ラストの『団地』がずっと私の心の中で引っかかっていた。
主役だから、最後に沢山見せ場を作ったのか? 死ぬ前に,『おかん』の元に帰る。カネオが見た幻覚,なるほどそうか? そうなると、『おかん』は、もっとあばら屋に住んでいた方が良い。 子供のカネオが帰る方が分かり易い。
団地の階段を昇る。『団地』に意味があるのでは? 阪本監督は、顔のDVDの中で、『僕は、今後も社会の底辺に蠢く人々を撮りたい』 みたいな事言われてますよね。 多分、甲子男や、昌龍が育った環境は、大阪でも貧民街に属した所だと思われます。 戦後のどさくさで住み着いた登記簿謄本上は存在しない住所。 そういった地域を市なり、県なりが土地の整理で、立ち退かせ、団地に住まわせてるのでは? 現在の大阪の暗の部分を写したかったのでは?実際、我が町にもそういう地域があります。
こんな、社会の底辺の、一小市民以下の息子が、弱いが故に極道に 走るそのなれの果て,なんてものも監督の中では抉りたかったんでは?
そうなるとやはり、団地なんだ。
この書き込みはかなり独断と偏見ですので、某老舗サイトで『階段登り』(聞いたことあるラスト・笑) の話題が出たとき書き込もうかと思いましたが、流石に勇気がありませんでした。 姫サマから、独断と偏見大歓迎とのお許しを頂いたので思い切って書き込んでみました。 |
No.18 - 2002/11/28(Thu) 15:03:51 [cdu06d246.cncm.ne.jp]
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