| 「出会いの場所は‥♪」
陽水さんがデビューした1969年は、学生運動がまだ続いていて、東大の入試が中止された年。 休憩時間には、誰かがギターを弾き、その周りにみんなが集まり、歌っていた時代。 曲はジョーン・バエズやP.P&M,岡林信康,高田渡など‥ クラスの男子のほとんどがギターを弾けたし、 女子でも何人かが弾けました。 (当時、私の高校には「ギター部」がありました) 私はまだ『アンドレ・カンドレ』の存在は知りませんでした。
『井上陽水』を知ったのは、72年「傘がない」 その頃の陽水さんは、テレビに出なかったから、 ラジオで聴いたのだと思う。 「スナック」(接客する女性がつかないパブを当時はそう呼んでいました←歳がわかる)には ギターが置いてあり、客は自由に弾けて、 陽水さんの曲を歌う人が多かったです。
73年末に『氷の世界』(LPレコード)を買って、 「傘がない」と『氷の世界』を、 ステレオで擦り切れるほど聴きました。 録音とかコピーができないので,友人の『断絶』と交換したり、友人の家に行ったりして聴きました。(私が「ラジカセ」を買ったのが76年) ちなみにこの頃の大卒の初任給は公務員で73年55600円,74年72800円。 シングルが500円,アルバムが2500円くらいだったと思う。 今、初任給は20万くらいなので、『氷の世界』が130万枚売れたのが、どれだけすごいか想像できますね。 |
No.4390 - 2008/08/26(Tue) 20:20:59
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