化は実現しなかった。形にならなかったアニメ化や映像化の話は多かったが、平井和正がこれだと思わない企画が多かった。戦後の3大ロボットアニメと言えば、鉄腕アトム、鉄人28号、8マン。しかし、8マンにはすごい弱点があった。鉄腕アトムも鉄人28号も80年代にリメイクされている。8マンも80年代にアニメ化の話があったが、平井和正が承認せずに実現に至らなかった。鉄腕アトム、鉄人28号は80年代のアニメ化により世代に渡る記憶が継承されたが、8マンはそれがなされなかった。8マンのそれ以外の映像化8マン・すべての寂しい夜のために:あまりのチャチさで伝説となった東京ドームでのイベント公開映画。ほとんど一般客はおらず、椅子がパイプ椅子だったらしい。その後、リム出版は倒産。OVAのエイトマンAFTER:ライブでは特にコメントはなかった。【4】.幻魔大戦 裏話1989年の地球樹の女神・改竄発覚で平井和正は角川から引き上げていたが、2005年ごろには平井和正と角川書店は和解に合意していた。コミックチャージから漫画作品として幻魔大戦の引き合いがあり、平井和正と七月鏡一先生が打ち合わせをして企画を練っていたが、コミックチャージが休載したため、話が立ち消えになった。【5】.幻魔大戦 Rebirth 裏話2004年ごろ某テレビ局で石森プロに幻魔大戦のアニメ化の企画話が持ち上がった(具体的にどこのテレビ局かは、次のURLのインターネットラジオの17:35 - 18:30を聴くと、大体わかります。http://sokoani.com/archives/9459.html)。平井和正の声がけで七月鏡一先生が参加し、石森プロに通ってシリーズ構成案を出した(月が落ちてきたところまでやろうとしていた)。石森プロからも東丈とプリンセス・ルナのキャラデザが2パターン上がってきた。七月鏡一先生は早瀬マサト先生とその時に知り合った。某テレビ局のプロデューサーが「これで行きましょう。ただし来月うちの局で異動がありまして、私が現在の部署に残っておりましたらGOということで」と言ったが、示唆された可能性が現実のものとなり、そのプロデューサーは異動してしまい、話が立ち消えになった。石森プロは小学館でサイボーグ009conclusion GOD'S WARをやっていたが、完結したので、009の次に幻魔大戦をすることになり、七月鏡一先生に声が掛かり脚本を担当することになった。同じ漫画家(石森プロ)の絵だと、同じ漫画(石森章太郎の1967年の少年マガジン版)の書き直しになるから、同じような話を書きながら、小説幻魔大戦と漫画幻魔大戦の宇宙をつなげようということになった(但し、現時点ではリュウ版のルーフとジンは顔見世程度しか動いていない)。リュウ誌で、永井豪司会で平井和正と石森章太郎の対談があり、その中で「いつか合流するかもね」という話は出ていた。七月鏡一先生は「いつかそれを見たいな」と思いつつ、その案は果たされていなかったため、幻魔大戦Rebirthは石森大戦(クロスオーバー)としてやっている。Rebirthで東丈の立ち位置に悩んだ。未熟なんだけど、現代風な子供にした。悟りきらない東丈で行こうと考えている。次から異世界編に入る。異世界編から帰ってきてから最終的な戦いになる予定。石ノ森章太郎の作品からどのキャラをカメオ出演やゲスト出演させるかスターシステム的にレギュラー出演させるかは、早瀬マサト先生に寄りかかってやっている。石森章太郎がエスパーを描く時、超能力を得る代償に何か失い、不幸な運命を背負わされる(醜い姿になるとか大切な肉親や恋人を失うなど)。「超能力と引き換えに背負わされる不幸な運命」というのは幻魔大戦Rebirthでもキーワードだと考えている。石森プロから幻魔大戦Rebirthにゲストとして出してよいとOKをもらっているのは、・イワン・ウィスキー・ミュータント・サブ・さるとびエッちゃんの3キャラクター。(少年マガジン版幻魔大戦のラストにはボンボンも出てくるが、ゲスト出演の許可は未確認)石森章太郎はエスパーエッちゃん(読売水曜日版)で、未来からやってきたエスパーのリーダーを東丈にすごくそっくりにキャラデザしている。しかも学ランを着ている。東丈が未来から来た超能力者という設定にはしないが、そのうち、ベストなタイミングでエッちゃんは出す予定。小説幻魔大戦の補完が、七月鏡一先生自身の解釈による補完になってしまうところが悩みどころ。Rebirthのオリジナル・キャラで成功したと思っているのはスミス。このキャラを登場させて、ザメディに繋げられたのは嬉しかった。ただ、早瀬マサト先生はニューヨークを描くのは大変だった。異世界編で戦艦を描いてもらうのだけれども、これも大変そう(ちょっと心配そうなトーンで仰っていました)。ライブ客席からの質問?@:3巻でスカールの名前が伏せられているのはなぜ。回答:伏せることで、読者自身がスカールという名前を想像してほしかった。版権の事情でそうしているわけではない。Rebirthではブラックゴーストのサイボーグ計画は初期段階で潰えて、002から009の8人は拉致・改造手術されずに、それぞれの人生を歩んだということになっている。ライブ客席からの質問?A:少年マガジン版のフロイは犬の姿をした異星人の超能力者だが、小説版では高次元意識。Rebirthのフロイはどのような位置づけになっているのか。回答:漫画と小説の差異を洗い出したときに一番大きかった差異がフロイだった。Rebirthではニューヨークのザメディ戦でステラの前に、犬のフロイがイワンを跨らせて既に登場している。野生時代版幻魔大戦7(浄化の時代)で、江田四朗にさらわれた久保陽子を探す東三千子が霊体として現れる巨大なセントバーナード犬から「あなたは私とここで看視してはどうか?あなたは看視者になるのだ」と啓示を受けるシーンがある。それを踏まえて、Rebirth流に統合した設定でフロイがいずれ登場する予定。ライブ客席からの質問?B:Web公開だが作品の評価はどうなされているのか。作品へのアクセス数をカウントして、ランキングを出している。Web連載では応援として感想をSubmitしてもらえると、読者の反応がわかりやすいから助かる。応援は七月鏡一先生も早瀬マサト先生も担当の編集者も一通り全て目を通している。今月末のリリースから犬の帝国編になる。真幻魔大戦第三部には「7つの地底都市」、“雲の人”、“悪しき者”などキーワードはいっぱいある。 生頼範義は平井和正から作品の先の展開を聞いてからイラストを描いていたが、SFアドベンチャー増刊のムック「平井和正の幻魔宇宙?W」の表紙イラストでは、失神しているクロノスの右手首を、磔にされているはずのジョージドナーが右頬に充ててしゃがんでいて、黄金の獣神がツルイ・ヘフスイ率いる戦艦を迎え撃とうとしている。このイラストを画集で見ると、上空には月が2つある。「地下帝国に幻魔はいそうだけど、結局いるのか?いないのか?」などどうしようかと悩みながら書いている。平井和正が亡くなられて2014年の第35回日本SF大賞で功績賞を贈ることには誰も反対せず満場一致で決定した。2015年の第36回の生頼範義 功績賞も同様。そして今年とうとう30年ぶりの雪解けに至りそう。以上。=====================================================================私も余白ページの下半分のところに早瀬マサト先生のサインがほしいです。サイン会が開かれると良いですね。
幻魔大戦ジプシーさん、めっちゃ詳細なレポート、ありがとうございます。ワタシはこういうのができないんですよねえ、面倒くさがりで。小太りに見えませんでしたか。それは嬉しいなあ、ダイエットに励んだ甲斐がありました。タイムリープの件は全然気にしてませんよ。あれは普通に考えて、筒井さんに軍配だと思います。ワタシもこのひとじゃないかという見当はあったのですが、シャイが出てしまってお声がけできませんでした、すみません。ワタシの知人と知り合われたのですね。また、お会いする機会でもあれば、お話しを聞かせてください。
――「悪徳学園」は、ヤング・ウルフガイの原型になった作品ですね。平井 その前に書いた「狼男だよ」を講談社の内田勝さんが読んで、これを少年漫画でやったらどうかという話がきたんです。それで「悪徳学園」を書いて、漫画の「ウルフガイ」の連載を始めました。この漫画の原作も最初から小説のかたちで書いていたんですが、それを発表したのが「狼の紋章」「狼の怨歌」になります。平井和正自作を語る 「“まるごと人間性”への認識」ドアタマで云うてはりますね(笑)。ワタシとしたことが。これ、e文庫版電子書籍の『悪徳学園』に収録されてたんですよ。これを見逃すとは。でも、お陰でなつかしいひとも来てくれたし、まいっか。ただ残念なことに、現在アマゾン等で買える電子書籍の『悪徳学園』には、なぜか収録されてないんですよねえ。なんで外したんだろ? すごく読み応えのある内容なのに。巻末インタビュー増補版とか、しれっと出してくんないかな。 言霊を引用 Re: 平井和正自作を語る 「“まるごと人間性”への認識」 - Name: 弘田幸治 No.1468 - 2017/02/19(Sun) 03:11:41 「“まるごと人間性”への認識」、e文庫版は知らないのですが、リム出版版なら俺も読んでるはずで、それなのにぜんぜん覚えてませんでした(笑)。なるほど。 アダルトが先!というのはカナメさんの言うとおりでしたね。 混乱させてしまい、申し訳ありませんでした。
「“まるごと人間性”への認識」、e文庫版は知らないのですが、リム出版版なら俺も読んでるはずで、それなのにぜんぜん覚えてませんでした(笑)。なるほど。 アダルトが先!というのはカナメさんの言うとおりでしたね。 混乱させてしまい、申し訳ありませんでした。
弘田さん、おひさです。> あと、ウルフガイは短編が元じゃありませんでしたっけ? 少年と女教師の。もうひとつの少年ウルフガイ『悪徳学園』の発表時期ですが、アダルトウルフガイの第一作と比べますと、以下のようになっております。●夜と月と狼 プレイコミック 1969.3.10(2巻5号)●悪徳学園 SFマガジン 1969.10臨時増刊(10巻11号=通巻126号)こちらも雑誌発売時期だけを見れば、アダルトが先といっていいように思われます。ところが実は『悪徳学園』には因縁があります。収録短編集のあとがきにも書かれ、知られた話ではありますが、『悪徳学園』は中学生対象の学習雑誌の依頼を受けて書かれました。当然のごとく掲載は断られ、その後、SFマガジンに掲載されることになるのですが――ちなみにこれが内田勝氏の眼に止まり、のちの少年ウルフガイシリーズへと実を結ぶことになります――この間にどれくらいの時間経過があったのか? それによっては、両者の執筆順の前後は微妙ということになりそうです。どちらが先に書かれたのか、それについて触れたエッセイ等は、ワタシの知る限りなかったように思います。ざっと調べてみましたが、やはりわかりませんでした。「犬神明もアダルトが先!」はあくまで、『狼の紋章』の犬神明と比べて、と解釈いただければと、苦しい言い訳をして締めたいと思います。さて、ここからは蛇足。このテキストを書くのに、短編集「悪徳学園」のあとがきを読み返したのですが、気になるこんな記述を見つけました。もっと〈まともな〉作品を渡すことを約し、編集者氏が安堵して帰ったあと、没にされた不快感どころか笑い転げてしまいました。その〈まともな〉作品が、「中二時代」1969.5(14巻2号)の付録になった『青い影の美女』(『美女の青い影』の原型)なのかなあ。件の学習雑誌というのが、「時代」(旺文社)であればですが。もしも「コース」(学研)だったら、またドえらい因縁ということになりますね。最後に掲載雑誌等の情報は、おかもとさんのヒライストライブラリーを参考にさせていただきました。毎度お世話になっております。http://hiraist.fan.coocan.jp/index.html 言霊を引用 Re: アダルトが先! - Name: 弘田幸治 No.1460 - 2017/02/18(Sat) 08:18:29 俺の雑な書き込みにご丁寧な応答ありがとうございます。 そうですか。アダルト、ヤングの発表、そんなに近かったんですね。びっくりしました。 俺はてっきり『悪徳学園』から派生したアダルト、内田勝によるヤングの長編化、という順序だとばかり思ってこんでいました。 しかしそうなると、はじめからアダルト、ヤングのニ系統があったことになりますね。はじめからニ系統、という構図があったとすればその意図が気になります。 アダルト、ヤングと、幻魔シリーズもそれを踏襲するわけですから、このニ系統路線って何なんでしょうね。平井風にいえば言霊様は何を考えていたのか。 平井さんが生きていれば、誰かインタビューしてくれたかもしれないと思うと、やはり寂しいものがあります。 そして、どちらの路線が売れたのか、俗物たる俺などは気になってしまいます(笑)。 読書家の叔母は、ウルフガイも幻魔大戦も、ヤング路線は眼中なくて、オンタイム読者といえども当時子供だった俺にはわからない空気なんですよね。 幻魔に関してはなにせヤング路線の方はその内容がマニアックなので、もしかしたらアダルト路線が圧勝かなという気がするんですが、ヤング路線ものちにアニメ化までされるわけですから、売れてないわけでもないだろうし。 いや逆か。冒頭の漫画版のノベライズ部分がアニメ化されたから、爆発的に売れるようになったのかな。アニメは幻魔に勝ってしまって続編つくる気ゼロですしね(笑)。 それにしても、当時の読者、よくもまあ無印幻魔を読みましたよね。あんな(笑)内容なのに。カナメさん初め、アニメから入ったという人たちは違和感どれくらいあったのかな。俺の場合はアダルト・ウルフガイでズッコケた経験があるので(笑)、ああオカルト路線ね、はいはいという気分だった記憶があります。 とはいえ、無印は、読み進むうちに、これは純文からの転向組である平井和正の文学性がもっとも出た作品だ、という感想になりました。 エンタメ小説で、あれ(笑)はないよ。一部のSFファン、ウルフガイまでのファンが忌避した理由の大半は、無印が原因だと思っています。 あと俺が気になるのは、平井和正は自身の文学性を物凄く低評価していた点ですね。 栗本薫初め、戦後生まれで、1980年代に中間小説にとどめを刺した作家たちと、決定的に違うのがその「文学の尻尾」なのに、それを平井和正自身は評価していないようにみえる。これも不思議なんだよなあ。 No.1366で書かせてもらいましたが、世界設定と世界観の混同というものがあったとしたら、平井和正は自作の文学性に自覚がなかった(笑)という可能性がありますね。 「文学の尻尾」付きなんだから、世界観の変化があれば、それに合わせて新キャラ、新設定が必要になったはずです。 漫画に文芸性を吹き込んだ劇画革命以後の手塚治虫だってスターシステムは捨てたのに、よりによって「文学の尻尾」付きの平井和正が、何やってんスか、と今となっても歯がゆい思いがあります。 話が逸れました。 ウルフガイのアダルト、ヤングは初めからのものだった、というのを教えていただき、ありがとうございます。おかもとさんにも感謝。 Re: アダルトが先! - Name: カナメ No.1461 - 2017/02/18(Sat) 08:54:32 もし仮に学習雑誌に『悪徳学園』が掲載されていたとしたら、どうなったでしょうか? それを内田勝氏が見逃してしまう可能性は高く、『狼の紋章』に始まるウルフガイシリーズは、この世に生まれていなかったかもしれない。……そのように、先日お会いした知人は云っていました。それならそれで、『悪徳学園』に始まる一人称の少年ウルフガイが、大シリーズになっていたとも考えられます。そんな別世界がどこかにあるなら、訪れてみたいものです。 Re: アダルトが先! - Name: 弘田幸治 No.1462 - 2017/02/18(Sat) 11:38:51 >それならそれで、『悪徳学園』に始まる一人称の少年ウルフガイが、大シリーズになっていたとも考えられます。そんな別世界がどこかにあるなら、訪れてみたいものです。 それは魅力的な平行宇宙ですね(笑)。 『悪徳学園』の、ちょっとオッサンの入った少年犬神明、大好きなんですよね。ああ、こいつ童貞じゃねーな、みたいな(笑)。 『狼の紋章』の少年犬神明にしろ『(無印)幻魔大戦』の少年東丈にしろ禁欲的すぎてつまんねー男だなと思うところもあるので。 その点『地球樹の女神』の四騎忍は好きでしたね。 Re: アダルトが先! - Name: DONDEN No.1464 - 2017/02/18(Sat) 19:42:38 お久しぶりです。といっても、こちらの掲示板に書き込むのは初めてでしたでしょうか。ウルフガイの後先ですが、リム出版の『悪徳学園』巻末企画、平井和正自作を語る 「“まるごとの人間性”への認識」には、“その前に書いた「狼男だよ」を講談社の内田勝さんが読んで、これを少年漫画でやったらどうかという話がきたんです。それで「悪徳学園」を書いて、漫画の「ウルフガイ」の連載を始めました。”とはっきり順番が語られています。余談ながら、位置づけは難しいですが『虎はねむらない』も考慮はしとくべきかもしれません。原型というには離れすぎた作品ですが…。 Re: アダルトが先! - Name: カナメ No.1465 - 2017/02/18(Sat) 21:40:42 DONDENさん、お久しぶりです。千客万来ですね。トークライブがおこなわれたりして、時ならぬ平井和正ブームなんでしょうか。ワタシも第×次平井和正ブームの真っ最中で、ただいまアダルトウルフガイ絶賛再読中。『人狼白書』を読んでいるところです。大前提が覆りましたね。内田勝さんが読んだのは、そもそも『狼男だよ』なんだ。『悪徳学園』は少年ウルフガイの云わばパイロット版だったんですね。≪学習雑誌に載ってたら少年ウルフガイは生まれなかった説≫は、これでなくなりましたね。『虎はねむらない』には確か「郷子」が出てくるんですよね。ノンSFですが、明かな原型がありますね。こっちでも古本を買ってたと思うんだけど、どこへやったのやら。これも電子書籍が出てたんですけど、買い逃したタイトルのひとつですね。電子書籍がらみではほかにもあるのですが、長くなるので別稿にあらためます。貴重なご指摘、ありがとうございました。これが掲示板のだいご味というものですよ。自分ひとりでブログでもやって、平井和正エッセイを書いていたって、こういうのは絶対に出てこない。読書は孤独な趣味だけど、それでもひとと関わるのは面白いし、大事ですね。
俺の雑な書き込みにご丁寧な応答ありがとうございます。 そうですか。アダルト、ヤングの発表、そんなに近かったんですね。びっくりしました。 俺はてっきり『悪徳学園』から派生したアダルト、内田勝によるヤングの長編化、という順序だとばかり思ってこんでいました。 しかしそうなると、はじめからアダルト、ヤングのニ系統があったことになりますね。はじめからニ系統、という構図があったとすればその意図が気になります。 アダルト、ヤングと、幻魔シリーズもそれを踏襲するわけですから、このニ系統路線って何なんでしょうね。平井風にいえば言霊様は何を考えていたのか。 平井さんが生きていれば、誰かインタビューしてくれたかもしれないと思うと、やはり寂しいものがあります。 そして、どちらの路線が売れたのか、俗物たる俺などは気になってしまいます(笑)。 読書家の叔母は、ウルフガイも幻魔大戦も、ヤング路線は眼中なくて、オンタイム読者といえども当時子供だった俺にはわからない空気なんですよね。 幻魔に関してはなにせヤング路線の方はその内容がマニアックなので、もしかしたらアダルト路線が圧勝かなという気がするんですが、ヤング路線ものちにアニメ化までされるわけですから、売れてないわけでもないだろうし。 いや逆か。冒頭の漫画版のノベライズ部分がアニメ化されたから、爆発的に売れるようになったのかな。アニメは幻魔に勝ってしまって続編つくる気ゼロですしね(笑)。 それにしても、当時の読者、よくもまあ無印幻魔を読みましたよね。あんな(笑)内容なのに。カナメさん初め、アニメから入ったという人たちは違和感どれくらいあったのかな。俺の場合はアダルト・ウルフガイでズッコケた経験があるので(笑)、ああオカルト路線ね、はいはいという気分だった記憶があります。 とはいえ、無印は、読み進むうちに、これは純文からの転向組である平井和正の文学性がもっとも出た作品だ、という感想になりました。 エンタメ小説で、あれ(笑)はないよ。一部のSFファン、ウルフガイまでのファンが忌避した理由の大半は、無印が原因だと思っています。 あと俺が気になるのは、平井和正は自身の文学性を物凄く低評価していた点ですね。 栗本薫初め、戦後生まれで、1980年代に中間小説にとどめを刺した作家たちと、決定的に違うのがその「文学の尻尾」なのに、それを平井和正自身は評価していないようにみえる。これも不思議なんだよなあ。 No.1366で書かせてもらいましたが、世界設定と世界観の混同というものがあったとしたら、平井和正は自作の文学性に自覚がなかった(笑)という可能性がありますね。 「文学の尻尾」付きなんだから、世界観の変化があれば、それに合わせて新キャラ、新設定が必要になったはずです。 漫画に文芸性を吹き込んだ劇画革命以後の手塚治虫だってスターシステムは捨てたのに、よりによって「文学の尻尾」付きの平井和正が、何やってんスか、と今となっても歯がゆい思いがあります。 話が逸れました。 ウルフガイのアダルト、ヤングは初めからのものだった、というのを教えていただき、ありがとうございます。おかもとさんにも感謝。
もし仮に学習雑誌に『悪徳学園』が掲載されていたとしたら、どうなったでしょうか? それを内田勝氏が見逃してしまう可能性は高く、『狼の紋章』に始まるウルフガイシリーズは、この世に生まれていなかったかもしれない。……そのように、先日お会いした知人は云っていました。それならそれで、『悪徳学園』に始まる一人称の少年ウルフガイが、大シリーズになっていたとも考えられます。そんな別世界がどこかにあるなら、訪れてみたいものです。
>それならそれで、『悪徳学園』に始まる一人称の少年ウルフガイが、大シリーズになっていたとも考えられます。そんな別世界がどこかにあるなら、訪れてみたいものです。 それは魅力的な平行宇宙ですね(笑)。 『悪徳学園』の、ちょっとオッサンの入った少年犬神明、大好きなんですよね。ああ、こいつ童貞じゃねーな、みたいな(笑)。 『狼の紋章』の少年犬神明にしろ『(無印)幻魔大戦』の少年東丈にしろ禁欲的すぎてつまんねー男だなと思うところもあるので。 その点『地球樹の女神』の四騎忍は好きでしたね。
お久しぶりです。といっても、こちらの掲示板に書き込むのは初めてでしたでしょうか。ウルフガイの後先ですが、リム出版の『悪徳学園』巻末企画、平井和正自作を語る 「“まるごとの人間性”への認識」には、“その前に書いた「狼男だよ」を講談社の内田勝さんが読んで、これを少年漫画でやったらどうかという話がきたんです。それで「悪徳学園」を書いて、漫画の「ウルフガイ」の連載を始めました。”とはっきり順番が語られています。余談ながら、位置づけは難しいですが『虎はねむらない』も考慮はしとくべきかもしれません。原型というには離れすぎた作品ですが…。
DONDENさん、お久しぶりです。千客万来ですね。トークライブがおこなわれたりして、時ならぬ平井和正ブームなんでしょうか。ワタシも第×次平井和正ブームの真っ最中で、ただいまアダルトウルフガイ絶賛再読中。『人狼白書』を読んでいるところです。大前提が覆りましたね。内田勝さんが読んだのは、そもそも『狼男だよ』なんだ。『悪徳学園』は少年ウルフガイの云わばパイロット版だったんですね。≪学習雑誌に載ってたら少年ウルフガイは生まれなかった説≫は、これでなくなりましたね。『虎はねむらない』には確か「郷子」が出てくるんですよね。ノンSFですが、明かな原型がありますね。こっちでも古本を買ってたと思うんだけど、どこへやったのやら。これも電子書籍が出てたんですけど、買い逃したタイトルのひとつですね。電子書籍がらみではほかにもあるのですが、長くなるので別稿にあらためます。貴重なご指摘、ありがとうございました。これが掲示板のだいご味というものですよ。自分ひとりでブログでもやって、平井和正エッセイを書いていたって、こういうのは絶対に出てこない。読書は孤独な趣味だけど、それでもひとと関わるのは面白いし、大事ですね。
No.1460で触れた、ヤングとアダルトのニ系統という話は、『ウルフガイ』に囚われすぎた見かただったかもしれない。 『エイトマン』と『サイボーグ・ブルース』、ここにもニ系統がある。 この場合、当然漫画(少年向け)が先だ。「ノベライズの時代」といえるだろうか。 後年になるが、『デス・ハンター』→『死霊狩り』もここに入る。 『ウルフガイ』は少年向けと大人向けが(ほぼ)同時期に書かれたようだ。「平行宇宙の時代」 『幻魔大戦』は漫画(少年向け)が先だが、新(大人向け)で少年漫画版を包摂、真で大人向けとして再稼働。 ノベライズは途中で別路線に(無印)。全体でひとつの幻魔ワールドを形作る。「交響曲の時代」 『地球樹の女神』はコア・ストーリー『クリスタル・チャイルド』を生む。「変奏曲の時代」 と分類できるのではないだろうか。 かりにそうだとしたら、なぜ平井和正はこうしたことをするのか。その変遷は何を意味するのか。 俺が考えられる精一杯は、平井和正にとって、「マンガ、小説という器」は充分なものではなかったのかもしれない、ということだ。 そうした「器」から、つねに何かがはみ出してしまう。 それを拾い上げようとすると、ヴァリエーションを生み出してしまう。それでもはみ出してしまう。そんなイメージだ。 ヴァリエーション形態の変遷は、それに肯んじない試行錯誤の歴史だったのではないだろうか。 絶妙な構成力をもっていた作家だが、自身の構成力を越えた何かを生み出そうとし続けた姿勢には、西洋古典音楽の「建築する意思」はみられない。 そこにはつねに渇いた足掻きのような創作のパトスがある。「器」に盛りきれないパトスが。 果たして平井和正はその作家生活において「器」にすべてを盛りきることができたのだろうか。満ち足りたことはあったのだろうか。 俺にはわからない。俺は作家平井和正を看取ることができなかったのだから。 言霊を引用
とあるツイートで、久保陽子の幻魔シリーズ初登場は真幻魔大戦が先だと知りました。びっくりしました。アニメ映画・幻魔大戦公開のみぎり、高校一年の頃に読み始め、以来三十余年、考えたこともありませんでした。そのツイートでは、真幻魔で書かれた高校時代の記述がきっかけとなり、無印幻魔大戦がGENKENの物語になったのだろうと結んでいました。無印・真で久保陽子が初めて登場するそれぞれの掲載誌・月号は以下のとおりです。・真幻魔大戦 3巻 スリーピング・ビューティー SFアドベンチャー 1980年4月号・幻魔大戦 4巻 救世主への道 野性時代 1980年8月号発表順が必ずしも執筆した順とは限りません。ですが、雑誌掲載で4カ月もの時間差は、執筆順においてもやはり真幻魔のアダルト久保陽子が先と考えるのが自然でしょう。無印→真の順で読んでいましたので、アタマが固まっておりました。前々からやろうやろうと思いながら、やっていなかったことがあります。それは無印幻魔と真幻魔を発表順に読むということです。アニメ幻魔からの後追いの読者ですが、オンタイムの読者の気分を追体験してみようと。それをやってりゃ、気付いてたんですよね。真幻魔大戦の電子書籍刊行も順調ですので、これを機に無印幻魔大戦(こちらは全20冊合本版を購入済み)とあわせて、発表順に併読してみようと思います。久保陽子も犬神明もアダルトが先! これはヒライストとして、押さえておくべき知識かもしれません。 言霊を引用 Re: アダルトが先! - Name: 弘田幸治 No.1456 - 2017/02/17(Fri) 00:01:24 オンタイム読者ですが、久保陽子、真が先というのはすっかり忘れていましたね。小説は叔母から借りて読んでいたので、叔母の興味のない無印はずいぶん後に自分で買って読んだんですよね。自分で買った初めての小説は石森章太郎の挿絵も素敵な砂の惑星でそれからハヤカワ文庫のSF漬けでしたから、タイム・ラグが相当あります。無印は挿絵が大友克洋に変わったときに、アニメ化来るなこれは、と予感したことなどを思い出します。あと、ウルフガイは短編が元じゃありませんでしたっけ? 少年と女教師の。うろ覚えですみません。本、諸事情あってすべて処分してしまったので。 Re: アダルトが先! - Name: 弘田幸治 No.1458 - 2017/02/17(Fri) 01:43:03 いやいやいや、待て待て。久保陽子、考えてみれば、俺は単行本派だったので、時系列については厳密に“知っていた”わけではありませんでした。知ったかでしたね。真→無印と読んだだけですね。すみません。
オンタイム読者ですが、久保陽子、真が先というのはすっかり忘れていましたね。小説は叔母から借りて読んでいたので、叔母の興味のない無印はずいぶん後に自分で買って読んだんですよね。自分で買った初めての小説は石森章太郎の挿絵も素敵な砂の惑星でそれからハヤカワ文庫のSF漬けでしたから、タイム・ラグが相当あります。無印は挿絵が大友克洋に変わったときに、アニメ化来るなこれは、と予感したことなどを思い出します。あと、ウルフガイは短編が元じゃありませんでしたっけ? 少年と女教師の。うろ覚えですみません。本、諸事情あってすべて処分してしまったので。
いやいやいや、待て待て。久保陽子、考えてみれば、俺は単行本派だったので、時系列については厳密に“知っていた”わけではありませんでした。知ったかでしたね。真→無印と読んだだけですね。すみません。