| 飲んべえ 名古屋コール・ハーモニア スタッフ会発行 2024.4.27
*練習計画 4月27日(土) 19:00〜 アンサンブル 、Spirituals−「Wade in the Water」「Up Above My Head」「Battle of Jericho」 アンコール曲「今、ここに」
*団長より H混の皆さん、こんばんは。 昨日の練習お疲れ様でした。 次回練習について連絡します。次回は村上先生がみえないのでピアノ伴奏無しの練習となります。 練習曲は、Spiritualsと無伴奏のアンコール曲「今、ここに」をやります。 Spiritualsは「Wade in the Water」「Up Above My Head」「Battle of Jericho」の3曲を練習する予定です。 次回も昨日同様アンサンブルスタートなので、準備よろしくお願いします。 なお、練習時間全てアンサンブルとなります。スムーズに練習が進み時間がある様なら他のSpiritualsも練習するかもしれませんので、6曲の楽譜は持参してください。
*今後の予定 2024年 5月 4日(土) 練習休み 6月 8日(土) 合唱祭 6月 30日(日) 刈谷市北部生涯学習センター メインホール 8月 11日(日) 刈谷市北部生涯学習センター メインホール 9月 8日(日) 刈谷市北部生涯学習センター メインホール 9月 21日(土) ゲネプロ 9月 22日(日) 第41回 定期演奏会 電気文化会館 ザ・コンサートホール
※ハーモニー春号に掲載されている黒人霊歌についての解説を、飲んべえにも載せました。 (『列車の行先』の部分は割愛させていただきました。)
黒人霊歌―自由を求めた人々の歌 ウェルズ恵子
◇歴史的背景 黒人霊歌はアフリカから連れ去られて北米大陸で奴隷にされた人々とその子孫たちの歌を起源としています。奴隷にされたアフリカの人々は部族の言葉を奪われ、家族を奪われ、教育の機会はおろか日々の自由もない過酷な生活を強いられました。 特に、アメリカ合衆国南部の大規模農場で働かされた人々は、人間とみなされない環境の中で歌を大事な文化として活用しました。文字を使えなかったので、歌とリズムと身体の動きとが自己表現の手段であり、互いのコミュニケーションツールでもありました。
北米では17世紀からアフリカ人を奴隷にしていましたが、合衆国北部の州では18世紀後半から19世紀にかけて奴隷制度が廃止されています。他方、南部諸州では奴隷の労働力を背景に綿花やタバコの栽培で潤っていたため、奴隷制度を手放しませんでした。
エブラハム・リンカーンが奴隷制度の全面的廃止を唱えて1860年に合衆国大統領に当選した時、南部諸州はこれに反発して連邦を脱退、1861年、南北戦争が勃発します。
◇黒人の尊厳のために 奴隷にされていた人々は、許される範囲ではありますが、あらゆる場面で歌っていたとの記録があります。歌は仕事の苦痛をやわらげ、共同作業の能率や安全性をあげました。語り合う時間や余裕がない人々は、歌でも多くを表現したと思われます。喋るように歌う習慣、すなわち、リズムをつけて言葉を使い、考えや気持ちを伝達する習慣は、現代のラップにも見受けられる黒人音楽の特徴の一つです
奴隷制時代の黒人霊歌は伝承の民謡であり、仕事歌や遊び歌、恋歌などの俗謡と区別なく、生活の中で歌われていました。1865年の南北戦争終結後、特に1870年代以降に、宗教的な内容を扱った歌だけが取り上げられ有名になります。19世紀のアメリカ社会には、黒人の歌は下品だという強い誤解と偏見があったため、それを打ち破るためにキリスト歌教だけを洗練させて世に知らしめ、黒人の尊厳を訴えようとしたのです。
◇黒人霊歌の記録とテーマ 黒人霊歌の最初の記録は、南北戦争中に南部へ赴いた北部の奴隷解放論者たちが残しました。北部の人々は、黒人の歌声を初めて耳にして感動しました。黒人を人間として扱わなかった南部の知識人は、黒人歌を記録するなどとは考えもしなかったようです。声や歌への感動は、声の主に対する敬意があってこそ沸き起こる感情なのです。
1867年に出版された Slave Songs of the united States に収められた黒人霊歌の原形は、苦痛、孤独、恐怖を主なテーマとし、死を救済の希望として表現しています。同じフレーズが繰り返されながら徐々に変化していくのが特徴です。印象的な一つのイメージを中心に、歌い手の感情や思考の流れに任せて歌詞が動いていきます。
◇コンサート・トラディション 黒人霊歌は、テネシー州ナッシュビルにある黒人学校、フィスク大学の合唱団が有名にしました。フィスク大学は、南北戦争が終結した年の1865年に設立されましたが(67年から大学)、財政難に苦しみます。そこで、大学の財務担当者で音楽監督でもあったジョージ・ホワイトが学生の合唱団を結成し、71年には寄付を募るツアーに出ました。
最初のレパートリーに黒人霊歌は入っていませんでしたが、初代合唱団員でピアノ演奏も担当したエラ・シェパードが黒人伝承歌に編曲を施し、コンサート用の合唱曲を考えていきました。いわゆる「黒人霊歌」の伝統は、この時に始まったといえます。フィスク・ジュビリーシンガーズは、ヨーロッパ公演で名声をあげました。 日本にも寄港し、キリスト教の学校である神戸女学院で公演したそうです。
《Deep River「深い河」―絶望と希望を同時に生きる》 ◇Homeとは アメリカで奴隷にされていた人々は、遠い昔にエジプトで奴隷にされていたイスラエルの民に自らを重ねました。旧約聖書で、イスラエルの民はモーゼに率いられてエジプトを脱出します。『深い河』に歌われている「故郷」(ホーム)は、イスラエル人が目指したヨルダン川の彼岸であり、神が約束した自由の土地を指しました。それは見知らぬ土地で、彼らの出身地(ふる里)というわけではありません。
アメリカの黒人(アフリカ系アメリカ人)にとって、しかし、「故郷」(ホーム)は別の場所を意味します。奴隷制時代において『ホーム』とは魂の帰るところ、すなわち死後の世界、天国でした。自分が安らげる場所はこの世にはないという厳しい諦念、死後は救われるという信仰に基づいた希望とが、同時に聞き取れます。絶望と希望—矛盾する二つの気持ちが、緩やかな大河の流れのような音楽にのって表現されるとき、私たちは人間存在の深い悲しみに触れて感動します。
19世紀になって、奴隷制のある南部から北部の自由州へ逃亡を企てる人が増えると、「ホーム」は「自分が落ち着くべき場所」を意味しました。この世に希望の土地を見つけたのです。歌の中のヨルダン川は、南部と北部の境界に流れるオハイオ川を意味したという人もいます。渡るのが非常に困難で危険な境界線の比喩だと言う人もいます。どう解釈するにせよ、命がけでも渡れないかもしれない、深い河なのです。
◇奴隷にされた人々の逃亡 どれほどの人々が逃亡を企て、そのうちの何人が逃亡に成功したかは記録がありません。失敗して捕らえられた時は、見せしめの意味も込めてむち打ちなどの激しい折檻を受けました。奴隷は主人の所有物、財産でしたから、殺されることはまれで、代わりに過酷な体罰が科されたのです。 その環境で、ほとんどの人は自由をあきらめていたと考えられます。伝承の黒人歌には、逃亡に失敗した仲間と歌い手自身が重なるような幻想的な歌があります。歌い手はその幻想の中で川を渡り、救いの土地で仲間と歌うことを夢見ています。身はがんじがらめに囚われたまま、想像力だけが自由に動いています。
19世紀前半になると、北部の黒人を中心に、奴隷にされた人々の逃亡を助ける秘密組織ができました。これを「地下鉄道」(アンダーグラウンド・レイルロード)と呼びます。(実際の鉄道ではありません)。逃亡に成功したハリエット・タブマン(1820—1913)のような勇気ある黒人や、逃亡を援助する白人の協力を得て地下鉄道の組織は実績を上げ、〈逃亡〉が徐々に現実味を帯びていきます。別世界に渡るための具体的な乗り物〈方法〉が生じたのです。
◇Campgroundとは 奴隷制時代の歌は、歌い手の考えをストレートに表現しません。悲しみや憎しみ、自分の具体的な希望などを言葉にするのはとても危険だからです。19世紀アメリカの小説家で最も有名かつ愛されたマーク・トウェイン(『トム・ソーヤの冒険』『ハックルベリー・フィンの冒険』の作者)は、「奴隷の人々が奴隷制を嫌悪していたとしても、彼らは賢明だったから何も言わなかった」と書いています。
黒人霊歌の美しさの秘密は、一つに歌詞の意味の曖昧さ、多重性にあります。第一スタンザ(節)の”I want to cross over Into Campground”を例にとって説明しましょう。
字義どおりに理解すれば、歌い手は、ヨルダン川対岸にあるキャンプグラウンドへ行きたいと言っています。キャンプグラウンドとは、一般的には野営地や野宿する場所を意味しますが、ここでは、森の中などで行われた民間キリスト教集会の場所を意味します。ですから歌い手は、主に祈りを捧げる場所へ行きたいと言っています。さらにそこには、自分のような信者が救われて(死んで)たどり着く天国を意味します。つまり、」次元の違う世界へクロスオーバー(crossover)したいと歌っているのです。
18世紀末から19世紀にかけて、アメリカでは活発な宗教復興運動が起こりました。人々は組織化された教会とは別の場所で、熱心な信者による自主的な集会を持ちました。宗教復興運動では、信者たちは教会の讃美歌とは異なる自分たちのスピリチュアルズ(霊歌、民間の讃美歌)を歌いました。民謡と関係が深いこれらの歌は、白人歌と黒人歌の間で多少の影響を与え合ったと考えられています。キャンプグラウンドとは、霊歌が熱心に歌われた場所なのです。 “Deep River”は、ポール・ロブソン(1898―1976)の歌唱でことのほか有名になりました。ロブソンは、歌と彼の人生を通してアメリカ黒人の尊厳を世界に訴えた人の一人といえます。
《The Battle of Jericho『ジェリコの戦い』―勝利の歌》 ◇ゴスペルソング、ジャズへ “The Battle of Jericho”または”Joshua Fit the Battle of Jericho”というタイトルでまず思い出されるのは、マヘリア・ジャクソン(1911—1972)でしょう。ジャクソンは、コンサート用の編曲で知られる黒人霊歌を、ブルースの音楽性を加味したゴスペルソングに変えて伝統を築きました。
50年代の後半から60年代にかけて、彼女はキング牧師との親交を通して、黒人の権利と尊厳を主張する公民権運動に関わります。マヘリア・ジャクソンの『ジェリコのk戦い』は、公民権運動を象徴するフリーダムソングの代表曲となりました。この曲は、ジャズのスタンダードナンバーとしても発展します。粘り強い戦いと勝利を称える勇壮な響きが、抑圧からの解放を訴える世代の人々にインスピレーションをもたらしたのでしょう。
◇ジェリコの戦い この歌は、旧約聖書のヨシュア記6章にしるされたイスラエル人の物語を下敷きにしています。モーゼの後継者であるヨシュアは、主が約束された地を得るために要塞都市ジェリコ(エリコ)の陥落を試みます。イスラエル人は都市を囲む城壁の周りを六日間にわたって一日一回行進しててまわりました。同時に七人の祭司が羊の角笛を吹き鳴らしました。七日目には七回城壁を回り、祭司が角笛を吹くと民が大声でときの声をあげ、城壁が崩れ落ちた、と聖書にはあります。
アメリカの黒人にとって、ジェリコの戦いの物語は勝利のたとえ話であったと言えます。神を信じる指導者に従って行進し、角笛の音と民衆の声との力で壁が崩れたのです。1963年8月28日のワシントン大行進に、この物語を重ねてイメージした人々も少なからずいたはずです。いずれ現実はキング牧師をはじめとする黒人指導者の暗殺に向かってしまいますが、公民権運動が黒人差別の壁の一部を突き崩したことは間違いありません。
《合唱曲としての黒人霊歌》 19世紀に結成されたフィスク・ジュビリーシンガーズ以来、黒人霊歌は新たな編曲を加えられつつ合唱曲群として見事に発展してきました。現代では、人種や言語の垣根を越えて世界中で愛されています。
いろいろに解釈できる歌詞は、あらゆる立場の人々の苦しみや悲しみ、切ない希望に震える気持ちを引き受けることができます。繰り返しの多いフレーズによって感情の奥行きを表現し「深い河を渡る「壁が崩れ落ちる」「栄光行きの列車」といった印象的なイメージを、私たちの心にしみこませます。
合唱は、黒人霊歌の力強さを見事に表現します。黒人霊歌は遠い昔にこの世を去った数多くの人々の声に鍛えられて私たちのもとに届いている。その素晴らしさを、皆さんの声を合わせて表現してほしいと思います。
※B永合さんが黒人霊歌の対訳を見つけて下しましたので、飲んべえにも掲載させていただきました。
二曲の歌詞の対訳を見つけましたのでご紹介します。
Deep River
Deep river, My home is over Jordan. Lord, I want to cross over into campground. 深い河よ、私の故郷はヨルダン河を越えたところにある主よ、私は向こう岸の集会所へ行きたいのです Oh, Don't you want to go to that gospel feast That promis'd land where all is peace? ああ、あなたもあの福音の宴に行きたくないか全てが平和なあの約束の地へ Oh, Deep river, Lord, I want to cross over into campground. ああ、深い河 主よ、私は向こう岸の集会所へ行きたいのです
Didn't My Lord Deliver Daniel
Didn't my Lord deliver Daniel, deliver Daniel, deliver Daniel, didn't my Lord deliver Daniel and why not every man? 主はダニエルを救わなかったか、救ったではないか。それなのに、どうして万人を救わないことがあろうか? He deliver'd Daniel from the lion's den, Jonah from the belly of the whale, and the Hebrew children from the fery furnace and why not every man? 主は、ライオンの洞窟からダニエルを、鯨の腹の中からヨナを、そして溶鉱炉からヘブライの子どもたちを救い出したではないか。それなのにどうして万人を救わないことがあろうか? Didn't my Lord deliver Daniel, deliver Daniel, deliver Daniel, didn't my Lord deliver Daniel and whynot every man? 主はダニエルを救わなかったか、救ったではないか。それなのに、どうして万人を救わないことがあろうか? Oh, the wind blows east and wind blows west, it blows like judgment day. And every soul that never did pray, will be glad to pray that day. お>、風は東に吹けば西にも吹く。風向きは審判の日次第だ。だから不信心者のどの魂だって、審判の日にはいそいそと敬虔な祈りを捧げるだろうよ。 Didn't my Lord deliver Daniel, deliver Daniel, deliver Daniel, didn't my Lord deliver Daniel and why not every man? 主はダニエルを救わなかったか、救ったではないか?それなのに、どうして万人を救わないことがあろうか? Oh, I set my foot on the gospel ship, and the ship began to sail, It landed me on Canaan's shore and I won't come back no more. お、私が福音の船に乗り込むと船は航海し始めた。やがてカナンの地に上陸した。そして私はもう再び戻ろうとはしなかった。 Didn't my Lord deliver Daniel, deliver Daniel, deliver Daniel, didn't my Lord deliver Daniel and why not every man? 主はダニエルを救わなかったか、救ったではないか。それなのに、どうして万人を救わないことがあろうか? |
No.716 - 2024/04/26(Fri) 18:42:06
|