 | MASAです。
遅ればせながら書き込ませていただきます。
●村上みみのさんの『愛情乞食』
タイトルにシンパシーを感じます。愛情に飢えたものもらい。このタイトルが差し出す手に導かれるままに読む。この抗うことのできない誘惑を求心力と呼ぶのでしょう。
<社学同>という言葉を、僕が正しく認識したのはつい最近のことですが、その言葉や<ドブのような神田川>という言葉が、僕に、漠然と60年代後半〜70年代前半という時代を連想させるのですが(間違っていたらすみません)、その時代を肌で知らない身ながら、どこかで郷愁を感じています。同時に、で、あるのに、皮膚感覚を貫く<痛み>にも似た感触を覚えるのです。その<痛み>こそが、僕を惹き付けて止みません。というのも、梵天瓜が抱える愛情に対する飢えと、それをより強固なものとしている中学時代の悲惨な体験に、僕の心が既視感を誘発するからです。
また、睡眠薬の<カルモチン>。この薬剤名が持つ文学性は、太宰治や金子みすゞが大量服用したで確立されたものだと捉えていますが、本作においては、愛情に飢えている梵天瓜の焦燥めいた感情の拠り所ではないかと。となれば、むしろジャズ・サックス奏者で、夭逝した阿部薫のカルモチン大量服用事件を連想させ、その止むに止まれぬ飢えが痛々しいほどです。
それにしても、週の愉しみが一つ増えました。ありがとうございます。
日頃、映画にしろ、小説にしろ、コミックにしろ、滅多に観ることのないTVドラマにしろ、一気に最後まで親しむようにしている(続きを<待つ>ということがたまらなくなるからです。せっかちなんですよ、僕ってば^^;)のですが、今回は久々に<続きを待ち焦がれるという愉しみ>を味わっています。
さてさて、この先どういう展開となるのでしょう? 愉しみに月曜夜を待つことにします。 |
No.40 - 2008/09/16(Tue) 13:30:22
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