| この場をお借りして、かつお先生の思い出を語らせてください。
数年前のこと。玉川子ども図書館でつのぶえの例会が行われていた頃です。 開館前の数十分を、かつお先生と一緒に、外のベンチに並んで過ごす、という光栄に浴したことがあります。 その日、能登からきている自分は、列車のダイヤの関係で、一時間ほど早く図書館前にいました。 暇だったので隣接の広い公園を散策、そこが元、加賀八家の一人の、長連龍の館跡だったと、説明板で学びました。 、さらに長連龍が元、七尾城畠山七人衆の一族であったこと、などなど、浅学なる自分には初めて知った事ばかりでした。 七尾の近くに住まう自分は、長連龍(今の今まで知らなかったのに)勝手に親近感を覚えました。 で、かつお先生に「この公園は連龍の舘のお庭だったんですね、全然知りませんでした」と話しかけたものです。 するとかつお先生は、長連龍について、彼の波乱万丈の生涯、一族が悉く味方にうらぎられ謀殺され、たった一人生き残ったこと、信長に仕え、信長亡き後は前田利家に仕え、加賀八家として大名にも劣らぬ禄を食んで居たことなどなど、大変興味深い話をしてくださいました。 戦国時代のただなかを駆け抜けた長連龍、かつお先生のあの優しい、わかりやすいお話、自分だけで聞かせていただいたのが勿体ないぐらいの至福のひとときでした。 史実と共に先生は、不思議な伝承も語ってくださいました。 いわく、連龍には彼を慕って能登から狐の一族もついてきて、今でも子孫がは金沢に、この庭に住んでいるのですよ、と。 先生は連龍の物語をそれはそれはリアルに語られるのです。往時のつのぶえの皆様ならみなご存じでしょうが、先生の優しい語り口、淡々としていながら惹きつけられる、素晴らしい授業を受けさせてもらえた気分です。 かつお先生の頭脳はどうなっているのかしら、とただただ賛嘆するのみの時分でした。 とにかくかつお先生のお話はすごく面白くって、そして切なくて、ときには残酷な史実であったり、不思議な妖怪変化の伝承であったり、ときには本題を逸れて、建物の変遷史であったり。でもそれがまた楽しく、いつまでも先生のお話を聞いていたい、と思ったものです。
……もう先生のお話をお聞きすることはできないけれど、先生から教わった様々な事を、決して無駄にしないよう精進していきたいと思います。 かつお先生、本当に有難うございました。 先生のご冥福を祈ります。
かつお先生からお聞きした長連龍の生涯、そして狐の話があまりにも強烈だったので、なんとか物語として昇華させたかったのですが、いかんせん、自分には荷が重すぎたようでしています。ギブアップしています。 歴史ものに挑戦される方って、凄いなあ、と今更のようにかつお先生の偉大さを感じています。 巨星のごとき先生の真似は諦めて、今は自分に何が書けるのかを模索しています。このところ、野暮用の連続の日々でつのぶえに参加することかないません。 でも、いつかきっと、また皆さんとお会いしたいです。ではでは。
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No.62 - 2020/05/27(Wed) 00:05:32
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