まずはワタシの見解を述べておきましょうか。かの人物を「本物」か「ニセ者」かと問われれば、99パーセント後者でしょう。詐話師ないし本気の妄想癖の持ち主だということです。公表された情報を読む限りでは、そう思わざるを得ません。SFアドベンチャー誌の「ウルフランドレポート」というコラムに掲載された「彼のそっくりさんが現われて、周囲に迷惑を及ぼしている」という話なんて、正常な猜疑心を持っていれば、そりゃアンタだろう!? とツッコむしかない、うさん臭さ満点のエピソードです。不思議な人には不思議なことが起こるのではなく、うさん臭い人がうさん臭いことをやっていた、というのが身も蓋もない真実ではなかったかと思います。それでも、「ニセ者」としてのリアル犬神明ことS氏は実在しており、実際にインタビューはおこなわれた。それは紛れもない事実であって、公表されたインタビューそのものがでっち上げ、創作、捏造ではないかという疑惑の余地はまったくありません。平井和正というひとは、そんなウソをつく方ではないし、それは信じるというより知っていると云いたいぐらいです。自分の財布を預けるぐらい誰かに入れ込んでは、苦い別離に至る。それはあの方の宿痾、物悲しい歴史であって、女性カリスマしかり、リム出版社長しかり、超大作でデビューした作家しかりです。S氏もまた、そんな人物のひとりとして、カウントできるかもしれません。「自分は犬神の末裔」「満月期には不死身になる」「CIAと暗闘を繰り広げた」……こんな与太話を信じるとしたら、どうかしていると。反平井和正の手合は格好のキテレツ・トンデモ事案として罵倒・嘲笑のネタにし、常識的な親平井和正の読者は「またビョーキが始まったよ」「こういうところさえなけりゃなあ」と困惑する。でも、考えてもらいたいことがあります。それは肝心な一点で、われわれ一般読者は、平井和正と同じ土俵には立っていないということです。それはS氏と直に接したかどうかという一点です。平井和正自身でさえ、あの一連の紙面を読んだだけで、その内容を額面通り信じはしなかったでしょう。平井和正はS氏と直に接し、この人物がこれまでの有象無象の木の芽時の来訪者とは違う、重要なメッセージを託されて自分の前に出現したのだと直感したのでしょう。それは「情報」しか材料のない傍観者には、うかがい知ることのできない領域です。それがあとでイヤほど後悔する、あまりアテにならない直感、第六感であったとしてもです(苦笑)。とまあ、いまでこそこんなことを云ってますが、もっと若く、もっと純真だったころは、もっと違うリアクションをしていました(苦笑)。こんなワタシでも、歳をとると多少は分別臭くなるもんです。ワタシの黒歴史をご存知の皆さまにおかれましては、どうか大人の分別で見逃していただければ幸甚です。まあ本当に分別ってものがあれば、この話題には決して触れないでしょうけどね。もうひとつは小説のネタにしなかったことである。熱心な平井和正ファンであった俺が一番アタマきたのは後者である。弘田さんのこの視点はなかったですね。読者として、正しいと思います。ワタシにとり平井和正は、エッセイストであり、思想家であり、オカルティストでもあって、それらの文筆、言説、活動も消費の対象にしていました。その差ですね。平たく云えば、ミーハーなのでしょう。それでも、晩年にブログ的に活用していたウルフガイ・ドットコムの「近況」「近況+」は、さっぱり面白くなくて(とてもじゃないが書籍化はムリでしょう)、それを無料でやってんだからゴチャゴチャ云うなよみたいなことを口走ってしまうところに、物書きのとしての堕落を感じて、結構真面目にガッカリはしたものです。怒りのポイントは各々違うものですね。確かに、狼への過剰な思い入れや、新宗教とその教祖への傾倒は、ダイレクトに作品化された。それに対して、高橋留美子作品との出逢いや、リアル犬神明の出現は、作品として実を結んではいません。せいぜい、そのふたつ込みで『女神變生』という一冊のコミックリリーフになったぐらいで。高橋留美子作品との出逢いも、“おもしろユートピア”への開眼が第二次幻魔大戦を終息させたであろうことは、間違いのないところであるにしても、じゃあ続く『黄金の少女』はと云えば、「おもしろ」ではなく「ユートピア」ではさらにない、血と硝煙の匂い漂う男のヒューマンドラマでした。リアル犬神明の出現は、『黄金の少女』の連載が終わったSFアドベンチャー誌の次の号で発表されました。この事件もまた第二次ウルフガイを終わらせたのか? それとも時期がたまたま一致していたに過ぎないのか。その後の創作・作品性に何らかの陰を落としたのか、そうでもなかったのか。いまのワタシには、述べるに足る考えの持ち合わせがありません。小説のキャラクターが現実に現われた、そのキテレツさはスルーし、自分の前に現われたその人物の印象、直感で、真面目にその人物の話に耳を傾けてしまう。それが平井和正というリアル犬神明に負けてないビックリ人間なのです。そんなひとだからこそ、まあ良くも悪くもビックリな作品(笑)が書けたのだと、読者のハシクレとして、ワタシはこの一件をゆる〜く受けとめています。ちなみに、大槻ケンヂの例の歌、『奇妙に過ぎるケース』ですが、二番以降で小説家でもあるオーケンの前にも「あなたの小説の作中人物だ」と称する女が現われます。驚くなかれ、オーケンは彼女を「本物」と認め(笑)ます。つまり、リアル犬神明は導入のネタフリなのですね。どういう結末を迎えるか気になる方は、この歌だけでもダウンロードして聴いてみてください。平井せんせいも、犬神明が夢枕に立ったというのは作り話で、実はモデルがいたんだ――そう云ったほうが、まだしも世間から納得はしてもらえたかもしれませんね。Too much リアルに過ぎるケースさ。 言霊を引用 Re: リアル犬神明事件とは何だったのか。 - Name: カナメ No.1596 - 2019/01/14(Mon) 00:42:19 実家で発掘しました。(新)ウルフ会機関誌「狼火」最終号です。 Re: リアル犬神明事件とは何だったのか。 - Name: カナメ No.1597 - 2019/01/14(Mon) 00:44:28 この表紙を描いたのが、実はこの方なのです。 Re: リアル犬神明事件とは何だったのか。 - Name: カナメ No.1598 - 2019/01/14(Mon) 00:53:59 そして、この方のサイン(爆)。リアル犬神明ことS氏が実在することそれ自体は、疑問の余地はありません。それは南山宏氏や当時のSFアドベンチャー編集者など、幾人もの証人がいますが、ワタシもその一人というわけです。箱根小涌園で開催されたウルフ会全国大会でいただきました。特になにをするわけでもなく、ゲストに招かれたS氏でしたが、サイン会みたいなことになりました。最初にサインを求めた勇気ある会員さんには、感謝を捧げます。まるでヒーローショー。ショーはありませんでしたが。 Re: リアル犬神明事件とは何だったのか。 - Name: 弘田幸治 No.1599 - 2019/01/14(Mon) 10:57:00 リアル犬神明ことS氏の画、いいじゃないですか! 独自の世界観を持ってらっしゃる! ああ……これは平井和正がハマるかもしれない。無理もない。 論理的なメカニズムをもつオカルトが好きな平井和正好みですね。 俺もこの画からアレコレ妄想できる!(笑) Re: リアル犬神明事件とは何だったのか。 - Name: こん No.1600 - 2019/01/17(Thu) 03:11:59 >もうひとつは小説のネタにしなかったことである。女性カリスマからの離反も、小説にしてませんよね。エッセイ「平井和正『幻魔』を考える」などで批判したのみ。小説家なら批判は小説でやれよ、やってほしい、とぼくは思いましたが……。すごくいいネタだと思うけど、エッセイ書いただけで気がすんじゃったのかな?それとも小説だと、自己の作品否定をしかねないネタなのが、本能的に彼から小説化を避けさせたのでしょうか?あるいはハルマゲドン失中後、平井和正にとっては小説にするほどのボルテージは感じられないということだったのでしょうか?1991年から1992年の時期に「平井和正『幻魔』を考える」でカリスマからの決別文をしたためたのは、相当な心境の変化があったと見られますね。この時期、彼の内面でなにが起こったのでしょうね? ハルマゲドン的人類への憎悪が消えたんですかね?「黄金の少女」で自己治療に成功したんでしょうか? 冷戦終了は関係あるのかな?エッセイスト平井和正は独特の魅力がありますが、ぼくは「ガチャ文考」は苦手でしたね。ホームといえる機関紙で、素人を手厳しく断罪する姿勢にはドン引きしました。善悪二元論、正しいか正しくないかのどちらかしかない、物事を峻別する作家ですよね。リアル犬神明事件を含めて、エッセイを書かなければ、また評価の違った作家だったろうなという気もしています。虚実の境を、次第に越えていった作家ですよね。もちろん、そこが面白いのだ、という意見があったとしても、おかしくありませんが。 Re: リアル犬神明事件とは何だったのか。 - Name: DONDEN No.1602 - 2019/01/20(Sun) 01:04:52 この一連の話題には納得しそうになったのですが、考えてみると一応『BACHI・GAMI』がリアル犬神明氏を元ネタにした作品として存在してますね。あくまでリアル犬神明氏の一側面の反映ですが。さらにうっかり失念してたのが、“リアル犬神明事件”は舞台の一つである某T峠がモデルの場所が『地球樹の女神』に登場し、そこを経由して水面下で玉置神社へと連動していった話だったということです。そういう点では、わかりやすい元ネタではないにしても創作・作品性には影響している、と言えると思います。どちらかというと幻魔大戦シリーズは、実体験の検証という側面からか、元ネタの投影がストレートというか、原型を留め過ぎてる気がします。だからそれを基準にすると色々と見落としてしまう部分が大きくなるのではないかとも考えます。 Re: リアル犬神明事件とは何だったのか。 - Name: カナメ No.1603 - 2019/01/20(Sun) 23:54:52 「『“ガチャ文”考』を考える。」というテキストを書いているのですが、これがなかなか歯ごたえがあり過ぎる題材でして……。少々時間がかかりそうです。今頃? というタイミングでアップするかもしれません。力及ばずお蔵に入ったら、ごめんなさい。 Re: リアル犬神明事件とは何だったのか。 - Name: カナメ No.1604 - 2019/01/21(Mon) 00:26:08 DONDENさん、毎度貴重なご指摘、ありがとうございます。云われてみれば、確かにそのとおりです。やはり転んでも(転んだのか?)、ただでは起きない、作家の矜持。しっかり元は取ってたんですね。平井せんせい、ごめんなさいとお詫びしておきます。ひとの意見は聞かないといけませんね。
実家で発掘しました。(新)ウルフ会機関誌「狼火」最終号です。
この表紙を描いたのが、実はこの方なのです。
そして、この方のサイン(爆)。リアル犬神明ことS氏が実在することそれ自体は、疑問の余地はありません。それは南山宏氏や当時のSFアドベンチャー編集者など、幾人もの証人がいますが、ワタシもその一人というわけです。箱根小涌園で開催されたウルフ会全国大会でいただきました。特になにをするわけでもなく、ゲストに招かれたS氏でしたが、サイン会みたいなことになりました。最初にサインを求めた勇気ある会員さんには、感謝を捧げます。まるでヒーローショー。ショーはありませんでしたが。
リアル犬神明ことS氏の画、いいじゃないですか! 独自の世界観を持ってらっしゃる! ああ……これは平井和正がハマるかもしれない。無理もない。 論理的なメカニズムをもつオカルトが好きな平井和正好みですね。 俺もこの画からアレコレ妄想できる!(笑)
>もうひとつは小説のネタにしなかったことである。女性カリスマからの離反も、小説にしてませんよね。エッセイ「平井和正『幻魔』を考える」などで批判したのみ。小説家なら批判は小説でやれよ、やってほしい、とぼくは思いましたが……。すごくいいネタだと思うけど、エッセイ書いただけで気がすんじゃったのかな?それとも小説だと、自己の作品否定をしかねないネタなのが、本能的に彼から小説化を避けさせたのでしょうか?あるいはハルマゲドン失中後、平井和正にとっては小説にするほどのボルテージは感じられないということだったのでしょうか?1991年から1992年の時期に「平井和正『幻魔』を考える」でカリスマからの決別文をしたためたのは、相当な心境の変化があったと見られますね。この時期、彼の内面でなにが起こったのでしょうね? ハルマゲドン的人類への憎悪が消えたんですかね?「黄金の少女」で自己治療に成功したんでしょうか? 冷戦終了は関係あるのかな?エッセイスト平井和正は独特の魅力がありますが、ぼくは「ガチャ文考」は苦手でしたね。ホームといえる機関紙で、素人を手厳しく断罪する姿勢にはドン引きしました。善悪二元論、正しいか正しくないかのどちらかしかない、物事を峻別する作家ですよね。リアル犬神明事件を含めて、エッセイを書かなければ、また評価の違った作家だったろうなという気もしています。虚実の境を、次第に越えていった作家ですよね。もちろん、そこが面白いのだ、という意見があったとしても、おかしくありませんが。
この一連の話題には納得しそうになったのですが、考えてみると一応『BACHI・GAMI』がリアル犬神明氏を元ネタにした作品として存在してますね。あくまでリアル犬神明氏の一側面の反映ですが。さらにうっかり失念してたのが、“リアル犬神明事件”は舞台の一つである某T峠がモデルの場所が『地球樹の女神』に登場し、そこを経由して水面下で玉置神社へと連動していった話だったということです。そういう点では、わかりやすい元ネタではないにしても創作・作品性には影響している、と言えると思います。どちらかというと幻魔大戦シリーズは、実体験の検証という側面からか、元ネタの投影がストレートというか、原型を留め過ぎてる気がします。だからそれを基準にすると色々と見落としてしまう部分が大きくなるのではないかとも考えます。
「『“ガチャ文”考』を考える。」というテキストを書いているのですが、これがなかなか歯ごたえがあり過ぎる題材でして……。少々時間がかかりそうです。今頃? というタイミングでアップするかもしれません。力及ばずお蔵に入ったら、ごめんなさい。
DONDENさん、毎度貴重なご指摘、ありがとうございます。云われてみれば、確かにそのとおりです。やはり転んでも(転んだのか?)、ただでは起きない、作家の矜持。しっかり元は取ってたんですね。平井せんせい、ごめんなさいとお詫びしておきます。ひとの意見は聞かないといけませんね。
今頃は、ヨコジュンさんを歓迎して「あの世麻雀」※の真っ最中でしょうか。こんさん、投稿ありがとうございます。ご意見、興味深く拝読しました。読者としてのタイプの違い、と云ってしまえばそれまでですが、ワタシはあの方の雑文も好きなのですよ。“平井和正雑文全集”が電子書籍で出たら、欣喜雀躍しますね。まあ、実現性はリアル犬神明氏がホンモノである可能性と同程度に限りなく低いとは思いますが。近頃はスマホアプリのOCRソフトも精度が高いと聞きますし、自分で手当たり次第にテキスト化してやろうかいと目論んでおりやす。平井和正の雑文は、さだまさしのおしゃべりと同じぐらい、もう一方の柱だと思うのですよ。さださんはそっちが本業かもしれませんが……。もとをただせばファンレターの返事を書き過ぎて、小説を書くのがおろそかになってしまうという、無類の文通好きであらせられるわけで。でも、高橋佳子への三行半については、確かにそうだよなぁ、とちょっと思いました。そんな読者サービスの言霊があるんなら、ちょっとでも『ハルマゲドン』の続きでも書いて、読ませてくれりゃいいのに。土屋香、井沢郁江と大ゲンカしてGENKEN離脱!!!読みたい! すンげえ読みたい!(笑)安らかに(?)あの世麻雀も結構ですが、残されたわれわれ読者は困っておりますよ。ほんとにもう。(寄ってたかってカモってたりしてね。)※http://hiraist.fan.coocan.jp/mokuroku/bib/bib5_aa.html#AA103 参照 ヒライストライブラリー http://hiraist.fan.coocan.jp/index.html 言霊を引用
昨年末から、日下三蔵さん編の日本作家短編アンソロジーのシリーズ(全4巻予定)が出始めました。明らかに小学校高学年以上を狙ったハードカバーの叢書ですので、さっそく職場の小学校図書館に入れ始めています。というか、これ図書館が買わなかったらよほどのSFファンの親でもなければ子どもに買い与えたりしそうもないし、図書館が買わずして誰が買う!的なシリーズでもあります。 平井作品の収録作は、2冊目までのところで「人の心はタイムマシン」「ロボットは泣かない」の2編。もし自分から借りて読む子が居たら感想を聞きたいところです。 言霊を引用 Re: SFショートストーリー傑作セレクション - Name: カナメ No.1594 - 2019/01/12(Sat) 12:35:17 SFの灯を現在にリレーする仕掛け人・日下三蔵さんの営為には頭が下がります。昨年暮れは多忙で足を運べませんでしたが、先日無事に『ロボット篇』を書店で買うことができました。いま読書中の真幻魔大戦(月影どの、CRA登場!)のパートの次に、読んでみようと思います。今月末には「次元を駈ける恋」を収録した3冊目、『異次元篇』が刊行されます。未来あるキッズたちに広めてください。
SFの灯を現在にリレーする仕掛け人・日下三蔵さんの営為には頭が下がります。昨年暮れは多忙で足を運べませんでしたが、先日無事に『ロボット篇』を書店で買うことができました。いま読書中の真幻魔大戦(月影どの、CRA登場!)のパートの次に、読んでみようと思います。今月末には「次元を駈ける恋」を収録した3冊目、『異次元篇』が刊行されます。未来あるキッズたちに広めてください。
あけましておめでとうございます。リニューアルして、初の新年を迎えることができました。2018年という年は、平井和正読者的にはたいへんメモリアルな年になりました。早川書房から平井和正の本が出るなんて、歴史的和解といっていいでしょう。それが機運となって、「平井和正氏を偲ぶ会」も開催されました。それから、これは私事に属しますが、それがまんざら無関係でもなく、間接的なきっかけとなって、当掲示板も終了から一転、リニューアルすることになったりもしました。生頼範義展も忘れてはいけませんね。宮崎、明石など、各地で開かれていた展覧会が、東京上野で開催されました。あれから丁度丸一年が経つのですね。ちょっと信じられない気分です。ついこの間のような気がしているので。一年なんて、あっという間。(第二次)幻魔大戦再読の旅も今年中にどこまでいけるか。無印幻魔全二十巻、真幻魔第二部までを目標にしていますが、雑誌掲載一回分をテキスト一本で計算しても、あと16本分あるのですよ。なかなかキビしい行程です。そこから真幻魔第三部があり、ハル少、ハルマゲドンがあって、それらが終わって、ようやくヤングウルフガイ、初期シリーズ全四巻、黄金の少女全五巻にいける。実にワタシの読書のスケジュールは、来年までぎっちり埋まっております(笑)。半額セールの電子書籍で買った合本『鬼平犯科帳』全二十四巻、読み終えるのはいつになることやら。幻魔大戦の発表順を末尾に再録しておきます。驚くべきは、平井和正せんせいの怒涛の執筆ペースですよ。こちらがちょっと文字多めの読書日記を書いてる間に、あちらは小説そのものを一冊分書き上げている。お陰で、あの当時のオンタイムの読者の気分をより忠実に追体験できています。ワタシはアニメ幻魔きっかけの読者で、この時代には乗り遅れてしまったので。ワタシがやっているのは、所詮はちょっと文字多めの読書日記です。これをやることで、ただ漫然と読むだけで済ませるよりも二倍、三倍、消化吸収が良くなり、ワタシ自身がより愉しめるのです。お裾分けと云うのもはばかりですが、お読みいただいた皆さんにも、何かの参考になったり、愉しんでいただけたのなら、望外のよろこびです。本年もよろしくお願いいたします。≪幻魔大戦発表順≫◇ビッグ・プロローグ「SFアドベンチャー」徳間書店 1979.8◇サディスティック・サイキック・タイガー「SFアドベンチャー」徳間書店 1979.10◇スーパー・バロック・プリンセス「SFアドベンチャー」徳間書店 1979.12◆幻魔宇宙「野性時代」角川書店 1979.12◇ザ・ESPファミリー「SFアドベンチャー」徳間書店 1980.2◆超戦士「野性時代」角川書店 1980.2◇スリーピング・ビューティー「SFアドベンチャー」徳間書店 1980.4◆最初の戦闘「野性時代」角川書店 1980.4◇イデオット・プロット「SFアドベンチャー」徳間書店 1980.6◇メサイア・メーカー「SFアドベンチャー」徳間書店 1980.7◇メサイア・メーカー「SFアドベンチャー」徳間書店 1980.8◆救世主への道「野性時代」角川書店 1980.8◇非・円滑化現象「SFアドベンチャー」徳間書店 1980.9◆巡り逢い「野性時代」角川書店 1980.9◇夢魔の寝室「SFアドベンチャー」徳間書店 1980.10◆悪霊教団「野性時代」角川書店 1980.10◇ベアトリスの釵「SFアドベンチャー」徳間書店 1980.11◆浄化の時代「野性時代」角川書店 1980.11◆集結の時「野性時代」角川書店 1980.12◇ビッグ・インタルード◇超能力者たち「SFアドベンチャー」徳間書店 1981.1◆青い暗黒「野性時代」角川書店 1981.1◇サイキック・ゲーム「SFアドベンチャー」徳間書店 1981.2◆超能力戦争「野性時代」角川書店 1981.3◇ソウル・イーター「SFアドベンチャー」徳間書店 1981.4◆闇の波動「野性時代」角川書店 1981.4◇幻魔からの脱出◇時を継ぐ者「SFアドベンチャー」徳間書店 1981.6◆大変動への道「野性時代」角川書店 1981.7←−−−−−−−−−−−−−−−−−−−いまココ◇炎える不死蝶◇播種プロジェクト◇秘密預言書「SFアドベンチャー」徳間書店 1981.8◆魔王の誕生「野性時代」角川書店 1981.9◇預言教団◇超霊媒「SFアドベンチャー」徳間書店 1981.10◆幻魔との接触「野性時代」角川書店 1981.11◇超霊媒◇鬼界漂流◇優里の冒険「SFアドベンチャー」徳間書店 1981.12◆幻魔の標的「野性時代」角川書店 1982.1◇犬神一族◇妖惑者◇再会◇霧の中の巨眼「SFアドベンチャー」徳間書店 1982.3◆光の記憶「野性時代」角川書店 1982.3◆光のネットワーク「野性時代」角川書店 1982.5◇魔の山を行く◇鬼怪の岩場◇再会の二人◇青春彷徨「SFアドベンチャー」徳間書店 1982.6◆ハルマゲドン幻視「野性時代」角川書店 1982.8◇待つ女◇験比べ「SFアドベンチャー」徳間書店 1982.9◇◇ムウの人狼◇◇超空間での誕生◇◇不死身の戦士『平井和正の幻魔宇宙』徳間書店 1982.10◆暗黒の奇蹟「野性時代」角川書店 1982.11◇超絶の死闘◇送り狼◇父と子と◇赤い牙「SFアドベンチャー」徳間書店 1982.12◇激闘! 犬神の里◇時空の関門「SFアドベンチャー」徳間書店 1982.3◆光芒の宇宙「野性時代」角川書店 1983.3◇◇ラチル◇◇洞窟基地◇◇犬の法廷『平井和正の幻魔宇宙 2』徳間書店 1983.10◇◇犬の法廷◇◇暗黒神の供儀◇◇汚辱の記憶◇◇幻魔書◇◇堕天使ルキフェルと遭う◇◇堕天使の息吹◇◇復讐の女神『平井和正の幻魔宇宙 3』徳間書店 1984.4◇◇離散◇◇非常警報◇◇秘密間道◇◇魔神目覚める◇◇超戦士ドナー◇◇黄金の獣神『平井和正の幻魔宇宙 4』徳間書店 1984.10 言霊を引用
弘田さん、こんさん、お久しぶりです。よくぞこのタイミングで、投稿をお寄せくださいました。もうね、ワタシに悪意敵意のある方に、わざわざ活動の場を提供してるだけなのかなあ、ヘナヘナ〜と脱力しているところでしたので。お陰で来年からも、この掲示板を続けていこうという力が湧いてきました。弘田さんの強力サーブに、どんなリターンが返せるか、ちょっと思案させてください。取り急ぎ、お礼まで。やっぱりこれが掲示板の醍醐味ですよ。自分しか書いてないんじゃ、ブログと変わらない。画面いっぱいのテキストの応酬、濃厚コミュニケーション。SNSもいいんですが、いまいち食い足りなさを覚えます。厄介事のリスクもありますけどね。いま起きている問題だって、元をただせばそもそもの因縁は、この掲示板から生まれたわけですし。批判はあっていい。毒もまたしかり。賞讃しか認めない――なんてワタシ自身、云う資格はありません。ただ、その質、語り手の放つ魅力、これは大いに問われるべきでしょう。弘田さんの投稿を読んで、あらためてそのことを思いました。せっかくお越しくださり、お読みいただいている皆さんを、ただ不愉快にさせるだけの毒なんて、ただの毒です。ディナーのテーブルに撒き散らかされた精神的汚物をそのままにするとしたら、それは掲示板の主としての怠慢です。幸い、そのために最も省力かつ適切な対処法があります。ベガの空間干渉波のごとく強力なシステム権限ってやつが。当掲示板には相応しくないと判断した投稿については、リニューアルのときに申し上げた規約的なやつ(No.1559)に宣しましたとおり、きれいさっぱり削除させていただきました。お一人様が都度お名前を替えておられたのか、お名前の数だけ人数がおられたのかは存じませんが、あなたの素晴らしい言説は、どこか別の場所で発表なさってください。文句のひとつもあろうかとは思いますが、以後あなたと思しき投稿は、削除させていただきます。すなわち、出入り禁止です。お互い、無駄な労力は払わずに済ませていただけることを願っております。というか、出入り禁止には、もうすでに一度しているような気がするのですけどね。二度とお目にかかることがありませんように。2018年は上野の生頼範義展に始まって早川での書籍復刊など、平井和正ファン的には何かと盛り上がった一年でした。慶事と比例してトラブルもまた増えるものなのかもしれませんね。税金みたいなもんだと思って、なるべく最小限で済ませるように払っていくことにしましょう。それでは良いお年をお迎えください。 言霊を引用
平井和正がいつから「頭おかしかった」のかは世代論でしかないのかもしれない。 自分の妄想世界にエクスキューズがない、となったのはウルフガイ・シリーズからである。 なにせ「いかに狼が高貴で云々」という作中人物のタワゴトに誰もツッコミを入れないのだ。 この頃から「頭おかしかった」わけだ。 GLA体験を経て書かれた無印幻魔大戦シリーズは、誰が読んでも「頭おかしかった」(笑)。 これはわかりやすい。 リアル犬神明事件に問題があるとすれば、平井和正が「咀嚼」をせずに吐き出してしまったことだ。 「咀嚼」をしないことの問題点はふたつある。 ひとつはナマの「頭おかしかった」平井和正が読者の前に出てしまったことだ。 ウルフガイにしろ幻魔大戦にしろ、作中人物のタワゴトとして読める。しかしリアル犬神明事件はそうではない。 作中人物のタワゴトではない。作者のタワゴトだ。 もうひとつは小説のネタにしなかったことである。 「狼が云々」「幻魔が云々」、作者が「頭おかしかった」にせよ、とりあえず面白い小説になっていた。 「リアル犬神明が云々」は小説にならなかった。 熱心な平井和正ファンであった俺が一番アタマきたのは後者である。 作者が「頭おかしかった」のは熱心な平井和正ファンであれば周知の事実だ。 小説としては「頭おかしかった」のが武器になっていた。 作者がマジで妄想を信じているのが、作品の「迫力」になっていた。 俺が平井和正のなかに私小説作家を視るのはそこにある。 私小説作家たる平井和正が、対談でお茶を濁すとは何事じゃ、堕落しおって、と思ったわけだ。 俺が密かに感謝しているのは、高橋親娘であり、GLAの人々である。 なにせ幻魔大戦のネタになってくれた。平井和正ファンとしては、こんなにありがたいことはない。 リアル犬神明を名乗るオカルトマニアにアタマきたのは、たいしたネタも持たず平井和正の前に現れたことだ。 『さんまのまんま』でさんま師匠が「ネタも持たずにくる女優とかアタマくる」という旨の発言をしていたが、俺はまさにその心境だったのである。 いや、だった、というのは現在から過去をみた話だ。 リアル犬神明はさぞや面白いネタを平井和正に提供してくれるのだろうな、と期待していた。 世界新記録を短距離走者として出してくれてもいいし(ドヤ顔の平井和正)、ぜんぜん足が遅くてもいいし(ショボン顔の平井和正)、まあ何でもよかったのである。 それが平井和正のネタにならず、大槻ケンヂのネタのなる始末である。 当時すでに平井和正はネタ不足だったのだろうな、それで飛びついてしまったのかな、という想像も現在から過去をみた話だ。 その後のネタは、なにせビタミンである、なにせダウジングである、なにせカスタネダである。どんだけネタねーんだよ、と遠くから眺めていたのだ。 平井和正がベストセラー作家から転落するのは、『地球樹の女神』の改竄事件以降であって、リアル犬神明事件は関係ない。(というかリアル犬神明事件を知って衝撃を受けたのはファンだけだ) 『地球樹の女神』は平井作品のなかで一番好きだが、ある種の「迫力」がない、ラストがあんまりだ、ということは俺も認める。それでまあ、一番好きなことは変わりがない。 ベストセラー作家から転落したといっても、売れなくなった、ということではないのは、これもまた周知の事実だ。 なにせ出版不況のただなかにあって、十巻を越える作品をいくつか出版できているのである。 生頼範義期と泉谷あゆみ期との断絶は決定的なものだが、同時に商業出版時代と自費出版時代との断絶も大きいだろう。 なぜ平井和正は自費出版に「引きこもって」しまったのか。 彼が被害妄想をこじらせていた、という話もある。 平井和正以外で、ヒーローがどこかで実在し、それを自分が叙述しているだけだ、という話をしている天才作家がもう一人だけいる。 ロバート・E・ハワードだ。 彼もまた晩年は被害妄想にとりつかれていたという。 ハワードは「引きこもる」のではなく「CENSORED」するのだが、この二人の作家の共通点として見逃せない事実ではないだろうか。 偉大な妄想にとりつかれた作家が、卑小な妄想によって押しつぶされる。 そこに何かかしらの法則が働いているような気がしてならない、と感じてしまう俺は幻魔大戦の読みすぎかな(笑)。 言霊を引用 Re: 平井和正はいつから「頭おかしかった」のか - Name: こん No.1590 - 2018/12/30(Sun) 19:46:54 「いかに狼が高貴で云々」というのがタワゴトというのは、今更ながら、ちょっと目から鱗ですね。結構最初から思い込みの激しい作家だったんですね。作品を書く上で、色々触媒を必要とした作家だったんですね。彼にとり後藤由紀子、高橋留美子、まつもと泉も触媒だったんでしょうね。「幻魔大戦deepトルテック」発表から没年までの数年間、作品が発表されなかったのは、新たな触媒が見つからなかったということでしょうか。読者としては残念な話ではあります。
「いかに狼が高貴で云々」というのがタワゴトというのは、今更ながら、ちょっと目から鱗ですね。結構最初から思い込みの激しい作家だったんですね。作品を書く上で、色々触媒を必要とした作家だったんですね。彼にとり後藤由紀子、高橋留美子、まつもと泉も触媒だったんでしょうね。「幻魔大戦deepトルテック」発表から没年までの数年間、作品が発表されなかったのは、新たな触媒が見つからなかったということでしょうか。読者としては残念な話ではあります。
ツイッターなどでは話題になっていますが、小説『幻魔大戦』の「GENKENパート」の漫画化作品が公開されています(※1)。ネームは20巻までできているそうで(※2)、4巻だけではなく全編を漫画化する構想のようです。※1 https://www.pixiv.net/member.php?id=13448719※2 https://twitter.com/ebunko8/status/1048562769430106112あふれる久保陽子愛が好もしい。もちろん個人的には、このシーンはもっとコマを費やして描き込んでほしかったとか、このコはもっと美人に描いてほしかったとか(笑)、それはまったく不満なしというわけにはいきませんが、この途方もないチャレンジは応援したいと思います。『幻魔大戦』の3巻までと4巻以降は、話の筋は繋がっていても性質は違う「別の作品」なので、こっちがやりたいのなら、これが大正解です。持ちネタのように繰り返し云ってることですが、このほうが読者も「口では立派なことを云ってるけど、コイツほんとに超能力なのか?」というGENKEN会員目線に立てて、ミステリアスなのですよ。「GENKEN物語」を漫画幻魔大戦のストーリーの延長上に創ったのは、痛恨の極みだったと思っています。これはこれで面白さがあるし(好みは分かれますが)、作品的価値があるのに、その正当な評価が阻害される。「幻魔大戦をこんなにしやがって」という評判、怨嗟の声がどうしても勝ってしまう。いっそ4巻から「ハルマゲドン」にタイトル替えしてしまって、ストーリーは繋がってるけど違う作品ですよという扱いをしていれば、それだけでもずいぶんと読者の受け止め方も違ってきたんじゃないかと思うのですけどね。アダルトウルフガイと同じ過ちを繰り返してしまったとも云えるし、“「犬神明が帰ってくる」サギ”になってしまった『黄金の少女』にも同じことが云える。平井和正の作家論には、どうしてもこの問題がつきまとってきます。ある時期を境に作風がガラッと変わってしまう作家は、特段珍しくもありません。柳沢きみおなどが、よく知られた例になるでしょう。平井和正が特異であるとすれば、それは変わってしまったあとも旧作を書き継いだことです。柳沢きみおの例で云えば、氏が現在の作風でエロス&バイオレンスな「翔んだカップルdeep」を描くようなものです。これをやられると、読者としてはなかなか複雑なのですよね。まあ、この世を去った作家に文句を云っても始まらない。これらの問題はこちとらの受け止め方で対処するしかありません。疑問も不満も、前向きなエネルギーに昇華していきたいものだと思います。ワタシにはムリですが、御存知『幻魔大戦 Rebirth』やご紹介のpixiv漫画のように、創作として描き継ぎ、語り継ぐというやり方もある。「GENKEN物語」はビジュアライズが始まりました。この上は、ワタシは是非とも、漫画幻魔大戦の忠実な小説化を切望するものです。なにも平井和正の文体を模写しろとは云いません。文才があり、そして筆を理性で御せる作家さんであれば。平井和正がやろうとし、そして果たせなかった、すべての幻魔シリーズの原点であり原典の漫画『幻魔大戦』のノベライズ。なぜ誰もやろうとしないのか、不思議なくらいです。どなたかやってくれませんかね。平井和正先生と競うのはちょっと……というなら、なんなら、3巻の8番シークエンス以降の続きからでも結構ですよ。「のりしろ」付きでね。 言霊を引用 Re: 「GENKEN物語」の漫画化と漫画幻魔大戦が漫画でしか表現されていない問題 - Name: 弘田幸治 No.1588 - 2018/12/30(Sun) 06:31:29 俺も無印幻魔大戦のコミカライズ、中学時代にやっていました! ジャポニカ学習帳に鉛筆で書いていた! あと生頼範義の表紙に不満のあった中坊の俺はなんと表紙を裏返して自分のイラストを描いていたのだ! 虎2はもちろんラムちゃんがモデルだったのだ! 虎2=ラムちゃんというのは俺は中坊の時代にすでに気づいていたのだ! おお、俺の何という先見の明か! いや俺の場合、たんなる黒歴史なんですけどね。
俺も無印幻魔大戦のコミカライズ、中学時代にやっていました! ジャポニカ学習帳に鉛筆で書いていた! あと生頼範義の表紙に不満のあった中坊の俺はなんと表紙を裏返して自分のイラストを描いていたのだ! 虎2はもちろんラムちゃんがモデルだったのだ! 虎2=ラムちゃんというのは俺は中坊の時代にすでに気づいていたのだ! おお、俺の何という先見の明か! いや俺の場合、たんなる黒歴史なんですけどね。
アウトサイダー・アート大槻ケンヂミステリ文庫 言霊を引用
『馬場浩ワークス ウルフガイ 燃えろ狼男』が到着しました。さっそく聴いてます。奈美悦子が唄う挿入歌「女の爪は虎の爪」に感激。……カップリングも素敵。 言霊を引用
ずいぶんとお久しぶりになります。ヒライストの卒業宣言はしたもののハヤカワのおかげで久しぶりにヒラリンの紙の本を読んでしまいました。そこでつらつらと感じたことなどを文字にしてしまったので、お目汚しかもしれませんがよろしくお願いいたします。エイトマンの鎮魂歌として書かれたというサイボーグ・ブルース。21世紀となった現在でも実現されそうにない超科学技術を背景に、超高速躰の戦闘機械と化した主人公のアクション作品という体裁を見せている。だが、根底に流れている隠されたテーマは「精神と精神の完全な調和。すべての人間がひとつの巨大なこころを共有する」こと、いやそれではお上品過ぎる。もっと内面に踏み込んで言えば「俺の気持ちを理解してほしい」「仲間がほしい」「(子供の頃から不仲だった)母親の愛情を一身に受けたい」という願いの裏返しだったのではないだろうか。平井和正の根本に有った創作原理は『求めても得られない愛と友情』と考えたらどうだろう。それら"得られないもの"から疎外される被差別のシンボルとしてサイボーグ・ブルースでは二グロの男性を主人公にしたのではないだろうか。執筆当時、米国での差別がどれほど救いの無いものだったろう。これはそのまま、母親への思いがどれほど救いの無いものだったかが容易に想像できる。サイボーグ・ブルース作品世界の主人公は、自分の肉体が親から受け継いだそれではなくなっているにもかかわらず、誰かから必要とされることに悦びを感じている記述がある。これは、「お前など何の価値もないクズだ!」と言われないために必死で何かに縋り付いて生きている作者の心象風景が透けて見えないだろうか。たとえ超常の能力(チカラ)を得ていたとしてもなんとかして自己否定の感情から逃れたい。愛されたいのだ。ゾンビーハンターもサイボーグブルースと同様に、破壊の権化と化した主人公が苦悩しながら敵を倒す物語の体裁を見せてはいる。だが其の実、愛と友情のギフトの物語だった。(誰のレヴューでもそんなことは書いていないけど、再読の時にギフトだと意識してみてほしい)俺は「3」の初読の時点でギフトだと感じていた。再読して、どれほど愛情に飢えていたらあれほどのギフトを考えつくのだろうと考え込んでしまった。# ギフト。それは副読本として「転生」を読んでいただき感想を語り合いたい。そういえば平井作品のどこかの後書きで「ラブレターを毎日書く」というエピソードを紹介していたと記憶している。「こっちを見てくれ」「俺を知ってくれ」「愛してくれ」平井和正のあの文章で、あの情念で、自分のためだけにしたためた手紙をもらったとしたら!もし俺がもらう立場だったと考えたら、それは身震いするほどの宝物だ。これは俺の妄想だが、平井和正は例の宗教家の女性(ミカエル)に母性を見いだしてしまったとは考えられないだろうか?実の母親に対し、求めても得られない"慈愛"というものをミカエルに見いだしてしまった。この時のラブレターが真創世記の3部作だったのではないだろうか。同様な話として、真偽はともかく麻原彰晃こと松本智津夫の話でこんなのを見かけた。>就職して仕事や人間関係に行き詰ったOLがオウムに連れて行かれて、麻原は彼女の話を辛抱強く聞いてくれて、一言だけ「ヨガをやらないか?」って、言ったそうですhttps://twitter.com/nako2013/status/1015516610524614656そう、話を聞いてくれる。ただそれだけでも何の反論も否定もせずに優しく聴く。ただそれだけでコロリといくなんてよく有る話ではないか!ところが肉の躰を持つ聖者もあまり近づき過ぎると聖人でない部分が見えてしまうのだろう。恋い焦がれた"慈愛"が幻影でしかないことが腑に落ちてからのミカエルとの決別作品がヤングウルフガイシリーズ後半の「犬神明」だと俺は思っている。幻影との決別が昇華して湧いてきたのが"マーとの対決"だと思うからだ。(仏教用語でマーヤーとは『幻:げん』[サンスクリット: māyā]人の目をまどわすこと。また、その術。実体のないまぼろし。)もちろん幻魔大戦シリーズで教団(というよりも組織そのもの)の腐敗に対する描写もミカエル教団での経験が元になっているのだろうが、まだミカエルの影響が生々しいとも思えてしまうからだ。そういう視点で各作品を見直すと「地球樹の女神」では母親やミカエルの呪縛が解けているかもしれない。「ボヘミアン〜」以降は主人公が世之介と化している(笑)ということは完全に吹っ切れているのではないだろうか。 言霊を引用 Re: ゾンビーハンター再読によせて - Name: カナメ No.1580 - 2018/09/25(Tue) 01:51:56 お久しぶりです。ソウル迸る書き込み、ありがとうございます。平井和正の創作の源泉は、まさに「そこ」だと思います。そこのところが、とことん癒されたとき、平井和正の作家性も、劇的に変わるのは、必然だったのだろうと思います。そうして生まれ変わった「ゆるふわひらりん」の作品群についても、いずれ本腰を入れて読み直すつもりです。そのときには、新しい発見もあるのではないかと期待しています。なにしろアダルトウルフや幻魔大戦、死霊狩りにしてからが、今なお新しい発見があり、「惚れ直して」いるわけですから。以前のワタシには、正直ピンと来なかったとしても、それらの作品を心から好きだという知人はいて、だからきっと、ワタシにはわからぬ魅力というものが、確かにあるのだろうと思います。願わくばそれを確かめたくて、わかるようになりたくて、平井和正の世界を旅し続けます。まだまだ、先は長いですけどね。それは素敵なことなんですよ。なぜってそれはワタシには楽しくってしょうがない、心踊る旅路なのですから。
お久しぶりです。ソウル迸る書き込み、ありがとうございます。平井和正の創作の源泉は、まさに「そこ」だと思います。そこのところが、とことん癒されたとき、平井和正の作家性も、劇的に変わるのは、必然だったのだろうと思います。そうして生まれ変わった「ゆるふわひらりん」の作品群についても、いずれ本腰を入れて読み直すつもりです。そのときには、新しい発見もあるのではないかと期待しています。なにしろアダルトウルフや幻魔大戦、死霊狩りにしてからが、今なお新しい発見があり、「惚れ直して」いるわけですから。以前のワタシには、正直ピンと来なかったとしても、それらの作品を心から好きだという知人はいて、だからきっと、ワタシにはわからぬ魅力というものが、確かにあるのだろうと思います。願わくばそれを確かめたくて、わかるようになりたくて、平井和正の世界を旅し続けます。まだまだ、先は長いですけどね。それは素敵なことなんですよ。なぜってそれはワタシには楽しくってしょうがない、心踊る旅路なのですから。