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謹賀新年 / HK [関東]
Salon de Socratesの20周年を祝うと共に、
主幹にとって今年も実りある良き年でありますように。
No.465 - 2024/01/04(Thu) 03:19:58
Re: 謹賀新年 / サロン・ド・ソークラテース主幹 [関東]
謹んで新春のお喜び申しあげます。
ありがたいお言葉をいただき、これからもご期待に応えることができるよう精進して参る所存です。
20年も続けてこれたのは、お便りに励まされてきたからでございます。
本年も何卒よろしくお願いいたします。
No.466 - 2024/01/04(Thu) 12:08:56
(No Subject) / アマデ
久しぶりに投稿させて頂きます。早速ですが、カラマーゾフの兄弟を久しぶりに読み直そうと思ってます。以前所有してた本が見当たらず、買い直しを検討中ですが、おすすめの翻訳者がありましたら、ご紹介をお願いします。
No.462 - 2023/08/02(Wed) 06:20:56
Re: / サロン・ド・ソークラテース主幹 [関東]
おひさしぶりです。
書き込み嬉しく思います。

『カラマーゾフの兄弟』ですか。
わたしは高校生の時に読んで以来、30年以上も再読していません。再読にはものすごいエネルギーが求められそうです。未だに印象が絶大で、最高峰の文学作品だと思っています。

さて、わたしが高校生の時に読んだのは新潮文庫の原卓也訳です。当時、ドストエフスキーの翻訳が最も充実していたのは新潮文庫でした。現在でもドストエフスキーに関しては状況は変わっていないと感じます。当時は翻訳を比較検討して選んだのではなく、何となくでもあり、「ドストエフスキーは新潮文庫」という思い込みもありました。わたしの本棚は新潮文庫のくすんだ青紫のドストエフスキーがずらりと並んでおります。

他の候補は、岩波文庫の米川正夫訳、話題になった光文社古典新訳の亀山郁夫訳、のふたつかなと思います。

わたしもしっかり比較をしてはいないのですが、米川訳はクセがあるが味がある、亀山訳は読みやすいが理解が足りないところがある、原訳は重苦しい、というのが特徴でしょうか。
識者の意見ではロシア語及びドストエフスキーの筆致に一番近いのは新潮の原訳のようです。確かに気持ちが滅入るような雰囲気があって頷けます。

もしも、以前お読みになったのが原訳でしたら、ベストセラーになった亀山訳で楽しんでみてはいかがでしょうか。
No.463 - 2023/08/03(Thu) 16:02:44
Re: / アマデ
早速お返事頂き、ありがとうございました。
以前所有してたのは、岩波文庫だったような気がします。
字が小さく、難解所も多く、挫折したのかもです。
今回は、新潮文庫でトライしてみたいと思います。
No.464 - 2023/08/17(Thu) 01:22:47
インターネット 古典 / HK [関東]
ネットには膨大な文章があるにも関わらず、
その情報の大海原の何処を探せど
未だ「古典」が見当たりません。

自分がただ知らないだけで、
そろそろどこかへ出現しているのでは?
インターネットが一般大衆に開かれ
そろそろ30年は経つのだし...

そのような事を考えながら
「インターネット 文学 古典」や、
「インターネット文学」などで検索し
このような題の記事が目に入りました。

"インターネットは文学の敵か"

ノーベル文学賞を史上最高齢で受賞した
レッシングさんの言葉が引用されてました。

「空虚なインターネットが最近の世代を蝕んだため、
 われわれの文化は断片化されて 誰も本を読まず、
 世界についてまったく無知になってしまった」

この内容には賛否両論あるようですが、
ひょっとしたら当たっているかもしれません。
(原文のスピーチはまだ読んでないですけど)

文章を書く人の絶対数は圧倒的に増えたはず。
あらゆる情報へ瞬時にアクセスできるはず。
人間は賢くなっているはず...

まして 誰にでも自分の文章を読んでもらえる
「発表の場」というステージすら用意されていて、
人類史上これほどは無いくらい恵まれている。

先人、先達、古の賢者の言葉や格言へ
いくらでも触れて知ることの叶う、
理想的で夢のような世界。

されど 純粋なインターネット発の
古典らしき古典は発見できません。
誰しもが知る名作といえるような、
時代を超えて評価されるような、
古の名著と並べても遜色がなくて
深遠な哲学や思想を含蓄したような、
ともかくそういう「何か」がない。

いったいこれはどういうこと?



"インターネットは文学の敵か"

もういちど同じフレーズで検索したところ、
このサイトの「文学の頁」に着きました。

特に「宣言一つ」の
"文学は死んだ" は素晴らしかったです。
ああ... こういうことだったんだ。
道理で古典なんて見つからないわけだ。

ひさびさに熱い文章が読めたので、
ほかにもあちこち読みふけって
気づいたら深夜の2時、今に至ります。
楽しませていただきました。



トップページを見てみたら「since May,2004」
すごい... 20年程も前に書かれているのに、
現代の有様をぴたりと当てている。

「大衆文学の洪水に押し流され、霞み、
 その価値を広く遍かしめる前に消えて行つた。
 大局を言へば文学は死んで、暗黒時代が訪れた」

こんな良いことが書かれているサイトが、
探せど探せど見つからないんですから。



消えて行くまえに読めてよかったです。
管理人様に感謝申し上げます。
No.460 - 2023/04/06(Thu) 02:19:39
Re: インターネット 古典 / サロン・ド・ソークラテース主幹 [関東]
ご返礼遅くなりました。
斯様な書き込み、大変有難く、そして嬉しく思います。

約20年前に書いた文章ですが、今も気持ちは変わっておりません。
ただ、当時は毎年のように文章を書いて発表するつもりでしたが、生活を取り巻く環境が煩雑さを増したり、満足のいく作品が仕上がらなかったり、と初志の通りとは行きませんでした。

さて、
「インターネットは文学の敵か」
とは興味深い論題です。

わたしは最強の敵でもあるし、最良の味方であると考えます。

現在はSNSで誰もが発信者となれる時代です。
しかし、発信すると言っても何を?
わたしを含めて、実に碌でもないことなのです。
かつては学者や第一人者のみが研究結果を印刷物で発表することができて、権威を持っていました。
それが今や素人たちが間違いだらけで「個人の感想ですよね?」としかいいようのない情報を湯水のように発信します。
そのおかげで本当に良い情報も大海の一雫となり、見失われてしまいます。
発信者たりえない人々が放つ煙幕は有害でかつ強力です。さらに妬み嫉みを交えた執拗な攻撃も発信することが可能になりました。かつては大衆の声は団結しないと力を持たなかったのに、今は実体のない増幅された大衆の声を捏造することが可能です。
最強の敵である所以です。
文学とは相容れない人々の発言に世の中は埋め尽くされてしまった感があり、今一度「文学は死んだ」と痛感します。

しかし、インターネットは味方にもなり得ると考えます。
知恵を手に入れるには先人の教えを学ぶ必要があります。かつては書籍を読む方法しかありませんでした。書籍を手にいれる必要がありましたし、その書籍も信用できるかどうかわかりませんでした。
それがインターネットの登場で、知識の海原は無限に広がったのです。決して知ることができなかったことまで手に入れることができる。それも平等に即座に。これは大変素晴らしいことです。限りある人生で成し得ることが格段に広がったのです。
わたしは革命だと考えております。産業革命以来の人類の大革命はインターネット革命なのです。
現にそれまでの人間が成し得なかったことを次々とやってのける人が出現してきました。

まとめると、インターネットの恩恵は素晴らしいが、害悪はそれを上回っているといえましょうか。

文学に話を戻すと、最早文学という形態が力を失っていることに気付きます。
文学だけではありません。ご存知のように映画も早回しで観る、音楽は部分しか聴かない。人生の糧、自分の内面を形成する根幹、こういった要素は見向きもされなくなり、振り返ってみて何の為に生きたのかわからない人生を送るようになる人間が増えるのです。

ソクラテスの「ただ生きるのではなく良く生きよ」の命題は今こそ重要です。それには文学が必要だと思うのですが、このことに気が付く時代ではまだなさそうです。

と、ここまで書きましたが、わたしもまた下らないことを書き流しています。
後世のためになるような仕事をして人生を終えたいものですが、志は捨てず、コツコツと学んだことから得たものを残せればとは思います。
「芸術は長く人生は短し」です。

今後ともよろしくお願い申しあげます。
No.461 - 2023/04/11(Tue) 01:02:11
初めまして / sato [近畿]
初めまして、satoと申します。「音楽の頁」をいつも楽しく読ませて頂いており、時たま鑑賞の助けにもさせて貰っています。
私は新進の演奏家よりも、多くがすでに存命でない旧き良き演奏家の録音が好みで、特に私個人がピアノをかじっていることもあってリパッティとカペルは自分の中で双璧です。リパッティのブザンソンリサイタル、カペルのブラームス/ピアノ協奏曲第1番は私には神品と刻まれています。二人のことをネットで色々読んでいるうちにこのサイトにたどり着きました。良い出会いであったことに感謝しきりです。今は連載にカペルのページが加わることを心待ちにしている次第です。
上の二人に限らず好きな演奏家はたくさんいるわけなのですが、主幹様の忌憚の無い文章を読んでいると、そうした部分で色眼鏡に陥りがちなところを鋭く刺激してくれるようで、教えられることが多いです。批評することは人の好き嫌いに関わることですから、もちろんお気に入りの録音に難癖を付けられたら不快に感じることもあるのは当たり前で、私も主幹様の論評にそういう不快感を覚えることがあります。しかしそれは一時的なもので、改めて聴いてみれば真っ当なことであったり、そのような難癖にも関わらず結局自分はその録音が好きなのだと再認識するきっかけになったりと、ともかく意見は色々とあるのでしょうが私は主幹様の文章が好きでついつい読みに来てしまうので、これからも変わらないスタンスで存分に書いて頂きたいです。
全く話は変わりますが、室内楽も滅法好きで近頃はレーヴェングート弦楽四重奏団の虜になっています。しかしCDへの復刻が限られているのと、私がレコードプレーヤーを所有していないのとで耳にできる録音が少なく残念に思っています。アルフレート・レーヴェングートはリュシアン・カペーに習ったということもあって、よくカペー四重奏団の衣鉢を継いだ弦楽四重奏団といわれるようですが、確かに両団体のベートーヴェンには相通じる趣が感じられる瞬間もあります。主幹様はレーヴェングート弦楽四重奏団をお聴きになられたでしょうか?ベートーヴェンではありませんが、DOREMIから復刻されたモーツァルト/クラリネット五重奏曲の演奏はクラリネットの好演も相まって嘆息を禁じ得ません。
これからも主幹様の録音評を楽しみに立ち寄らせて頂きます。
No.458 - 2017/02/16(Thu) 15:28:16
Re: 初めまして / サロン・ド・ソークラテース主幹 [関東] [ Home ]
sato様
はじめまして。書き込み嬉しく思います。
私もリパッティとカペルは特に好んでいるピアニストです。カペルは市販された音源は全て所持していると思いますが、クーセヴィツキーとのハチャトゥリアンの協奏曲、オーマンディーとのブラームスのニ短調協奏曲、バージンとのプロコフィエフの第3協奏曲などがあるそうです。実はカペルのディスコグラフィーを少し作ってみてはいるのですが(未蒐集音源の確認のため)、記事を書くには至っておりません(全ての音源を丁寧に聴きなおさないといけませんから)。先日もMarstonから初出音源満載の3枚組が送られてきました(会員になっているので)。日本でも間もなく一般入手が可能になるので、是非お聴きください。 
リパッティもまたMarstonから未発表音源かもしれないリリースが予告されているので、期待が高まります。リパッティのディスコグラフィーは完成させましたが、先日Archiphonレーベルからmp3で提供されているチェロのヤニグロとの録音を聴き、記事を追加する予定です。曲目にベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番の第1楽章があります。唯一のベートーヴェン録音ですし、大変な名演でした。
最近は怪しいCD-Rが世界中で出回っており、全てを追うことは不可能な気がしてきましたが、好きな演奏家は追っていきたいですね。
CDの感想は好き勝手に書いており、快いものばかりでないことはお詫びします。好きな録音だけを取り上げて書けば何ら問題は起こらないのですが、褒める記事だけを書き続けてもつまらないと思っています。突き詰めると好き嫌いの世界ではありますが、好きだからこそ蒐集して聴いているのであって、贔屓しすぎないスタンスだとご了承ください。
レーヴェングートSQは気になっているのですが復刻が少ないですよね。まとまった復刻があれば是非聴いてみようと思います。差し当たっておすすめいただいたDOREMI盤は入手してみます。
これからも何卒よろしくお願い申し上げます。
No.459 - 2017/02/16(Thu) 20:46:47
文学作品の映像化について / 加藤勇二 [四国] [ Home ] [ Mail ]
久しぶりにこちらに書き込みをいたします。
僕はカズオ・イシグロの作品が好きで、中でも「私を離さないで」を愛読しています。
昨今流行りのトリックやネタといった、ギミックで読者を惹きつけるのではなく、
生命倫理といった、いわば大文字の思想を読者に問いかけている作品であるがゆえに、
数多くの読者を獲得したものかと想像しています。

ところで、先月からTBSでは「私を離さないで」が、綾瀬はるか主演により実写化されています。
すでに映画化された作品でありますが、
予想通り、ドラマ化されたためか作品の主題が曖昧になり、たいそう困った作品となり、見るに堪えないものとなっております。

そこで主幹さんに質問ですが、文学作品を原作とする映像作品について、どのようなことをお考えになられていますか?
私の見解としては、文学作品を原作とする映像作品は、あくまで原典のおまけとでもいったものであり、原作を超えることはできないと考え、また感じています。
勿論、「老人と海」や「風と共に去りぬ」といった、優れた映像作品により、原作が新しい意味合いを被る、生き生きと蘇ったものもある一方で、
映像化されることにより、原作が汚されることも少なくないかと感じております。

映画監督である小津安二郎は、敬愛する志賀直哉の作品を映画化することを嫌悪していたことを考え合わせることは、文学と映像とを考える符牒に思えます。
No.456 - 2016/02/20(Sat) 23:15:12
Re: 文学作品の映像化について / サロン・ド・ソークラテース主幹 [関東] [ Home ]
書き込みありがとうございます。
なかなか難しい問題だと思います。私も少し前までは文学作品の映像化に関しては論外だと切り捨てていましたが、最近は最早別物として考えればいいのではないかと見方を変えるようになってきました。
原作に忠実、もしくは原作に限りなく近く再現する意図で制作されたものはそもそも無理があり、所詮原作を超えることができないと考えています。
この考えの根幹にあるのが、文学作品は表現方法として文字で、小説として表現することを創作の段階で選んだのであり、その他の表現方法には向いていない筈だという考えがあります。
少し脇道に逸れますが、私は娯楽映画、所謂典型的なハリウッド映画は嫌いで、寧ろ日本映画の方を好んでいましたが、ここ数年めっきり詰まらなくなりました。最大の理由はそのほとんどが漫画や小説の映像化となったからです。件の表現方法の話に戻しますが、映画は2時間前後の枠で映像という表現方法で魅せる芸術でなくては本来の価値を失います。黄金時代の映画作品が素晴らしいのは、この原理に適っているからです。単に原作の世界を映像化したいからという動機で映像化しても成功はしないのです。
ただし、最初に述べたように別物として割り切っているのであれば、十分に存在価値はあると思います。原作のある一部分を抜き出して、映像化に相応しい表現方法でアレンジするのは創作行為として推奨してもいいのではないかと最近は考えるようになりました。
映像作品が文学作品にネタを求めるようになったということは危険なことです。映像制作に携わる人々の想像力が枯渇してきている証拠だと思うからです。
映像は映像で勝負し、文学は文学で勝負するのが健全です。テーマやヒントを文学作品に求めることは良いと思いますが、その際に映像作品として咀嚼し反芻し変容させ新しい想像力を漲らせないと所謂パクリでしかないのです。
好きな原作が汚されるのは堪らないですね。原作に新しい側面を与えるような映像作品が登場することを期待します。
No.457 - 2016/03/05(Sat) 01:41:46
銀の匙 / アマデー
最近、中勘助の「銀の匙」を読んでます。日本有数の進学校である灘中学校の国語の授業では、この本を3年間で読んでいたそうです(今は知りません)。外国の文学も良いですが、日本文学の魅力もなかなか捨てきません。外国文学の場合は翻訳の巧拙によって内容自体が左右される場合がありますが、日本文学は言葉そのものの美しさをそのまま直接味わえますね。
No.451 - 2013/09/15(Sun) 07:20:37
Re: 銀の匙 / アマデー
他には、漱石の「草枕」、宮沢賢治の童話、「注文の多い料理店」童話集、風野又三郎(風の又三郎の前作)、銀河鉄道の夜(最終稿ではなく第3稿)が素敵です。生涯繰り返し読んでも読みつくせない正に宝の山!!
No.453 - 2013/09/15(Sun) 18:51:18
Re: 銀の匙 / サロン・ド・ソークラテース主幹 [関東] [ Home ]
いつも書き込みありがとうございます。返信が遅れましたことお詫びいたします。
中勘助はまだ読んだことがないのですが、漱石の薫陶を受けた方ですから文章の味わいは格別でしょうね。
おっしゃるように外国文学は翻訳で受け取り方が大分異なりますね。名作と謳われていながらあまり印象のよくなかった作品も多々あります。そういう作品は出来れば別の訳で口直しをしたいものですが、選択肢がそんなに多くないので甘受するしかありませんね。
「草枕」は日本文学の唯美主義の頂点かなと思っています。現在では生まれ得ないような作品ですね。漱石の他には、尾崎紅葉、泉鏡花、谷崎潤一郎、これらの作家の文章には魔神が宿っているようで日本語の美しさを感じずにはいられません。
宮沢賢治には何故か食指が動かず殆ど読んでいませんが、そろそろ真剣に向き合ってみようかと思います。
これからもおすすめの文学作品がありましたらどうぞご紹介ください。
No.455 - 2013/10/14(Mon) 01:24:19
アーベントロート / アマデー
最晩年のブラームス1番をとても評価する音楽評論家(名前失念)がいたのですが、私には印象に残りませんでした。他いくつかのCDやエテルナLPも入手してみましたがダメですね。人それぞれ好みがありますね。紅茶が好きな人、コーヒが好きな人、両方とも好きな人、嫌いな人、これについて無関心な人。各人が己の好みを主張する。音楽評論も所詮似たようなもの。多少小賢しいだけかも。
No.449 - 2013/09/07(Sat) 20:15:52
ワルターのフィガロ / アマデー
私は1937年ザルツブルグ・ライブを米AndanteのCDで聞いています。これは今は入手しづらいかも知れません。まずワルター指揮ウィーンフィルの音色が何よりも素敵です。歌手もスザンナ役はともかく当時としては満足できるものです。マーストン氏の復刻ですが、録音は時代それなりで、愛聴しにくいところもあります。けど、このオペラが大好きな人にとっては決して手放せないものであることは間違いありません。
No.446 - 2013/08/31(Sat) 07:54:16
C.クラウスのフィガロ / アマデー
私はM&A盤で所有しています。本当はPreiser盤で入手したかったのですが、現在では見つけるのが困難ですし、見つかったとしてもPreiser盤は高価なので諦めました。M&Aには一応DRAの音源提供と記載されています。独逸語上演は戦後のザルツでのフルトヴェングラー指揮もそうでしたし、スイトナーのコシやケーゲルのカルメンも独逸語録音ですね。もちろん原語が良いにきまってますが、目くじらを立てる必要はありません。
No.424 - 2013/07/07(Sun) 18:03:43
Re: C.クラウスのフィガロ / サロン・ド・ソークラテース主幹 [関東] [ Home ]
書き込みありがとうございます。
M&Aでありましたね。他にもクラウスの戦中の貴重な音源が入っていたと記憶しています。
音も良さそうですね。
この時代、全員ドイツ人歌手による上演ですから当然ドイツ語歌唱ですよね。他にクナッパーツブッシュもありました。
特に気にならないですし、あくまで今日的な尺度で原語ではないがと一言添えた次第です。
所持しておりませんが、クラウスにはボエームやアイーダのドイツ語上演もありましたね。
No.433 - 2013/07/14(Sun) 01:09:57
サバタ / アマデー
と、言えばヴェルディのレクイエムのEMIスタジオが有名ですが、イタリアDECCAから限定で発売されたヴェルディ没後50年記念のライブが個人的に好みです。ソプラノは場違いなシュヴァルツコップフよりテバルディのほうがしっくりくるようです。音も鑑賞に耐え得るので再発売されないかなぁ?(抜粋のCDRしか所蔵してないので)と思います。
No.411 - 2013/06/08(Sat) 18:32:14
Re: サバタ / サロン・ド・ソークラテース主幹 [関東] [ Home ]
アマデー様
いつも書き込みありがとうございます。
レクィエムそういえばありましたね。1951年のライヴですね。私も所持しておりません。今となっては入手が容易でないのが残念です。気長に探してみます。
EMIの録音も久しく聴いていないので引っ張りだそうと思います。
情報ありがとうございました。
No.412 - 2013/06/09(Sun) 08:27:13
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