| 初書き込みありがとうございます。今年もどうぞ宜しくお願い致します。 芥川の作品は殆ど全て読んだつもりですが、このような論評の類いはあたっていないので、芥川がどのようなことを書いていたのか詳しくは知りません。 芥川の場合、谷崎との「筋」に関する論争が余りにも有名ですので、私小説に関してどのような距離感をとっていたのか、興味はあります。どうやら志賀直哉を好んでいたようですが。 私小説というと田山花袋を想起するのですが、どうもそれ以外ではピンときません。 絶対に語り落としていけないのは、小説とは虚構であるという大前提を見失い、私小説という日本独特の潮流が生まれたのは、当時の日本の文壇がゾラを頭領とする自然主義の影響を強く受けていたということです。島崎藤村や田山花袋らが推進した自然主義ですが、本家フランスとは違いネタが乏しく(社会の問題を抉るほどジャーナリズムが発達していないのと、自由民権運動が未成熟なために言論統制の恐れもあったことも鑑みて)、自分の内面を曝け出すことが自然主義文学だという独自の見方が植え付けられたのです。反自然主義の一派である白樺派もこの私小説の手法から逃れていないのは、さらに興味深いことです。 明治維新後に日本人は自我とかエゴイズムとか社会とかいう言葉を知った訳で、西洋的な観念を消化する時間が必要だったのだと思います。特にそれに正面切って向き合ったのが明治後期の作家たちで、私小説は一過性の儀式であったと思います。 文壇という組織が私小説の媒体となったという説は、正直私にはよくわかりません。事実を元に心象を加えたのが私小説だと思います。小説とは虚構であるのに、リアリズムを曲解して独自の発展を遂げたのが私小説だと考えます。 |
No.288 - 2011/01/05(Wed) 01:05:53
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