BARカジャナカロカ

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Re: 幻魔大戦 《オリジナル完全版》1 〜感謝とちょっぴり不満 - Name: カナメ No.1653 - 2019/03/27(Wed) 23:45:17
『幻魔大戦』13巻の読書日記を公開しました。なんとか3月中に漕ぎ着けることができました。これで『真幻魔大戦』「預言教団」「超霊媒」に取りかかれます。しかし、まさかこれが≪現代編≫のラストになろうとは。無印幻魔の世界とリンクを果たし、さあこれからというところで、その同じ巻で誰も予想もしない、まさかの展開。なにもかも知った目線で見れば、確かにあの方らしいですけどね。まあ、その辺は読書日記で。
真幻魔では≪現代編≫のラスト「預言教団」「超霊媒」、無印ではさよなら東丈!の14巻、ここまでを平成最後の読書日記として、間に合わせたいところです。

光の戦士の社会的戦い〜幻魔大戦(13)「魔王の誕生」
https://ameblo.jp/tkaname/entry-12449091877.html

『幻魔大戦 《オリジナル完全版》』に関して、さらに訂正しておきたいことがあります。
「生まれる子どもはどんな子だと思います……?」の表記ですが、2009年に出た秋田文庫版ですでにこうなっていました。それを踏襲しただけなんですね。
電子書籍のオリジナル表記を見慣れているもので、てっきりわざわざこう変えたものと勘違いしておりました。この点はお詫びしておきたいと思います。
欲を云えば、過去の改変を踏襲するだけなく、1巻ラストのコマのような、より適切なアレンジを施していただきたかったところではありますが。


■大切なお知らせ 投稿には手続きが必要です。手順についてはNo.1648をご覧ください。


幻魔大戦 《オリジナル完全版》1 〜感謝とちょっぴり不満 - Name: カナメ No.1651 - 2019/03/20(Wed) 00:49:10
https://www.amazon.co.jp/dp/4835456564/
平井和正読者界隈のいまの話題と云えばこれですね。
まさか通販予約者にはひと足早く届くとは思わなくて、受け取り先を職場にしたのは失敗でした。おかげで土日はツイッターのタイムラインを指をくわえて眺めながら、幻魔大戦13巻「魔王の誕生」の読書日記を黙々と書いてましたよ。
B5判、扉頁をはじめ、広告掲載箇所も白抜きにするなど、雑誌掲載を再現。少々値は張りますが、通常価格のコミックはすでにあり、資料として、当時の雑誌を読む気分を追体験する書物して、充分に見合う価値はあると思います。古書店を探し回って、雑誌を買い揃える労力と金銭を思えば安いもんです。
キャラがまだ定まっていなかった(?)、初登場のカッコいいドク=タイガーなんて必見です。

ちょっぴり不満があるとすれば、例によって差別表現改変ですね。
「きちがいだ!」の箇所はいいんですよ。歴代の「精神障害者だ!」「おかしなやつだ!」――まだ、なんかなかったかな? スキッツォイドマン……そりゃキング・クリムゾンか。――に比べれば、一番まともな表現になっていると思います。
でも、「生まれる子どもは黒白のしまになりますか? それともまだらに‥‥」の科白がこうなっちゃうのは、ちょっとないんじゃないのと。言葉の変更を超えて、意味が変わってしまってる。そもそも差別表現として問題なのかも疑問ですし、これは地球外の知性(ベガ)から観た、地球人類の皮膚の色の違いで起こる差別のバカバカしさの批評という、作品的にも大事なシーンですからねえ。いまも平井和正が生きているぐらいの気持ちで、この辺は熟慮していただきたいと思います。
電子書籍ではいまもオリジナルの表現を見ることができ、脳内変換すりゃいいという話ではありますが、読者がそんな真似をしなくていい、その名に恥じない《オリジナル完全版》を「2巻」では期待しています。
電子書籍も、ある日突然フキダシの中身が変わってたりしてね……。スクショ撮っとくか?


■大切なお知らせ 投稿には手続きが必要です。手順についてはNo.1648をご覧ください。


Re: 幻魔大戦 《オリジナル完全版》1 〜感謝とちょっぴり不満 - Name: カナメ No.1652 - 2019/03/21(Thu) 18:14:33
ある方から「精神障害者」であるとのご指摘をいただきました。ありがとうございます。修正しておきました。
うかつでした。「精神異常者」だとすっかり思い込んでおりました。キング・クリムゾンの「21世紀の精神異常者」(のちに「21世紀のスキッツォイド・マン」に改題)に引きずられたのたかなあ(笑)。
なんか扉を開ける面倒な手続きができてしまいましたが、投稿の際はお気軽にメールしてください。


『真幻魔大戦』の読書日記、公開しました。プラス大切なお知らせ - Name: カナメ No.1648 - 2019/03/05(Tue) 23:46:48
もう3月ですよ。前章「時を継ぐ者」の読書日記から三月(みつき)も経ってしまいました。「お雪」とか寄り道もありましたが、しょうもない雑事に時間を浪費してしまいました。今年中の無印全巻、真・第二部の語り尽くしを目指し、ペースアップしていきたいと思います。

月影参上!〜「炎える不死蝶」「播種プロジェクト」「秘密預言書」 真幻魔大戦(7)
https://ameblo.jp/tkaname/entry-12444158525.html

それと、大事なお知らせがあります。
これより当掲示板の投稿を制限させていただき、これまでのように自由な投稿ができなくなります。そうせざるを得ない事情については、ご説明は不要かと思います(苦笑)。

今後の投稿の手順については末尾にご案内します。このような手間は、ただでさえ少ない投稿の意欲をさらに削ぐことになるのはわかっていますが、ここに至ってはやむを得ません。
なにしろ削除したって、同じ内容をすかさず再投稿してきやがるのですから。とてもじゃないが、やってられません。「来るな」「書くな」とはっきり申し渡しているにも関わらず、投稿してくるその神経だけでも信じ難いですが、こうなると怒りより寒気を覚えますよ。モノホンのサイコ野郎です。
スズメバチみたいに業者に駆除してもらえるなら頼みたいですよ。数万円の出費で済むなら払いますよ。もうちょっとお金があれば、デューク東郷さんに駆除をお願いするのですがねえ。

人間の異常性なんて生得的なもので、宗教嫌いにも「野放し」はいる。いい勉強になりましたが、もう充分です。完全ブロックさせていただきます。清々するとはこのことですよ。
皆さまにおかれましては、少々ご面倒をおかけすることになってしまいますが、引き続きご贔屓、お付き合いの程をお願いいたします。

■投稿したいときの手順

(1)カナメにメールを送る
投稿したい旨をワタシにメールでご一報ください。「カナメ」の名前の横の「Mail」のリンクをクリックしていただければ、メール送信のフォームが開きますので、そちらをお使いください。

(2)カナメからメールが届く
メールをもらったら投稿をできる状態にして、その旨をワタシがメールで返信します。

(3)投稿する
投稿をおこなってください。やり方は以前と変わりません。投稿後のご連絡は不要です。システムからワタシに通知が入りますので。投稿を確認したら、こちらで投稿ができない状態にします。


没供養ミュージアム シーズン2 - Name: カナメ No.1644 - 2019/03/05(Tue) 23:13:29
二度と繰り返したくなかったこの催し。仏のカナメさんが、残念ながら掲載をお断りせざるを得なかった没投稿を慈悲の心で再掲し弔う「没供養ミュージアム」。早くもシーズン2に突入してしまいました。
シーズン1は主に「没供養ミュージアム」が始まる以前の投稿。そしてシーズン2は、それ以後の投稿になります。こうなることがわかっていて、それでも投稿を繰り返す、その無謀な挑戦の軌跡をどうぞご鑑賞ください。ただし、もの好きに限る。


Re: 没供養ミュージアム シーズン2 - Name: カナメ No.1645 - 2019/03/05(Tue) 23:18:31
さて、その一発目の小さく細長く映っている画像は、くっそ長い投稿です。この長さがすでに立派な嫌がらせです。これ読まされんのかよ、バイト料ほしいわと思って読み始めましたが、一読して、やっぱりバイト料よこせと思いました。
むろん、くっそ長いのと同程度にくっそつまらないという理由で没にしたわけではありません。「粘着X氏」が書いて寄こしたものだとワタシが判断したからです。繰り返しますが、よしんばその投稿内容が、鋭く面白い論考だろうと、貴重な役立つ情報だろうと、ひらがな一文字、この人物の参加を許すつもりはありません。話が通じる相手でないのはわかっているので、おととい来やがれなんて無駄でむなしいことは云いません。引き続き、痰を吐かれたら、粛々と痰壺に入れていきます。面倒臭い話ですがね。ほんま、バイト料ほしいわ。

No.1638


Re: 没供養ミュージアム シーズン2 - Name: カナメ No.1646 - 2019/03/05(Tue) 23:35:03
なにを血迷ったのか、林石隆の名前のモデルになった人物だと称しています。ワタシがそれを真に受けて、大喜びで歓迎するとでも思ったのでしょうか。バカか? バカなのか? それとも、ワタシがそれほどのバカであるとバカにされているのでしょうか。
レポートそれ自体はごくまともであって、No.1638の投稿もそうですが、ご自分のブログにでも発表なさればよろしいのに思うのですがね。こうなってしまったら、これを自分の書いた文章として発表することもできないじゃありませんか。まあ、自分がカナメ氏の掲示板にストーカー的迷惑投稿を繰り返す「粘着X氏」であると公表する気さえあれば、何の支障もないわけですが。
「初出 サロン・ド・ぼへみ庵」なんて明記していただけると、たいへん男らしいと思います。そんな男らしいブログを見かけたら、ぜひワタシに教えてください。

No.1639


Re: 没供養ミュージアム シーズン2 - Name: カナメ No.1647 - 2019/03/05(Tue) 23:39:06
前述の投稿を削除すると、また同じ内容を投稿する。そんな応酬が3度繰り返されました。これはその3度目の投稿です。禁止ワードを設定しブロックしましたが、さらに投稿をおこなおうとしていた形跡も記録に残っています。一見、静かで凪いだこの掲示板に、そんな攻防が繰り広げられていたのです(笑)。

文句なし、掛け値なし、真正の異常者です。林石隆の名前のモデルなど、ウソの皮。「横田順彌君」なんて、よくもまあ書けたものですよ。虫唾が走るわ。ワタシがこの人物をまるで気持ち悪い上に猛毒をもつ多足類のように嫌悪し忌避する、その理由もおわかりいただけると思います。わずかばかり知識に長けていたところで、そんなものは糞便にキャビアが乗っかってる程度のものです。
うちのリニューアル前の常連参加者で、ワタシとは互いに顔見知りなんですよ? 情けない話ですよ。ワタシはこの人物に、二度と近付くな的なことを云って縁を切りました。一度は終了を決めたこの掲示板が、リニューアルして継続することになったのは、そんな事情によります。そのことは前にも話しました。ワタシとこの人物との間に何があったかは、プライベートな事柄であって詳しいコメントは控えますが、縁を切って大正解じゃありませんか。さすがおれ、ひとを見る目あるわ。底抜けにデリカシーがないだけでなく、モラルや恥じらいの持ち合わせまでなかったとは、さすがに見抜けませんでしたが。

没にした投稿をわざわざ再公開するのは、なにも平井和正の云う「野放し」の生きたサンプルをご覧くださいという悪趣味的サービスの提供ばかりではありません。平井和正読者の中には、こんな危険人物もいるのだという注意喚起でもあります。ワタシはいいのですよ。こんな活動をしている以上、それも覚悟の折り込み済みのリスクですから。でも、SNSでつぶやくのがせいぜいの普通の平井和正ファンが、こんなのに関わった挙げ句、つきまとわれた日にゃ、たまったもんじゃないでしょう。同じ作家を好きだからといって、安易に気を許してはいけません。あらかじめ、こうした情報を頭に入れておくことで、不幸にもこの人物と接する機会が生じたとき、「ピン」と来ることもあるでしょう。こんなものが役に立つ日の来ないことを祈っていますが、備えにしていただければ幸いです。

No.1641


Re: 没供養ミュージアム シーズン2 - Name: カナメ No.1649 - 2019/03/09(Sat) 20:44:21
ハイ。「妬魅詫鹿目(ねたひわしかもく)」=「林石隆」の動かぬ証拠、いただきましたァ。これはNo.1638の再投稿ですが、[Name]欄に前回投稿時の名前がそのまま残ってたんでしょうねえ。悪いことはするもんじゃありませんねえ。何度も繰り返し、数を重ねていれば、こういうチョンボもやらかしてしまうものです。

No.1642


Re: 没供養ミュージアム シーズン2 - Name: カナメ No.1650 - 2019/03/09(Sat) 20:48:12
これぐらい短いとありがたいわぁ、って危うく感謝しそうになったわ。もはやストックホルム症候群。
「粘着X氏」の行動と発言を記録するデータとして、これも再公開しておきましょう。内容的には別にどうでもいいので、削除するだけでもよかったのですが。まあ、これが最後なので、せっかくですからね。

No.1643


『アンドロイドお雪』の読書日記、公開しました。 - Name: カナメ No.1636 - 2019/02/16(Sat) 20:23:37
ようやく発表に漕ぎ着けることができました。読書日記という言葉、いいですね。批評、論考、レビュー、感想、…どれも自分のやってることを云うにはイマイチしっくり来ない単語でしたので。
時間はかかりましたが、それだけ語り甲斐のある作品でした。本当に面白くて、一度は電車で乗り過ごしてしまったほどです。久しぶりにやらかしました。肝心な部分までキレイに忘れ去っていたのも幸運でした。記憶力が乏しいのも功徳ですね。
表紙からあとがきまで、キャラはサイボーグ犬・フォスに至るまで、さらに勝手に妄想した物語のその後まで、語り尽くしました。よろしければ、『アンドロイドお雪』をいま一度読み終えてからお読みください(笑)。

作家平井和正の“三つ子の魂”〜『アンドロイドお雪』
https://ameblo.jp/tkaname/entry-12439516898.html


値千金の平井和正の一手(Re: 平井和正ビンゴ) - Name: カナメ No.1637 - 2019/02/17(Sun) 14:43:40
SEをお持ちとはうらやましい。一部愛好家からは「スティーブ・エディション」なんて呼ばれてるようですが。ワタシはiPhone 6なんですが、タブレットを持つと、あのサイズがいいのですよね。もう、あのサイズの新型モデルは出ないんですかねえ。

「平井丸」、なつかしいなあ。これももう三年前なんですね。
http://www1.rocketbbs.com/612/bbs.cgi?id=t_kaname&mode=pickup&no=1390

あの方のパイオニアとしての電子出版の取り組みは、わりとドン・キホーテというか、電子出版の今日の状況にどれ程の影響を与えたかと云えば、全くなかったでしょう。結果はキンドルという黒船の独り勝ち。アップルの端末でキンドルを使って電子書籍を読んでいる。すっかり我が国は沈没してしまいましたね。平井和正が何もしなかったとしても、現状に何ら変わりはなかったでしょう。
なら、ムダだったのかと云えば、自身の作品の電子書籍化という点に関して云うならば、熱烈愛読者の編集者を巻き込んで、e文庫というレーベルを立ち上げていなければ、なにひとつ平井和正の作品は電子化されていなかったという暗黒の現在も、十二分に考えられました。

現在、『アンドロイドお雪』を古書をあたることなく買い、読むことができる。それも立風・早川・角川の三つの版の巻末文をオールコンプリートで収録し、おまけに角川文庫の生頼範義の表紙画を飾ったパーフェクトなバージョンで。それは(e文庫の中のひとの剛腕ぶりには感服、感謝しなければなりませんが)平井和正の一手があったればこそです。
本を持っていれば、それはいつでも読み返すことはできます。ですが、実際問題それは実家にあるわけで、いままさにホットな気持ちで語るに気にはならなかったでしょう。平井和正という作家、作品そのものが、遠い日の思い出になっていたとしてもおかしくはありませんでした。

HP200LXの話が出ましたので、久しぶりに灯を入れてみようと思ったのですが、お亡くなりになっていたようです。テキスト配信の『ボヘミアンガラス・ストリート』を表示したところをご覧いただこうと思ったのですが。こんな感じで読んでましたよ。それ用のアプリを使って、ディスプレイを縦向きに、縦書き表示でテキストを表示できたのです。'90年代のお話です。
このサイズのマシンで、DOSが動く。パソコンにやらせていることが、こいつでもできる。それがなんとも可愛らしくてね。便利とか、実用的とかいう以上に、可愛いかったのですよね。まさにしゃべる飼い猫のように、愛いやつでした。どんなにスマホでそれ以上のことが、よりコンパクトにできるようになっても、あの可愛らしさを感じることはなくなりましたね。


Re: 平井和正ビンゴ - Name: カナメ No.1633 - 2019/01/31(Thu) 23:06:04
> カナメさんの「あらすじを説明できるレベルで憶えている」というのにはまいりました。大河小説のあらすじを憶えているってどれだけ凄まじい記憶力なんですかね!?
これは痛いところをツッコまれました(笑)。「ならば(月光魔術團)『ウルフガイDNA』5巻のあらすじを述べてみよ」と云われても、さすがにスラスラと正確なお答えはできません。云い方に語弊があったと、ご寛恕の程を。なんと云えばいいのか、大まかなストーリーと結末が頭に入っている、というあたりがワタシの云わんとするニュアンスに近いでしょうか。
『アンドロイドお雪』をいま読んでいまして、あらためて面白いなと思っていますが、主人公の野坂がこれからどうなるのか、まったく覚えていません。ケイとダイがもの寂しく会話をしていたのがラストシーンだったと、薄らぼんやりと記憶していますが、それすら正しいかどうか自信がありません。なので何卒、しばらくこれについてのネタバレはなしでお願いします(>ワガママ)。

> 今年で五十一歳になる俺には電子出版は苦しく(PC画面は目にくるので)
パソコンで読書は、ワタシもムリです。やはりコレですよ(末尾画像参照)。コレでワタシは完全電子派に転向しました。小説はスマホで読んでいましたが、漫画はやはりコレですよ。この面積がなければ。所持しているコミックスも、読み返す機会もしくはセールの機会に買い直しています。
書斎を持ち歩く!? そんなことが可能になる前は、そんな欲求、利便性があることに気付きさえしませんでした。ですが、いざこれをやってみると、これがなかなかいいものなんですよ。出掛けるときに、持っていく本を選ばなくていいというのは。
スマホ&タブレットでの電子読書、布教するつもりはありませんが、おすすめします。Kindleなどの専用端末であれば、価格もリーズナブルです。
特にタブレットは、読書だけでなく、ネットライフも一変します。ウェブを視るのにパソコンに貼り付くなんて、もうやってられない。トイレで、寝床で、好きな姿勢で、スワイプスワイプ。パソコンはもっぱら書きものに使うだけです。……やっぱり布教してますかね?

> ですから“泉谷あゆみ期”の諸作品は、“愛のある批評精神”をお持ちのカナメさんにアウトソーシングしてしまおうと思っています(笑)。
そう云っていただくのはまことに光栄ですが、ワタシとしては弘田さん本意気の読書評を読んでみたいと思っております。ワタシの拙い読書日記が、眠れるローンウルフを起こす役に立てればいいのですが。まあ、がんばってみます。


Re: 平井和正ビンゴ - Name: 弘田幸治 No.1634 - 2019/02/01(Fri) 18:42:36
 「大まかなストーリーと結末が頭に入っている」というだけでビックリですけどね。大河ストーリー“群”ですからね。ヒライストが自分に課すハードルの高さと言ったら……。

 いろいろ調べた結果、Kindleがいいかなと思いましたが、必ずしも平井作品を網羅しているわけでもないらしく、迷うところです。

 スマホはiPhone SEを使っていて、ちょっと画面が小さいような。老眼なので読めるかな。

 タブレットは友人からネット関係の設定を頼まれたときに触ったんですが、わりと重かった記憶があって読書をするという発想がありませんでした。

 検討してみます。

 平井和正の話に戻ると、彼の進取の気性というのは興味深いですね。商業ネット時代にボヘミアンガラス・ストリートだもんね。俺なんかまだDOS使ってたもの。
 日本が不況にならず、バブルとまでは言わないまでも、好景気を続けていれば、ネットのインフラもここまで米企業にやれることもなかったかもしれませんね。そうすれば平井丸も天下をとったかもしれないな。贔屓の引き倒しかな(笑)。


Re: 平井和正ビンゴ - Name: keep9 No.1635 - 2019/02/16(Sat) 20:06:14
MiniじゃないiPadにするとマンガも見開き余裕で読めるのがいいですね。モノクロTFTMacノート時代にPINOリーダーを使って以来、どうやったら快適に電子書籍が読めるかというのは、なかなか解消しないテーマでしたが、今はほぼほぼ問題は解消しちゃっていますね。むしろ新書系の電子書籍を衝動買いしてしまう弊害があるくらいです(苦笑)。
おかげで完全版「怪盗ルパン伝アバンチュリエ」もiPadで読めたし、SHERLOCKのコミカライズも読めた。
カナメさんが愛用されていたHP200LXはいいマシンでした。あの頃Palmデバイスとかで何とか実現しようとしていた電子読書は、あらゆるスマートフォンやタブレットでほぼほぼ実現できていますよね。


Re: 「鬼平」犯科帳〜『“ガチャ文”考』を考える。 - Name: カナメ No.1623 - 2019/01/28(Mon) 01:59:32
こんさん、コメントありがとうございます。いや、そんな恐縮いただく必要はありません。ワタシのなかの控え投手に、マウンドに登る出番が与えられたというだけですので。愉快な友だち「粘着X氏」の件もありましたし。
『“ガチャ文”考』の匿名投稿は、ただ未熟というひと言に尽きます。未熟な考え、未熟な文章、そして未熟な人格。それはしょうがなくて、あの当時の十代の高校生だったワタシなんてもっと未熟で、あれぐらいの文章だってよう書きませんでした。匿名投稿の方も、同じぐらいのお若い人だったのでしょう。
その未熟さにどうリアクションされるかは、相手の人柄によります。部活動でも仕事でも、やさしいひともいれば、厳しいひともいる。平井和正はとびきりの後者だったと(あの方の場合、たまに文句なし理不尽そのものってこともあるので、注意は必要ですが)。自分の未熟さを厳しく指摘されるのは、心地好いものでは決してないでしょう。でも、それをどう受け止めるかで、自分の将来は変わってきます。いい勉強になったんじゃないのと、いいオジサンになったワタシは思います。

それに引きかえ、プライベートで「金輪際関わるな」と云われ、おまけに「あんたがイヤ過ぎて閉じるはずだった掲示板は続けることにしたが、あんたの参加はもちろん固くお断りします」とも云われ、表の掲示板上でも「出入り禁止」「二度とお目にかかることがありませんように」とまで云われ、それでも名前変えてシレッと書いてこれる神経ってもうバケモンだと思いません!? いい歳をして、こういう大人に仕上がってしまったら、もう手の施しようはない。どうせ、おととい来やがれと云ったところで、あしたもあさってもしあさっても来やがるでしょう(苦笑)。なので、せめて見世物になってもらうことにしました。
掲示板のスレッドとして「没供養ミュージアム」(No.1610)を開設しました。どうですか、これぞ「おもしろユートピア」の発想というものでしょう。これが当掲示板の最大の見どころにならないよう、皆さま今後ともふるってのご参加をお願いいたします(笑)。

弘田さんも、ありがとうございます。
「文章の向こう側に書き手の人格を視る」というのは、ワタシもまったく同感です。「No.1369」を云われて読み返しました。コイツええこと云うわぁ、めっちゃ共感するわぁ、ハッ、おれか。

(「鬼平」犯科帳〜『“ガチャ文”考』を考える。について)書いてみて思ったのは、言論に関してはワタシも立派な原理主義者だなと(笑)。まっとうな人の道を軽く踏み外してますね。あと、そこは「おとなしディストピア」とすべきだろうと。修正はしませんが、こういうとこはまだまだ未熟ですねえ。

「没供養ミュージアム」にもアップしましたが、いまのこの流れを生んだ元をただせば、薄っ気味悪い「初投稿」の匿名のオフのお誘いなんですよね。それをやんわりと謝絶する意図を込めて、大槻ケンヂのアルバムのことをアップしたら、あの投稿があり、それを受けて弘田さんが「平井和正はいつから「頭おかしかった」のか」(No.1589)を書いてくださった。
「粘着X氏」との関わりなんて、まったく望んでませんが、こういうのは不思議なものですね。これもひとと交わるダイナミズムというものなのでしょう。「苦」を「楽」に変えるのは、行動と心の持ちようなのだと実感します。


Re: 「鬼平」犯科帳〜『“ガチャ文”考』を考える。 - Name: 弘田幸治 No.1624 - 2019/01/29(Tue) 03:31:36
 「粘着X氏」の話題はこれきりにしますが、 物事には一線を越えるか越えないか、というものがありますからね。
 善意の第三者であろうとしいても、見過ごせないこともあるわけで。

 なるべく後ろに流そうと、No.1588を書き、No.1589を書きました。。
 DONDENさんがご指摘してくださったように(No.1602)、No.1589は根本的なところで俺の知識不足、リアル平井和正(笑)への無知などがあって、外した話になっていることが判明しましたが(笑)。
 言われてみれば、No.1599のS氏の画、『地球樹の女神』っぽいですね。
 
 ここの掲示板はいいですね。
 俺なんかツッコミどころ満載の文章しか書けずSNSなんかやった日には火だるまになるでしょう。
 それを紳士的に扱ってくださるのだから、いい場所です、ここは。


Re: 「鬼平」犯科帳〜『“ガチャ文”考』を考える。 - Name: DONDEN No.1626 - 2019/01/30(Wed) 19:43:50
「おもしろユートピア」という切り口、久しく私の内から抜け落ちてました。
つくづく平井和正、平井作品は単純な切り口やモノサシでは測りきれないなあ、という感じです。

>「おもしろユートピア」とは「母の庇護の下の幸せ」なのだと思います。

この弘田さんの分析で、私が逆説的に連想するのが『月光魔術團』です。あの世界はそれこそ「母の粘着」で構築され“悪意で戯画化されたウルフガイ”として展開するはずが、鷹垣人美の出現でそれが塗り替えられていく、というのが大まかな構図だと思うのですが、見様によっては「おもしろユートピア」の裏返しの世界を舞台にしていたとも取れます。
そうすると平井和正は「おもしろユートピア」のその先を見出そうとしてたのかもしれない、とか考えました。少々突飛な発想かもしれませんが。


Re: 「鬼平」犯科帳〜『“ガチャ文”考』を考える。 - Name: カナメ No.1632 - 2019/01/31(Thu) 02:42:03
> なるべく後ろに流そうと、No.1588を書き、No.1589を書きました。。
やっぱり、そうだったんですねえ。そう云ってもらえると、心強いです。
生ゴミのような不快を催す投稿を放置するのは、掲示板の主としての怠慢。日頃そう思ってはいても、また自分の感覚、判断に自信を持ってはいても、いざ手を下すとなると、迷いが出ます。「自分の私情ではないのか」「自分だけが神経質に気にしてるだけじゃないのか」 そんな自己への疑いが常に付きまといます。自分の因縁が関わっているだけに尚更です。まあ究極、私情ですが何か? と云って差し支えはないのですが。

> 俺なんかツッコミどころ満載の文章しか書けずSNSなんかやった日には火だるまになるでしょう。
「それは事実とは異なります」「私は違う考えをもっています」 それを云えばいいだけなのに、どうしてそう喧嘩腰に、ひとを莫迦にするように云うのかなあ、ということが本当にネットには溢れかえってますよね。ワタシもブログでたまに朝ドラなんかについて述べたりすると、それはあちらは平井和正ファンなんかとは母数が違いますから、まったく見ず知らずの赤の他人様から「違うんだよ!」とばかり語尾に感嘆符が付いてくる強い調子で、コメントをいただくのですよ。確かにそれはこちらの間違いであって、ご指摘感謝しますなのですが、もうちょっと優しく云ってくれてもなあ(笑)、とは思います。「怖ッ」って思いますよ(笑)。言論原理主義者でも。
議論とかクロストークって、本来愉しくできるものだと思うんですけどね。面子に体面、自我防衛が絡んで、まあギスギスと殺伐としていること。もっと大らかに、ゆとりを持ちませんかと、ワタシが云うのもなんですが、そう思いますね。


没供養ミュージアム - Name: カナメ No.1610 - 2019/01/27(Sun) 18:07:28
仏のカナメさんが、残念ながら掲載をお断りせざるを得なかった没投稿を慈悲の心で再掲し、弔ってまいります。南無阿弥陀仏。


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ No.1611 - 2019/01/27(Sun) 18:09:34
この投稿は掲示板のスクショ(スクリーンショット)を撮っていなかったため、通知メールを掲載します。内容以前の云うに事欠いてな記名で一発退場となりましたが、これ以後、胡乱な投稿が相次ぐことになります。


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ No.1612 - 2019/01/27(Sun) 18:16:06
善意の第三者による親切なご忠告……を装った匿名の知人による含むところのある投稿、と考えるのが妥当な判断ってものですよねえ?


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ No.1613 - 2019/01/27(Sun) 18:21:34
これは番外ですが、管理人である友人の許可を得て掲載します。前述の投稿とほぼ同じ日時に、似たようなフレーズを用いた投稿を違う名前でされておられます。


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ No.1615 - 2019/01/28(Mon) 01:13:40
その1/6


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ No.1616 - 2019/01/28(Mon) 01:18:29
その2/6


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ No.1617 - 2019/01/28(Mon) 01:19:57
その3/6


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ No.1618 - 2019/01/28(Mon) 01:22:43
その4/6


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ No.1619 - 2019/01/28(Mon) 01:24:13
その5/6


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ No.1620 - 2019/01/28(Mon) 01:25:42
その6/6


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ No.1621 - 2019/01/28(Mon) 01:44:42
「初投稿」で匿名の方からのオフのお知らせ。こんな薄気味悪い誘いに、色よい返事がもらえるとでも思ったのでしょうか。


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ No.1622 - 2019/01/28(Mon) 01:48:41
で、やんわりと謝絶する意図を込めて、これは本当にクリスマス12月25日に届いた大槻ケンヂのアルバムのこと(No.1586)をアップしたら、この反応。わかりやすいといったら。


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ No.1630 - 2019/01/31(Thu) 02:29:57
この投稿の内容自体には、何の問題もありません。しかし、「粘着X氏」とワタシが名付けた人物は、存在自体が厄種であって、投稿の内容如何を問わず、ひらがな一文字、参加を認めるつもりはありません。


Re: 没供養ミュージアム - Name: カナメ No.1631 - 2019/01/31(Thu) 02:35:27
特になし。


「鬼平」犯科帳〜『“ガチャ文”考』を考える。 - Name: カナメ No.1607 - 2019/01/26(Sat) 15:06:30
> エッセイスト平井和正は独特の魅力がありますが、ぼくは「ガチャ文考」は苦手でしたね。ホームといえる機関紙で、素人を手厳しく断罪する姿勢にはドン引きしました。

こんさん、鋭い。ワタシのスルーできないホットスポットをぶすりと突いてきますね。
まあ、言霊美食倶楽部の海原雄山みたいな人ですからね……。この文章を書いたのは誰だあああッ! 出ていけえええッ! ……鬼っスよ、鬼。ワタシは狂信者なので、あのひとのそういうとこ、けっこうシビレてもいるのですが。

こんさんのご意見は、ごく一般的な反応だと思います。ワタシも(新)ウルフ会の当時から、何人もの方から同じようなことを聞きました。「文章のプロが素人を非難するなど、もってのほか」「“ガチャ文”考こそガチャ文だ」といったような。当時のワタシは、それに反論できませんでしたが、しかし納得することもできず、モヤモヤした違和感を抱き続けていました。なぜそう思うのか? 明確に言葉にできるようになったのは、ずっとあとになってからです。ワタシの考えが、平井せんせいのそれを代弁するものかはわかりませんが、どうか気を悪くせず、お読みいただければと思います。

マスコミ有名人が、一般人を名指しで攻撃するのは、通常、タブーとされています。その理由は、多くの場合、「フェア」ではないからです。マスコミ有名人がテレビや雑誌など、マスメディアで一般人を攻撃しても、一般人はそれに反論できません。なので、それはいけないこととされ、それが世の常識になっています。
ですが、これには例外があります。その代表格がネットです。ネットでは一般人にも発言の機会が与えられています。同じリングに上れるのです。プロだろうが作家だろうが、そこでは対等なリングに立つ一個人です。有名人が無名の発言者を批判したっていいのです。むしろ、そこでも有名人は一般人に手出しまかりならぬと縛られ、一般人はその有名人を殴り放題だとしたら、それこそ不公平でしょう。

その例外のケースに、ファンクラブの機関誌もまた含まれるとワタシは考えます。文句がありゃあ、原稿書いて送ればいいんですから。それがファンクラブという、同じ発言の機会を与えられた者同士の関係でしょう。作家もまた、ちょっと文章が達者な一個人なのです。読者が書いたファンレターが失礼であれば、作家が怒りの返事を寄こすこともある。そのシチュエーションに近いでしょう。

むろん、「対等」は「互角」とイコールではありません。プロとシロートが素手ゴロすりゃあ、後者が地に這うのが関の山。でも、ワタシはそれを問題とはしません。それはしょうがない。ただの実力差。悔しくても、それは受け止め、精進するしかないのです。
文筆の腕力の多寡は問題ではないのです。そこを問題とするどうかが、意見の分かれどころでしょうね。

暴力という例が最も端的ですが、圧倒的な強者が弱者を虐げるのを見るとき、加害者に怒りを、被害者に憐れみを感じるのは、まともな人情でしょう。ただ、そうしたモラルや感傷を議論、言論という領域に持ち込むべきではない。ワタシはそう考えるものです。それは「どちらがより正しいか」を問う言論の純性を損なうからです。
問われるべきは、それを誰が云ったかに関わりなく『“ガチャ文”考』の主張は「正しいのか」「正しくないのか」であって、仮に会員Aさんの発言だったら許されるが、作家・平井和正の発言としては許せないという立場をワタシは取りません。

――しかしながら、
と接続詞を用いて話を続けます。そう単純明快にスパッと割り切れないのが、この問題のデリケートで難しいところです。
それでも、議論で言い負かされるのは、やっぱり悔しい。自我が傷つく。ましてや、それが公衆の面前であれば。
議論は勝つより負けるが収穫。自分の知識や考えの足りなさを知ることができたのだから。それを克服するよう頑張りゃいいんだ。いくらそんな風に云われても、それはわかっていても、どうにもならないのが人の心というものです。
その心理につけ込み、相手の心を傷つける、精神的ダメージを与えることをハナから目的とする、議論・批判の名を借りた諍い、侮辱がネットに絶えません。こうした言論まがいの暴力や嫌がらせは、これは厳に戒められねばなりません。一見、矛盾しているかのようですが、この微妙かつ決定的な差異を見極める努力を怠ると、常識的感覚を欠いた原理主義、マニュアル思考、極論に陥ってしまいます。
「批判、否定的な意見は一切ダメ」あるいは逆に「いかなる発言もひとつの意見として尊重する」、そのどちらもこのパーティの主催者としてワタシは採用しません。

まさに、そうした文筆によってなされる劣情の垂れ流しを平井和正は“ガチャ文”と名付け、『“ガチャ文”考』でその現象に警鐘を鳴らしました。
昨年末に掃除をしてしまい、跡形もありませんが、マメにお読みいただいていた方は目撃されたと思います。不思議不可解極まりないことに、嫌いな作家、あまつさえは嫌いな一読者>ワタシにわざわざ関心を持ち、悪意したたる文章を寄越してこられた幾度もの投稿を。あれもまた、“ガチャ文”の一典型と呼べるでしょう。華麗にスルーなさった皆さんの賢明さには、パーティ主催者として感謝と敬服を捧げます。

想像してみてください。ああいう投稿で埋め尽くされた掲示板を。たまりませんよ。見に来る気も失せるというものです。野放図な発言の場は、往々にしてそうなります。ああいった人物や発言は、決して珍しいものではありません。「アンチの粘着投稿」なんて、「掲示板あるある」と云ってもいいぐらい一般的で、ありふれています。こんな日頃閑古鳥が鳴くプライベートそのものの個人掲示板でさえ、そんなことが起こるのです。
事実、幻魔大戦ファンクラブの紙面で、そういった投稿が蔓延したといいます。平井和正の危機感は、やはり相当なものであったのだろうと想像します。
平井和正は何と云っていたか。『“ガチャ文”考』から引用してみます。

「そうでしょう。“文は人なり”と昔から言いますが、このことを言うわけですよ。“ガチャ文”を書く人間は、己れの鈍感さ、無神経さ、愚劣な自己満足癖といった、嫌な性格の偏りを如何なくさらけ出しています。自分の書いた文章が、他人にどんな心理的反応を惹起するか、一切考えないからです。相手が不愉快な思いをしようが知ったことじゃないのです。
 つまりですな、“ガチャ文”の書き手には、想像力というものがないんです。他人への思い遣り、濃やかな心遣い、心配りという精神的潤いに無縁なんです。一言でいえば、愛が欠乏しています。感性が干からびてガチャガチャしています。それで“ガチャ文”と名付けたんですがね。
 こうした“ガチャ文”ライターが、普段の日常生活において、どんな振舞をするどんな人物か、おおよそ想像がつくというものではありませんか。
 変に高圧的な口のききかたをしたり、人を見下げていたり、繊細な人間心理の綾というものを全く理解できない、手前勝手な、心の冷たいエゴイスト。自省や内省という高度な心理作用に無縁な嫌われ者。
 誰でも、すぐに何人かそうした類いの嫌われ者の心当たりが浮かんでくるんじゃないですか?
 気持の優しい人間は、必ず優しい思い遣りのある文章を書きます。思慮深い人間は綿密に配慮に富んだ文章を書くのです。理論的な人間は堅苦しい文章を書き、感性豊かな人間は詩的な文章を書きます。
 そして小児的な気儘者、他人の感情生活に無頓着な、無神経で鈍感な人間は“ガチャ文”を書くわけです」


浮かぶ、浮かぶ。浮かび過ぎるは、採れたてシャキシャキの新鮮な心当たりが(笑)。今回、あらためて読み返したのですが、三十余年の歳月を経て、まったく古びたところがありません。畢竟、テクノロジーがどんなに発達し、ペーパー同人誌がネットワークのSNSに替わったところで、そこに横たわる人と人とが交わる悩みや問題は、何ら変わりはないということなのでしょう。

ですが、『“ガチャ文”考』は同時に失敗でもあったと思います。それはやはり、こんさんのような受け取られ方が、大勢を占めたと思われるからです。前述したとおり、ウルフ会の会員さえも、そのように反応しました。主旨はあくまでも、一般論としての“ガチャ文”への警鐘であり、問題の匿名投稿への批判は、その具体例としての見本に過ぎなかったのですが……。しかし、肝心の主旨はさほど理解されず、プロ作家が素人を腐した、ひどい、かわいそう、と、その面ばかりがネガティブに受け止められました。

結果論の後知恵でしかありませんが、のちにエッセイ集に収録するのはいいとしても、ウルフ会においては、編集に携わるスタッフにのみ伝える「秘伝」に留めるべきだったのかもしれません。
もちろん、一定の効果はありました。以後、機関誌に悪文が載ることはなくなりました。ですがそれは、委縮し、闊達さを欠いた、不健全な平穏ではなかったかと思います。なにしろ機関誌には、当時現在進行形で雑誌連載されていた『黄金の少女』について、「犬神明不在のストーリーに対する是非」という、当然あってしかるべき声が、ただの一つも載ることはなかったのですから。ウルフガイのファンクラブであるにも関わらず、です。
効果があり過ぎた、と云えるかもしれません。

でも、これだけは弁護させてください。あの方はなにも「こいつムカつくからシバいたれ」と思って、あれを書いたわけではありません。一本の“ガチャ文”を看過し、それが燎原の火のように紙面を汚染すれば、それで迷惑し、不愉快な思いをするのは、素人たる多数の会員たちです。彼らを守るためにも、悪しき芽は摘んでおかねばならなかった。そのために一人の素人を容赦なく批判したのは、確かに鬼の業ですが、それは長谷川平蔵のそれでありましょう(鬼の平井で、こちらも鬼平です)。真意が理解されず、結果的に失敗だったとしても、その点は氏の肩を持っておきたいと思います。

不満についても、述べておきましょう。
収録したエッセイ集『ウルフの神話』の編集には、大いに不満があります。それは“ガチャ文”とされる問題の投稿そのものを掲載しなかったことです。確かに要所の引用はされているので、おおよそのアウトラインは掴めます。それでも、全文を読まないことには、本当に著者の批判が正しいのか、そのジャッジはできません。
許可が得られなかった、というのは考えられます。そりゃまあ、“ガチャ文”の見本ってことで、掲載していいですか? なんて訊いても色よい返事はもらえないでしょう。あるいは初めから、そんな許可求められるわけないだろ、ってことだったのかも。それはわかるんですけど、やっぱり残念ですね。
また里帰りしたら、パチリと写して、アップしちゃいましょうかね。

ああ、そうだ。いいこと思いついた。(と云うときは、たいてい悪いことを思いついている)
掃除した投稿も、スクショを上げればいいんだ。……なんてね。実は前から考えてました。
同列に掲載はせず、読みたくないひとはそれを避けることができ、興味のあるひとだけが閲覧いただける。それよりなにより削除された投稿ほど、どんなシロモノか見てみたくなるのは、人情ってものですからね。
おとなしくしててくれりゃ、そこまですることはなかったのですが、あれほどハッキリ「出入り禁止」と申し上げたというのに、性懲りもなく、まだ投稿を続けておられる。いやはや、分別のかけらもお持ちではないようで。そうとなったら、こちらも遠慮なくやらせてもらいましょう。すみません、これは余談です。

「おもしろユートピアの建設」を掲げるウルフ会でしたが、すっかり、おとなしユートピア、ヒツジ会になってしまいました。紙面の頽廃は防いだものの、それとはまた逆位相の望ましからざる状態に陥ってしまったように思います。そして、平井和正もまた、『黄金の少女』執筆に没頭し、会への関与から離れてしまいます。
『黄金の少女』という「腫れ物」に誰も触れず、ノン・ノベルで出ている範囲の旧作についてばかり、無難におしゃべりしている……。ヒハンしちゃだめ、ケンカしちゃだめ、やさしくやさしく、おだやかにおだやかに。……蓮の花咲く極楽浄土でも目指してんのかと。どうしても、ひとは極端に走ってしまうのですよね。
文句を云ったっていいし、バトルを繰り広げたっていい。大事なことは、読むに堪えない劣情を垂れ流すのではなく、それを読むひとに面白く愉しんでもらえるものにしようという創意であり、その努力です。
おもしろユートピアにしろ、“ガチャ文”考にしろ、平井和正が訴えたかった根本はそこにあると思うのですが、皆さんはいかがお考えになるでしょうか。


Re: 「鬼平」犯科帳〜『“ガチャ文”考』を考える。 - Name: こん No.1608 - 2019/01/26(Sat) 19:41:13
これは力の入った文章を……。私の数行の文章に、ここまでリアクションしていただくと、なにやら申し訳ない気分になります。もちろん、皮肉で言ってるんじゃありませんよ。

カナメさんのおっしゃることには、大筋で賛成するものであります。
ただ素人の粗雑な投稿に対する応酬という形で書かれた『“ガチャ文”考』は、やはり誤解を生みやすい形式だったんでしょうね。
あくまで一般論として書いて名指ししないか、プロの文筆家相手の反撃文だったら、もっと素直に受け取ることができたかもしれません。
飲み込みずらい薬だな、もうちょっとオブラートに包んでよ、という印象です。

それにしても、この『“ガチャ文”考』を目のあたりにしたら、会員の皆さんもそりゃ委縮するよな、とちょっと可笑しくなってしまいました(失礼!)。
うかつに投稿して、もし平井和正のこの剛腕パンチを己も食らってしまったら……想像するだに恐ろしい。至上最強のボクサーに、ひょろひょろの素人が完膚なきまでにボコボコにされてしまうようだ、とでも申しましょうか。
ライオンはウサギを狩る時も全力を尽くすと言いますが、当時ぼくが平井和正に感じた異様さはそれと似たようなものだったのかもしれません。

つまり相手が誰だろうが、手抜きをしない。生真面目で、真正直で、何事にもいつでも真剣、体当たり。
その常人を逸するとも言える、あまりにもストレートすぎる姿勢に、ぼくは引いたのかもしれませんね。
もちろん同時にそれが、平井和正の大いなる美点であることも、間違いないところでしょう。

ただ、その平井和正の資質と、ウルフ会の「おもしろユートピア」の理念は、水と油だったかもしれませんね。特に「黄金の少女」というハルマゲドン真っ最中小説を書いていた彼にとっては。
自身にない資質だったからこそ、憧れた理念だったのでしょうか?
だってやっぱり『“ガチャ文”考』は読んでいて「おもしろ」くも「ユートピア」でもない……いや、やっぱり面白いか? まあ、少なくとも腹は抱えませんよね。
たぶん筒井康隆なら、ユーモアあふれる文章かつ平井和正に匹敵するような腕力で『“ガチャ文”考』を書いたのではないでしょうか。

『地球樹の女神』あたり以降の「ハルマゲドンが去った後」の小説を読むと、それでも最終的には理想とした「おもしろユートピア」の境地に、彼はたどり着いたんでしょうかね?

さて……。カナメさんの力作に見合った返信になっておらず、申し訳ありませんが……。


Re: 「鬼平」犯科帳〜『“ガチャ文”考』を考える。 - Name: 弘田幸治 No.1609 - 2019/01/27(Sun) 04:24:59
 カナメさんとこんさんのやりとり、大変興味深く拝読しました。面白いなー。

 ひとつのケースとして、俺の『“ガチャ文”考』の感想を書かせてもらいます。

 機関紙を読んでいなかった、ということが大きかったと思うのですが、『“ガチャ文”考』に違和感というのは感じなかったですね。
 元になった一素人、一個人の文章を掲載しなかったことが功を奏していたのかな、とカナメさんとこんさんのやりとりを知って思いました。
 あくまでも“一般論”として読めたんですね。

 俺はどちらと言えば右翼で本多勝一とは政治的立場は真逆ですが、文章に関しては彼が師匠なんですね。文章の基本は本多勝一の『日本語の作文技術』で学びました。

 『“ガチャ文”考』を読んだとき、これは平井和正の文章教室かな、と思ったんですね。
 本多勝一のそれとは違って、具体的・実践的なものではありませんでしたが、平井和正の“文章観”が現れていて、ちょっとビックリしたことを覚えています。と同時に襟を正すような気持ちになりました。

 文章の向こう側に書き手の人格を視る、というのは、いかにも『幻魔大戦』の作者らしいな、と今となって感じるところです。
 いや『幻魔大戦』以前からのものだったのかもしれません。
 
 情念の作家・平井和正にとって、文章とは「想いを伝えるもの」だったのでしょう。
 ファンレターに必ず返事を書く作家。愛には愛で応える作家。
 そんな作家にとって“ガチャ文”というのは本当に許し難かったものだったのではないでしょうか。

 平井和正には私小説家の核があって、そのうえでエンターテインメントを書くとしたら、それは極めて私的な読者へのラブレターだったのでしょう。
 平井和正にとって読者とはラブレターの受け手であり、受け取ってくれた以上、自分を愛してくれている、と信じていたのではないしょうか。
 だからこそ、カナメさんがNo.1369でご指摘したように、読者に近づいては失望する、ということを繰り返したのかもしれません。
 俺が書いたラブレターを受け取ってくれたのだから、もっと自分を愛してくれ、もっと自分を理解してくれ、と感じていたのではないでしょうか。

 “泉谷あゆみ期”の作品をろくに読んでいないので断言はできませんが、平井和正の資質と「おもしろユートピア」とは相性が悪かった、と俺も思います。

 >自身にない資質だったからこそ、憧れた理念だったのでしょうか?

 というこんさんのご指摘はまったく同感で、「おもしろユートピア」とは「母の庇護の下の幸せ」なのだと思います。
 平井和正以前に管理人さんへの愛を告白したのは糸井重里でした。糸井重里もまた母との関係がよくなかったと言います。
 「母の庇護の下の幸せ」に幻想をもっている人間たちを魅了したのが、『めぞん一刻』だったのでしょう。

 平井和正と筒井康隆の文章に対するスタンスの違いは、標準語との距離感というのがありそうです
 神奈川県出身の平井和正と違って、筒井康隆はどうしても標準語との距離がある。筒井康隆にとって文章とは「伝えるもの」以上の機能があるのではないでしょうか。

 『“ガチャ文”考』を書いたのは、書けたのは、平井和正だったからだと思っています。
 読者への思い入れが強すぎるんですね。
 なにせラブレターの相手ですからね。

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