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WINGBEAT COFFEE ROASTERS
蓮杖那智フィールドファイル / 幽星 [関東]
 掲示板を見ていて、また北森作品を手にとるようになった。こんなことを書いても、いまさらなのかもしれないとしりつつ、久々に筆をとった次第。

 蓮杖那智フィールドファイルは、個性的な作品といっていいかもしれない。古代史ミステリは、すでに書かれている。民俗学をストレートに取り入れた作品、それも連作はめずらしい。今、ミステリは旅情、伝説の要素などをもちこむことが流行りらしい。民俗学もその流れにあるとはいえる。
 民俗学を題材にするに当っては、作者の民俗学への造詣がもとになっているはずだ。柳田国夫、折口信夫といい、文芸的に見ても優れた民俗学者がいて、民俗学には作家として食指の動くところだろう。民俗学的な謎を語りながら、民俗学の現場にくりだし、そこで事件に遭遇して、民俗学的な解釈をめぐって、謎解きがされる。贅沢な趣向になっていて、連作を送りだすことは、容易ではなかっただろうが、好きな分野で創作する楽しみも見出していたのではないか。
 ところで、那智の設定は、どのような考えがあってのことだろう。その言動からは、すなおに女性であるとは受け取りがたい。気の弱い助手の上に君臨する存在として、カリスマ性を強調した結果だろうか。飄々とした老大家ではいけなかったのだろうか。自ら研究室の現場に身を置くとしたとき、どんな先生に師事するか、できるだけ現実離れした存在にしておきたかったということはないだろうか。
 助手で気の弱い三国がもっとも物語に関与し、民俗学者を諦め教務課に務める狐目、同じ助手で有能な美貌の佐江などの仲間がいて、事件に遭遇したときに助けてもらうことになる。読者の共感をよぶ設定である。那智は、民俗学的に鋭い指摘をおこない、専門に関しては学生をふくめまわりに厳しい。那智に命じられるまま、現地へ赴くのは三国や佐江のほうである。三国は、仲間たちによってずいぶん救われている。
 文体は、端正で読みやすい。さらに、擬古文で古い資料を案出したり、論文の一部を転載する体をとったりと、ほんとうらしさを出すことに努めている。作者の特徴がもっともよく現れているといえるかもしれない。
No.15 - 2010/12/05(Sun) 21:28:40
うさぎ幻化行 / 絢 [近畿]
本日、最寄図書館にてやっと『うさぎ幻化行』を読了しました。
書き出しなど、『メビウスレター』を思いだしながら
北森さんの「遺作」を読み進めていて、
場所を忘れ思わず声を上げてしまいました。

この掲示板にも書き込んだ覚えがありますが、
登場人物名に自分の名前を使っていただくという企画が
完了されるまえに北森さんは他界されてしまい
応募していた自分としては沢山の意味で残念で仕方なかったのですが、
『うさぎ』のなかに自分の名前があったのです。

ありがとうございます。も
大変素敵な時間を過ごせました。も
ご本人に述べられず、返す返すも心残りですが
ただ、驚きと感動をまた北森さんからいただきました。

『うさぎ』の中には私のような方がほかにもいらっしゃるのでは、と推測もできました。
No.14 - 2010/12/05(Sun) 19:13:44
鴻さんと清張 / 幽星 [関東]
 鴻さん本人に確かめたかったのは、横溝といまひとり清張についてどう考えていたかだった。横溝についてはすでに述べさせてもらった。清張との関係について考えたいのは、同じように美術商の世界を題材にしていること、近世の歴史の裏面に取材した作品を発表しているからである。読後感は、かたや権力のダイナミズムをとらえドライであるのに対し、いまいっぽうは個人に目を向け情感的で、対照的である。
 鴻さに直接係わる内容でなくて気が引けるが、清張を読み返すことがあって、以下を書かせて頂きたい。

 清張の代表的なミステリーが、本人の優れた作品といえるのか甚だ疑問に思っている。そこにミステリーを構築する上で強引な設定が認められ、現実感が希薄になるからだ。かといって、ほかの作品まで同列かというと、とんでもないのである。
 モデルのある作品、特に短編や、時代小説や近代の事件を扱ったものは、強引な設定などは必要なく、説得力のある作品になっている。その写実性や、鋭い洞察力は他の追随をゆるさないものがある。
 今回、たまたま読んだ「小説三億円事件」にしても、ノンフィクションといっていい作品で、犯人はこれで決まりだと苦も無く納得させられてしまう。
 カポーティによって一時期、ノンフィクションノベルなるものが流行ったが、清張にもそれに類するものがあり、出色のできを示しているし、歴史的な謎にせまっても実証性をもって論考を展開している。カポーティはノンフィクションの迫力に捉われ、以降、ろくに作品が書けなくなった。
 ノンフィクションノベルにふさわしい作家があるとすれば、清張がその代表といってもいいだろう。清張の真価をしるには、氏にふさわしい作品を選んで読まなければならない。
 鴻さんは、清張の真価を理解していたのではないだろうか。『蜻蛉始末』、『暁英 贋説・鹿鳴館』とも、方向として清張との類似を感じさせる作品といえるように思える。しかし、二人の作品の読後感はまるでちがう。清張は、権力機構の冷酷な面を印象づけるが、鴻さんの場合は、巨大な権力の影を意識させながらも、個人が身をよせあう姿を伝える。
No.13 - 2010/09/05(Sun) 08:51:17
横溝に捧げる論考 / 幽星 [関東]
 金田一耕介に捧げられた短編を読んで、久しぶりに横溝作品を読み返した。横溝が大々的に復刻、喧伝されたのは昭和51年ころからだったろうか。映画も大作が造られ、空前のブームのようになった。すでに過去の探偵作家のように見なされていて、読者から火がついたというより、出版社側で価値を認め復活させたような成り行きだった。
 鴻さんは『真珠郎』で衝撃を受けたと語っているが、こちらは『鬼火』にまいってしまった。エンタテイメントでこれほどの文体を駆使して、情感豊かな怪奇小説が書かれたことが驚きだった。谷崎潤一郎を彷彿とさせる表現力。以来、金田一ものにはまって、ずっと読むようになった。
 横溝のすごいところはどこか。持ち前の悠揚せまらぬ語り。奇天烈なトリックによらず、人間関係のなかに謎を設定する。様々な登場人物を存在感のある姿で描く。ミステリーの要素を除けば、小説そのものに近づく作風。
 架空の現実世界で、人間関係をたどりながら、謎が深まり、真相の解明が待たれる。登場人物が実在しそうになかったり、人と人との係わりが不自然であったりすれば、いくら謎解きが鮮やかでも、読者をそう引きつけられるものではない。
 ミステリーは、風俗小説であっても、ノンフィクション仕立てであっても、普通の小説風であってもいい。その方が、ミステリーとして厚みがでる。チャンドラーもシムノンも、そうした作家である。クリスティーも、それらに近い。彼らに並べられるのが、横溝ということになるだろう。お堅いことをいっているつもりはない。ある程度、現実にありうる行動なり心理などが描かれていなければ、中身は空疎なものになるだろう。
 それでは、現代の日本の作家はどうなのか。作品数を誇らずに、トリックの奇抜さにとらわれぬ内容を目指したら、どうなのだろう。海外の作家と伍することを考えたらどうだろう。数を手がけない海外のほうが、人物像がしっかり描かれていたりする。勤勉が取り柄の作家なんかつまらない。
No.12 - 2010/08/17(Tue) 18:09:23
文芸ミステリーについて / 幽星 [関東]
 文芸ミステリー、たしかこんな分類があったはずだが。鴻さんの『闇色のメロディ』なんかも、これだろうか。この種のものは、なかなか難しいものがある。文芸色をもちだすと、青臭いものになりがちだ。衒学的になってもまずい。鴻さんの作品でも、現実性をだすことに考慮していることが窺われる。

 ジョイスに関わる外国のミステリーを読んだときは、驚きだった。『ジェイムズ・ジョイス殺人事件』バーソロミュー・ギル。文芸色が表面的なお飾りにならず、それでいて衒学的でもない内容に驚いたのだ。ジョイスという、当地でも敬遠されてきた作家を持ち出したところがよかったかもしれない。ジョイスは、文学史上、欠かすことのできない作家になっている。しかし、作品ではジョイスの価値について講義風の解説はしない。
 とっつきにくい作品を我慢して読むと、なにが書かれているか言及するだけの、素朴な扱い方である。ジョイスが捉えたダブリンの人と一日。当時から変わらないものがあるのが見えてくる。意識の流れなんてどこにもでてこない。ジョイスの協力者のベケットもでてくる。これも名前はしられているわりに、作品はとっつきにくい。向こうでも変わらないようである。表現に懐疑的、感性、思考の虚妄性を唱える、難解な思想を、研究者とのやりとりで、巧みに現実の事象のなかで取り上げている。
 ともかく、退屈なところはないし、大衆的にはそうだよなと思わせるところがある。あのジョイスを読みたくなるくらいである。
 作品では、ジョイスやベケットに言及しながら、ブルームズ・デイに起こった、ジョイス研究者の死とまわりの冷ややかな反応を通し、ダブリンのインテリたちの退廃した人間関係を追及したものになっている。大衆を代表する警視マッガーが、インテリに臆することなく、こわもてで対するところがいい。『ユリシーズ』とともにダブリンの現代を紹介するものになっているところも注目される。もともと、これを手にとったというのも、『ユリシーズ』、はたジョイスを読むことが敬遠され、手っ取り早く触れられたらと思ったことによる。

 鴻さんから些か離れた内容になって恐縮です。
No.11 - 2010/07/24(Sat) 07:18:19
岩崎邸 / 幽星
 『暁英』に関連して、コンドルの建築について述べたい。
 湯島天神の下から無縁坂のほうへ向かい、神社の参道に入るように、岩崎邸の入口から砂利を敷いた坂道を上がって行く。敷地内を本郷台に上がっていくようなものである。樫などの常緑樹が黒々とした茂みをつくっている。のぼりきると公孫樹の大樹が枝を広げ、棕櫚を植えた車止めの向こうに邸宅正面が見える。アイボリの色調の壁、バルコニーを戴き、双子柱に支えられたエントランスが突出し、角柱形の塔屋が控え、左右に棟のファサードが広がる。
 岩崎邸は、弥太郎が他界したあと、留学先から帰国した息子の久弥が、コンドルに設計を依頼して、明治二十九年、1896に竣工したものである。久弥は、叔父の弥之助に替わって社長に就任していた。
 邸は、コンドル初期の代表的なデザインがあらわれた建築といわれる。内部はホールをぬけたところで、褐色の双子柱に支えられたおくに屈折する階段が現れる。重厚な木調を表わし、手すりに見られる、絞りだすような形態は、ジャコビアン様式といわれるものである。十七世紀の意匠を復古的に用いたものである。アカンサス模様、地中海の植物に由来する、巻き形の模様が各処に配されている。天上には、木枠のように木骨が交叉し、なかに植物や花の模様が装飾されている。部屋のドアは、オーク調の重厚なものであるが、その周囲がアーチ形の意匠で囲まれている。内部に凝った意匠が施されているようだ。
 一階の東側には、広い窓をめぐらしたサンルームがあって、裏側にはベランダが設けられている。列柱が廂部を支え、床にはイスラム風のタイルが敷かれている。アーチといい、床のタイルといい、コンドルは建築を手がけた当初からイスラム風のデザインを取り入れていた。鹿鳴館でも用いられ、不思議な印象を残すもとになった。個人の好みのようなものである。
 二階の部屋の壁は、植物文様、曲線文様などの金唐革紙張りである。厚い和紙に錫箔を置き、押し型にして文様を浮き上がらせ、文様が浮き出るよう地に彩色したもので、ワニスが塗られたまま浮き出したところが鈍く光り、沈んだなかに文様に覆われた壁を構成している。本来、ヨーロッパの宮殿や寺院の壁や天井に使われていた装飾革を和紙をもとに模造することが案出され、これを建築に採用したものらしい。
 婦人の部屋には、花唐草の文様を施した衝立が置かれて、その陰でテーブルに向かいあったようである。天上には木枠に囲まれ、ペルシア織が貼られている。
 庭に面して二階にも通しで、広々としたベランダがある。フレンチドアを開いて出られるようになっていて、そこから芝生を植えた庭の平面と背後の庭木の茂みが見わたせる。一階と呼応するベランダで、コンドルの好んだ施設である。高温多湿の風土に合うと判断したようである。鹿鳴館でも同様で、そのスタイルが植民地風ともとられたようである。二階のベランダに立つと、風通しもよく、庭が目いっぱい見わたされ、心地よい空間になっている。
 一階の西のほうへ移ると、和館が廊下を介し、接続されている。洋館は、洋風のもてなしの施設、接続した和館は、書院風のつくりで、鴨居の上が高く、格式ある和風の場になっている。こちらはコンドルの手になるものではなく、広い縁があってこじんまりとした枯山水の庭から広い芝生へでられる。和洋のさりげない移行に、二つながらの文化の共存が思われる。
 だだっ広い芝生は、広闊な野をイメージするものだろうか。その周りには、木立のなか巡回式の日本庭園が広がる。日本庭園に入ると、常磐木に覆われ陰になったところを路がめぐっている。邸の北東に撞球室のスイスのコッテージ風、校倉造、鱗壁の黒々とした建物がある。
 岩崎邸を見るにつけ、工部大学を離れても、実業家の贔屓で充実した仕事に恵まれたことがしれる。
No.10 - 2010/07/18(Sun) 08:30:41
コンデル先生 / 幽星 [関東]
 コンドルは、日本の文化について考究したことを何冊かの本にしている。そのなかのひとつ『河鍋暁斎』を、コンドルと面識があり、暁斎への紹介の労をとったといわれる山口融の子孫であられる山口静一氏が翻訳されているというのも、コンドルとの付き合いが世代を超えて家系のなかで伝えられているかのようだ。
 コンドルの日本研究は、日本文化に強い関心をもって理解につとめ、紹介の面をもちながらまとめられたもののようである。暁斎については、その画技に即しながら日本画の魅力、技法を平明に伝えている。理解は深く、おのずから本質にもせまっている。彼は日本の画家に伝統を保持することばかりを求めず、自由な精神で美術をうみだすことを願ったようである。フェノロサの龍池会とは一線を画したは模様である。
 絵画のほか、服飾に関心をもち、生花を知り、庭園を研究し、歌舞伎を楽しむなど、いかにも日本文化に親しんでいる。素人劇を主催したり、写真や自動車にこったり、陽性の人だった。なかなか欠点のみつからない人だ。
No.9 - 2010/06/26(Sat) 23:08:20
鹿鳴館について / 幽星 [関東]
 『暁英』を読んでしまって、気がぬけたようなところがある。熱の入った作品だったし、コンドルが来日し、西南戦争の起こった時代、維新以降、西欧文化を取り入れようとしてきた時代に思いが及ぶ。作品そのものについてというのではなく、鹿鳴館のことを少々。

 鹿鳴館、ロク・メイカンで開かれた舞踏会の様子を書きとどめた、外国人の記録がある。その人物は、あの有名なフランス海軍軍人にして作家のロチである。『江戸の舞踏会』と銘うち、開化の日本で招待状を受け、横浜から汽車と人力車でやってきて、日本の令嬢とダンスをして、そこに集まってきた様々の人種の人たちや日本の高官とその夫人たち、見学にきた女官たちを観察し、書きとめた。
 鹿鳴館の入口には、屋根を戴いた門があって、庭にはホウズキ提灯が張りめぐらされ、館の軒先にはガス燈が掲げられている。この門のことは作品にでてきた。建物は、温泉街のカジノを思わせたとある。これ、作品でも鴻さんが使っていた。踊りで体のほてったロチと連れの娘は、露台にでるが、中国人大使の一行が陣取っていて、打ち解けることができなかった。夜の庭では仕掛け花火が上がり、つめかけた人々を照らしだす。芥川の『舞踏会』では、実に甘美に扱われているが。
 鹿鳴館はできたてで、植民地に西洋もどきに建てられた大がかりな館のようにでも見えたようだ。ベランダを目だって取りつけているせいだろうか。人力車に乗ったロチは、屋敷跡の裏門から入りこんだようだ。正門からならば、門柱の間をぬけて入りこんだことだろう。エントランスへのまっすぐな路、車回しの植込み、左手に石垣で囲った池。
 ロチの観察は、持ち前の好奇心で活き活きとしている。江戸にくる前には、長崎で斡旋してもらった日本女性と同棲し、日々の暮らしぶりを日記風に記録している。大胆で野放図な人柄そのものであるが、斡旋による女性とは深く心を通わすことができなかった。これが、『お菊さん』である。
No.8 - 2010/06/19(Sat) 19:06:34
暁英 贋作・鹿鳴館 / 幽星
 『暁英』を読み終えたので、さっそく意見を書かせていただきます。

 『暁英 贋作・鹿鳴館』は、読み始めからわくわくして、いつの間にか読み終えていた。暁斎、国芳に入門したこともあり、狩野派で腕を磨いた、鬼才、異端の絵師は、権力者を諷刺する反骨精神の持ち主で、作者の気に入りの人物だ。それに、J・コンドル。若干25歳でお雇い建築家として日本に招聘され、工部大学校造家のエリートたちを教えるかたわら、工部省営繕局顧問を務め西洋建築の設計にあたった。維新時に破格の厚遇で迎えられ、異国での務めを終えたら帰国するだけのお雇い外国人ではなく、日本の生徒には誠実に対し、なにより日本文化を愛し、日本に留まりつづけた。日本の絵を学ぼうとして、異端の絵師、暁斎に教えを乞い、暁英の画号をもらった。コンドルに着目するのも分かる。
 維新の急激な変革の裏には影の部分が存在する。コンドルも影との係わりを持たされる。コンドルのたどりつく、明治の実力政治家の進めた近代化における秘密の提示は、鮮やかだった。鹿鳴館がどうして奇妙な様式で建てられたのか、そこにも秘密はつながっていく。
 時代の奔流に翻弄される人間への眼差しは、作者らしいものだ。無頼に見えながら、人情を解する人間も、権力に阿ることなく弱者に温情を示す人間にしてもそうだ。維新を舞台にした北森ワールドといってよさそうだ。
 物語は、鹿鳴館が建つところで、擱筆されることになったけど、物語は一応始末がつけられているようだ。あとにあるとすれば、プロローグに対するエピローグか。コンドルは、辰野金吾など教え子に第一線を託し、日本永住を決断し、事務所を開設、岩崎からの仕事をこなし、妻を迎え、各種個人邸宅を手がけ、市井といってもいいのか、日本に溶けこんで生涯を終えた。日本にとどまったことは英断だった。先人のウォートルスのように、近代化に邁進する日本で八面六臂の活躍ができても、その足場を失えば、はかなく消えていく例もあるのだから。
 それはともかく、現存しない鹿鳴館を擱いても、現存する建築は少なくなく、充実した仕事ぶりだったと思われる。暁斎の絵、生花と庭園について書き残したものは、名著といえるものらしい。もともとスケッチに長け、習い覚えて巧みな水墨画を描き、優れた水彩スケッチが残る。ひょっとすると、日本に来て、もっとも日本を理解し、芸術面でも才能を示した存在だったかもしれない。
No.7 - 2010/06/11(Fri) 13:52:22
「蜻蛉始末」 / 幽星 [関東]
 遅ればせながら、歴史長編を読んだところです。印象の薄れないうちに、意見をまとめておこうと思います。

 現代小説もあれば、歴史小説もある。そこに作家としての幅の広さが示される。
 幕末から維新にかけて商才を発揮した、長州出身の藤田傳三郎にまつわる贋金事件の謎を提出して、傳三郎に影のようにつきまとう宇三郎とのつかず離れずの関係とともに、幕末維新を飾った、志士たちとの係わりを描いた物語である。
 志士たちのなかには、維新を待たずに消えていった傑出した人物として歴史に残る者もあれば、幕末の激動をくぐりぬけ、やがて新政府と要人となり、隠然たる力を持ち、裏で暗躍する者もでてくる。
 傳三郎は、時代を動かす活動よりも、実業に優れた人で、志士から政治に携わった者の求めに応じて力を貸しながら、事業を大きくしていく。しかし、彼を利用しようとする権力者は、一筋縄ではいかない手合いである。権力の魔力に捉えられ、憚るところがない。
 いっぽう、宇三郎のほうは、魯鈍のようでありながら、主人に仕える忠誠心があり、事に臨んで勇敢でもある。人生は波乱に見舞われ、傳三郎に離反せざるを得ない状況に追い込まれる。
 こうした二人の立場が微妙に絡まりあい、贋金事件へとつながっていく。傳三郎は、潔白を主張して譲らず、今や影の巨魁となった人物に背を向け、宇三郎を追い込んだことに自責を覚える。
 宇三郎なる人物によって、歴史的な背景とともに数奇な運命が展開される。野人でありながら、一片の赤心を忘れず、闇の力の前に潰えていく。
 傳三郎と宇三郎の変わった関係のうちに、温情が通いあう。
 謎の持ち出し方から興味をかきたて、維新以降、権力者となった者たちの変質の不気味さを露わにする。志士といわれた者たちの明と暗に目を向けた作品である。歴史小説としての骨子を押さえた作品になっている。
No.6 - 2010/05/29(Sat) 23:19:14
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