一人の卒業生の手紙にあった言葉である。
「昔は不幸の主人公になりきることしかできなかった私が、 今、おかげさまで、いつもどんな時にも、人生に感謝できるようになりました。…
幸せは自分の心が作るものであると知ることができたからでしょう」
家庭でも職場でも、辛いこと、苦しいことを数多く経験したこの人は、それらの経験を通して、大切なことを学び取っていた。
それは、幸せは他人から与えてもらうのではなくて、 自分の心が作るという厳しさだった。
「暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう」というモットーを、 あるキリスト教の団体が唱えている。
まわりが暗いと不平を抱き、暗いのに誰も明るくしてくれないと不満を持つよりも、まず自分から、 あかりをつけようというのである。
三十年も昔のこと、周囲の大反対を押し切って修道院に入った私は、そこが必ずしも天国でないことを知った。 いろいろのことが重なって、修道院を去ろうかとまで思い詰めた私は、ある日、一人の神父を訪ねて自分の 失望、不満を打ち明けたことがある。
その神父も、修道生活を送っている人であったが、 私の話を聞き終えると静かに言った。
「あなたが変わらなければ、どこへ行っても同じだよ」
他人が私に親切にすること、優しくなること、理解してくれることを期待していて、それが得られないといって、失望を不満を抱いていた私は、
「自分が変わる」という大切なことを忘れていた。
そして、私が変わるにつれて、不思議に周囲も変わってくれたのだ。
幸せに生きるということは、決して苦労のないことでもなければ、物質的に豊かな生活を送ることを意味していない。
苦労したおかげで、苦労のないときにはわからなかった 他人の痛みをわかることができた、と 感謝する心に、幸せは生まれるのである。
「幸せは、いつも自分の心が決めるのだ」
ベンツが車庫に納まっている家の人々が必ずしも幸せであると限らないように、国産の中古車を持つ家が不幸とは限らない。
要は、その家庭に住む人の間に、いたわり合い、 思いやり、愛があるかどうかということである。
「一生の終わりに残るものは、
我々が集めたものではなくて、我々が与えたものだ」
という言葉がある
暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけようとする自分に変ることなしに、
幸せになることはむずかしい。 |
No.3574 - 2021/11/05(Fri) 10:58:19
|