| 書き込みありがとうございます。 本紀は三皇五帝、禹から始まる夏は桀の代で滅ぼされ殷に代わられ、その殷も紂の代で滅ぼされ周と続きますが、弱体・無実化した周王朝の後期である春秋・戦国時代の記述は書くべきことも少なく形のみとなり、次に戦国の七雄を制した秦のみが起源から語られ、初めて統一王朝を築いた始皇帝は独立の項目があります。そして、秦を滅ぼした立役者項羽、そしてその項羽との抗争に勝ち漢王朝を打ち立てた高祖の項目が続き、後は武帝までの歴代皇帝の記述となります。 この中で王朝を持たない将軍(4〜5年は王を名乗りましたが)である項羽は本紀の中では特別な位置付けです。しかし、秦滅亡から漢成立までこそが『史記』のクライマックスであり、項羽は絶対に本紀の中に書かれなければならない必然性があったことはおわかりになると思います。 また、「項羽本紀」は『史記』全巻の中の名文中の名文と言われておりますが、私も同感です。これが列伝に配置されることは絶対にないと思う随一の巻でしょう。 さて、楚の名門出身、天才軍師であり野心家で直情的な項羽が陳勝・呉広の乱から反秦軍の中心となり、一時期天下を取ったことは「項羽本紀」に書いてありますので、特に詳しく触れなかった訳です。 私も項羽の歴史的立ち位置からして本紀に相応しいとするのに異存ありません。記事は司馬遷の思い入れに着目して書きましたので、簡略が過ぎたかもしれません。 今後ともよろしくお願い致します。 |
No.388 - 2013/04/21(Sun) 23:57:04
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