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サンクスマザーズデイ / kyo [ Home ]
ここの壁紙もカーネーション、、母の日だぁ、、(T▽T)

息子さん達の話にウケ捲くった後なだけに、、
可愛い壁紙なのに、、何故か笑いが出て来るよ(笑)

あたしはママに昨日プレゼントを贈って、
今日は頑張って夕飯作って、ちょっと楽させてあげた☆
良いムスメでしょー。。なんていい話。。

、、の訳ないじゃーん!!

すっかり忘れてた母の日。。昨日まで忘れてた。。
フツーに自分の服買いに行って選んでたら、、
「ママはどっちがイイかな?」そんな声が聞こえて来て(+_+)
あ゛ぁ、、明日、、母の日じゃん、、。
自分の服買うの断念してママの買ったよー。。

えりさん、、母の日は365日受付だよね??(爆)
明日、、papaにねだるのだー!!papaの母じゃないけど^^;
No.17571 - 2007/05/13(Sun) 22:02:34

Re: サンクスマザーズデイ / えり
母の日は結局、アイスを2個を貰っただけで終わってしまった(^^;
寂しい〜〜〜!

洋服をプレゼントをして頂いたkyoさんのお母さんが羨ましい!!!
そうよね、母は365日遣っているんだから365日に母に日だわ(^^)v

昨日、お花屋さんの前にいっぱい有ったカーネーションの花や鉢植えが売り切れて、他の花も売れてお店の花が少しだけになっていました☆

誕生日や母の日&クリスマスは大騒ぎしてプレゼントを「欲しい〜!」だけど9月の敬老の日だけは何時になってもプレゼントは絶対に欲しくない(笑)

暑くなってくるとMLJが楽しみですね。
今年は誰が出演してくれるのかな?
そろそろXのメンバーの方が出演してくれたら嬉しいんだけどねぇ〜
No.17575 - 2007/05/14(Mon) 17:01:43
こんにちは(*^_^*) / CasaBlanca [ Home ]
今日は〜「母の日」ですね。
青いカーネションを買いに行ったら〜
売ってなかったので〜
グリーンのカーネションを買ってきましたよ。
本当は〜白いカーネションなんですけど〜
少し明るい「母の日」にしてみましたよ。

昔のビデオ〜92年以降のXのLIVE映像は〜
貴重なので〜DVDにして保管しないといけないですね。
私も〜ビデオ〜DVDにしないといけないと〜
思っているんですが〜
まだ〜少しだけDVDにしただけですよ。
No.17570 - 2007/05/13(Sun) 13:51:08

Re: こんにちは(*^_^*) / えり
何時も土日に露店でお花を売っているおじちゃんがいるのですが、昨日はカーネーションの赤を1本ずつラッピングをして100円で販売していました。
小学生の男の子が買って大事そうにカーネーション持って帰って行くのが微笑ましかったです(^^)

お誕生日にブリザードの青の薔薇の花を頂いたんですが1年を過ぎても全然、変わんないの。
触ってみると造花じゃないので生花の感触が有るのでお気に入りです☆
湿気に弱いのが難点なのでhideさんのお墓にお供えできないの残念!

ビデオをDVDに入れ替えるのは凄い気合がいると思いません?
一度、入れ替え始めたんですが途中で挫折(>_<)
今年の夏は暑そうなので頑張ろうかな(o^-^o)
No.17574 - 2007/05/14(Mon) 16:30:22
☆次回のちゃっと会は2007年5月26日開催です☆ / えり
昨日は忙しい中をちゃっと会に遊びに来て頂きまして有難うございます(^^♪
Xやいろんな話が出来て楽しかったです〜☆

5月19日(土)は横浜でPATA(Ra:IN)のLIVE参戦の為、申し訳がありませんがちゃっと会は休ませて頂きますm(__)m

次回のちゃっと会は5月26日(土)PM10:00〜開催したいと思います(o^-^o)
YOSHIKIさんやhideさん、Xのメンバーの事をやいろんな話をしませんか?
少しの時間でもOK!
しばらくご無沙汰の方の、初めての方も気軽に遊びに来てくださいね(^^♪

待ってます\(^O^)/
No.17569 - 2007/05/13(Sun) 13:46:24
逍遥のエックス(22) / papa
4月10日第1回の放送「NRN5」は「<クッション>」とだけ書いてあって、話のあとに放送する曲名が書いてあるだけ。クッションって、今まで少年時代の話を3回やって、次の話が何回かまとまってある、その間のつなぎを意味するんかな。一息入れるの意味?。まあそんなところでしょう。自分の中のhideさん、では、よろしくお願い致します。
“結局、バンド仲間のオリジナルなメンバーは、私hideのあの手この手の淘汰によって、自分ひとりになってしまった。これは、ロックシティー近くの友達のところに集まった5人の、はかない運命だったわけです。Xもそうですが、バンドというのは奇蹟と言いますか、何人か集まってそれで何年か演奏するというのは、将に奇蹟でございまして、メンバーそれぞれにいろんな思いが渦巻いておりまして、音楽のこと、メンバーの人間関係、上昇志向の強弱、家庭環境、生活の余裕などあらゆる要素が絡み合ってきますので、ただ単にロックが好き、へビィメタ・ハードがすきといいましてもみんな同じように一直線に並んでいる訳ではないんですよね。あの時代では、まだロックは音楽シーンの主流ではなかったわけで、演歌やポップスなどに時代の要求がいっていた時代ですので、我々のやってるロックは、場末の方でかろうじて生活しているという状況。アウトローな音楽をやってるわけで、メンバーみんなはロックが好きだが、如何せん、社会的な容認がないためにいろんなところで迫害が生じてくる訳です。ひとつ服装見ても、やっぱ変でしょう。メンバーは、ロックやろうぜ、やっぱスパッツでしょ で意気投合しても、社会は男のくせに何じゃあれ、何履いてんのとなるのと同じ目線が、社会のいたるところに生じて来る訳です、アルバイトしてたヤツなんかは、髪の毛伸ばしているでしょ、面接に行くと、もうカッコで半分は嫌われるわけですよ。アルバイトも出来ない、できるとしても限られた職種、しかも賃金が安いと来るわけで、結局生活が困窮の状態にみんなあるわけですね。仮に本業(サラリーマン、大学生、高校生など)があっても、時間的にみんなとリハの時間を合わせたりする事が難しい。そんなことで生活があって、余裕があって、家庭の理解があって、仲間の人間関係が良くて、ロックが心底好きで、上昇志向があるっていうバンドの仲間の条件に残る人が、何人出てくるかの問題でもある訳です。私が一人残ったというより、そんないろんな条件をクリアできなかったメンバーがだんだん抜けていって、最終的にそういう条件に見合うメンバーが揃ったというのが、ベストメンバーということだったと思うんですよ。だから意識の程度が一直線になってる訳で、リハの練習も、やる気も、音楽への取り組みも、心地よいのもがある訳です。まあ人との相性という要素に音楽的感性が一番大事ですかね。バンドを長く続けるというのは、仕事でも同じで、やっぱり楽しくしたいですよね。和を乱すヤツとか勝手なことを言うヤツとか、気分が良くないでしょ。気持ちが同じようなタイプで音楽の感性が同じようなメンバー、なかなか巡り合えないんですよね。仕事でもそうと思いますが・・。イヤな気分の時は、こんな曲で憂さ晴らしをしては という曲、行きましょう”
 クッションって何だ?。適当にしゃべる?これ、頭にくっついて引きずってる状態で、なんか変な感じ。問題はちゃんとした形で出してくださいよ。hideはどうしゃべったのかなぁ。『そういう感じで、東京でライブハウスにチョコチョコ出始めたのが、20か19のころだと思うんですけども。当時はですね―、僕は六本木の“メイ牛山”の経営する・・・美容学校に通ってて(笑)、美容師を目指してたんですよね。美容師を目指してたというよりも、おばあちゃんが美容師だったので、なんか美容師やっとけ―、みたいに思っていたんですよね。で、美容師で稼ぎながら、バンドやっていければいいなと軽く思っていたんですけども。で、そんなこんなで、その美容学校時代に僕、けっこうすごいドラマがありまして。誘拐されたりとか、いろんなことあるんですけど(笑)。それはまた次の機会に。話長くなるんで。
 で、なんだかんだ美容学校卒業しまして、そのベストメンバーで・・・20いくつだと思うんですけども、そのころにはもう自分で“ハサミはお金のため”“バンドは夢のため”っていうふうに、わりきって、ずーっとやっていこうと思ってましたね。で、その当時やっぱりライブハウス界隈、わりとへビィメタルっていうか、ハードロックをやってて避けて通れないのが“Xの噂”なんですけどね(笑)。
 なんだろうなあ。僕はけっこう長い間「X」は知ってたけど、長い間、会ったことはなかったんですよね。で、彼らはわりとテレビとか、『上海紅鯨団』とかも出てましたし。わりと、うさんくさかったですね。はたから見てても、やっぱ真面目にやってるロックバンドからしてみたら、“テレビ出やがって”とかって思わざるを得ないような部分はありましたよね。うん。で、噂もホントに、「X」のことを良くいう人っていうのに、僕は会ったことなかったんですよね。だからなかば僕も洗脳されて、“そうなんだ―”と思って。あの当時はインディーズバンドとかっていうのは、今でもそうでしょうけど、“対バン形式”なんですけども。その当時にやってたバンドはほとんど、いっしょにやったことあるんですけど、「X」だけなかったんですよね。ライブハウスの人が「やめとけ」っていうんですもん(笑)。「やめとけ」と。素行が悪いからっていうのと“暴れる”っていうのがいちばんだったんですけども。でもね、たぶんね、今から考えるとみんな羨望からだったと思う、やっぱりね。
 そんな感じでけっこう恐れてた「X」なんだけど、1回会ったんですよね。初めてヨシキに会って、僕も何回か「X」に・・・「X」もメンバーがいなくなって、「X」に誘われたことあったんだけども断ったんですよね,“僕、『サーベルタイガー』ってバンドがあるから”っていうことで。それで、1回初めて会ったんですよ。「とにかく見に来てくれ」って。「1回見てくれ」ってこともあったんで、「じゃあ会うしかないな」と思って、恐る恐る横浜に「X」を見に行ったんですよ。そしたらライブ始ったら・・・何でしょう、もう・・・ガンダムみてーな超合金みてーな格好して、パイプが背中から生えてるヤツはいるわ、ヨシキはウニ頭だわ。トシはもう、なんかもう、よくわかんない。なんか超合金ロボ、合体ロボみてーだったし。それで「オラ!テメーラ!」とかいってるわりには、客席の上にQ太郎のぬいぐるみというか、風船が浮いていて、「オラ、テメーラ!Q太郎を粗末に扱うなよ!」とかワケのわかんないこといってるんですよ!“何だコイツ〜!”とか、そういう感じで。
 今でもね、彼(トシ)の「X」時代のファンは、その手法というかあの独特の世界、世界でただ一つのあの話術というかMCはね―、今でこそいろんな人があの話術を真似してますけど、あれがオリジナルですよ、ホントに。あの、怖がらせて、体育会系なんだけども何か、何か笑っちゃうなあっていうのは彼が始めたことですよね!。で、僕もそれに度肝を抜かれて、何だかんだ見てたんですけど。最後はヨシキが観客席にダイビングして終っちゃったんですけどね。で、みんな今よりも全然真っ白な白塗りなメイクだったから、表情つかめないんで・・・。それで一応、楽屋に会いに行ったんですよ。そしたら向こうから、外人の子供みたいのが「どぉもー」とかいってトコトコ歩いて来たんですよね。それがヨシキだったんですよね。うん。もう聞くと見るとじゃ大違いで、ステージではガンダムみたいな格好してたんですけど、そのころでいうDCブランドみたいな格好して、わりとちょっといいトコのおぼっちゃんみたいな感じの子が、なんかヒョロっとした感じの子が「どぉもー」ってニコニコしながら出て来たんですよね。“えっ?!”と思った・・・。それがヨシキで、めっちゃめちゃ愛想よくて、「打ち上げ来る〜??」みたいな感じで、もうめちゃめちゃ愛想よくて・・・。いやー、これホント、会ってみなけりゃわかんないもんだよね、っと思って・・・。それから僕とヨシキの付き合いは始るんですよね。お互い別々なバンドだったんですけども・・・。
 それからわりと「X」ファミリーとのつながりも、だんだんできてくるという・・・。で、そのころ、まだ僕は「サーベルタイガー」やってたんですけども、へビィメタルとハードロックとグラムロックとパンクロックを混ぜこぜにしたようなバンドだったんですけど。で、そのグラムロック部門を受け持っていたのがボーカルのキョーちゃんという人で、彼のカリスマは「マイケル・モンロー」という人だったんですけども、そのマイケル・モンローの所属していた「ハノイ・ロックス」、『トラジディ』。』
 hideの美容師学校進学には、たくさんのドラマが隠されているように思いました。進学高校の本来の進路を外れて、美容学校に行くという決断の中には、両親の大変な落胆もあったかと思います。家庭や学校での話し合いは大変だったと想像できます。hideは、そして、自分の進路をおばあちゃんの職業に選択した。両親の反発を和らげ、自分を目の中にいてれも痛くない孫への愛情の庇護の中に、避難したような感じも致します。hide自身もおばあちゃんに何か恩返しのような感じもあったのかもしれません。自分の要求をかなえてくれたおばあちゃんの仕事を、いっしょにしたいとも考えたかもしれません。ここにはやさしいhideの気持ちが出ているように思います。両親からすればおばあちゃんの職業に進路を向けることを、やめとけ とはいえない。両親の親の職業を聖域のように思い、両親のいづれかはそのおばあちゃんの仕事で生活を送ってこられたことを考えるといずれおばあちゃんの後をついで美容師になってくれたら、それもいいかな と納得できたはず。美容学校の費用は、おばあちゃんが出してくれたはず。自分の仕事を孫がやりたいと言い出した事に、もう舞い上がってよろこんだに違いない。なんでも買ってあげる気持ちになっただろう。hideはおばあちゃんあって誕生したようだね。お墓に参ったときには、おばあちゃんにもお礼を・???・・いやいやいや・・まだご存命中なのかも・・・。hideとXの出会い、面白いですね。あのQ太郎、誰の発案でしょうねぇ。ステージの異様さとMCのユニークさ、そして楽屋でのYOSHIKIの愛想や見た目の面白さと、今までとの落差、hideはXの噂の「悪」をこの瞬間「善」に変換、そして今まで見たことないステージと人間像に叩きのめされた。サーベルタイガーが1987年初春に幕を閉じてhideの夢もついえた時、この時のシーンが思い返され、YOSHIKIにサーベルをやめる電話をした時、またhideの夢がつながってゆく・・・。
No.17567 - 2007/05/13(Sun) 09:26:46

上海紅鯨団 / えり
探してきました『上海紅鯨団』に出演のX。

・第2の指令:手錠を鍵を奪え。
大きな広場で数十人の人が鍵を持った柳沢慎吾さん(字が間違っていたらm(__)m)を追っかけて手錠の鍵を奪うと言うゲームでTOSHIとTAIJIが出演。
・TOSHI対仮面ライダー
最初は真ん中に道路が有る建物の2階で窓を開けて玉入れの玉みたいな物を投げて向かいの相手チームのほうにたくさん玉を入れたほうが勝ち・・・が予選。
そこから何人か残り最後に残ったTOSHIと仮面ライダーが対決!
・新人類度チェツク金蔵インタビュー
桜金造さん(字か間違っていたらm(__)m)がXのメンバーにインタビューをして新人類度をチエック!
当時、YOSHIKI&TOSHI21才の時

こんな映像をDVDで発売してくれたらファンは大喜びしちゃうと思うんだけどなぁ〜〜〜
No.17568 - 2007/05/13(Sun) 13:38:37
♪本日、PM10:00〜ちゃっと会開催です♪ / えり
2007年5月12日(土)PM10:00〜ちゃっと会を開催したいと思います☆

始めての方や、しばらくご無沙汰の方も気軽に遊びに来てくださいね(^^♪
Хや色んな話をして盛り上がっちゃおう〜☆
遊びに来てくださいね(o^-^o)

待ってます\(^O^)/
No.17566 - 2007/05/12(Sat) 10:43:21
逍遥のエックス(1)〜(20)をUP! / えり
逍遥のエックス(1)〜(20)までをUPしています☆
YOSHIKIさんのふるさと館山から横須賀へ話は展開していきます。
詳しくは↓へ
http://www.eonet.ne.jp/~xjapan/report/report-0/report-0-1/report-0-2-1.htm


逍遥のエックス(16)〜(20)までをUPしています☆
5月7日、天国のhideさんの事や「hide 夢と自由」の事を良かったら読んでみてくださいね。
詳しくは↓へ
http://www.eonet.ne.jp/~xjapan/report8.htm
No.17565 - 2007/05/12(Sat) 10:39:50
逍遥のエックス(21) / papa
4月10日第一回放送の「NRN4」は「<小年時代の話(3)>*その他自分のはまった曲など」となってる。たったこれだけ、しかもはまった曲などわかるはずもない。そうか、台本のない放送というのは、恐ろしい話な訳だ。マイクを前にして、沈黙できない、考えるわけにもいかない。間をおかず何かをしゃべり続ける、しかも聞き手に関心をもたれるような話を語り続ける。したがって、台本というカンニングの種本が、大事になってくる。hide本人は、自分の経験があってしゃべることができるが、自分の内なるhideは何を語ればいいのか、困ったぞ。
 “ドブ板ストリートでバンド活動が始ったわけですが、初めはカッコよくスパッツ衣装に気合を入れて臨んだものの、お客さんの反応はもひとつですね。ライブというのは、お客さんとの掛け合いという一面もありまして、小学校の学芸会じゃない訳ですよ。学芸会は、掛け合いをしなくても親子という血縁のかわいい我が子のお歌の発表を見たいという欲望に駆られてお客さんがひとりでに詰めかける構造になっていますが、我々のライブハウスの学芸会は、ロック好きな人がなんとなく詰めかけてるとか、バンドの友人が義理に駆られて仕方なく詰め掛けるとか、そもそも動員の原動力が働かないわけですね。お客さんが少ないとなると、悲惨というか、演奏に乗れない状態に突入してしまい、ちぐはぐな演奏、そしてあいつとちりやがったなぁとなると自分の演奏も変化を生じてしまい、歪んでくるんですよ。お客さんが少ない、演奏が揃わない、バンドの雰囲気がやっぱ険悪状態になってくるんですね。しかも、タダでライブハウスで演奏できるわけじゃない。ライブハウスも演奏料を頂いて日々の経営をされてるわけで、演奏には出て行くお金がついて回る。演奏がかんばしくない状態にお金が出て行くとなると、雰囲気的には外的にはメンバー同士の軋轢、内的には出費の痛手で、精神的に相当の負担になってくる。まだ俺なんかは高校生でしょ、気まずいメンバーとの関係は我慢するとして、困るのはお金になるわけですね。お父さんお母さんには、日頃の学業をおろそかにしてこんなことになってきたわけなので無心はそう出来ない。困るわけですよ。そこでギブソン・レスポールのおばあちゃんにまたまたお願いをしてしまうわけです。「おばあちゃん、この前買ってもらったギブソンのギター、もうすごすぎで高価すぎて、かえってうまく音が出ないんだよ。なんかアンプとかエフェクターとかいろんな器具をつけないといい音が出ないんだって。だからそれもかって欲しいんだけど・・」と、お願いするんですよ。そしたらちゃんと「いいの、買いなさい」っていくらか渡してくれるんですね。それはそれで済んでゆくんですが、もう少し考えると、いつも同じ手でおばあちゃんも騙す訳には行かないという事に気づいてくるのは自然な結果ですよね。何とかしてライブの上がりでライブハウスの入用をまかなえる結果を出さなければ、バンドは続けられないという細道に追い込まれてゆく訳ですね。バンドの名前にサーベルタイガーという勇ましい名前がついてるわけだから、この名前を彷彿するような衣装と派手な演奏をすれば、目ざといお客さんは、何かに注目してくれるんじゃないか。僕が曲造りも担当していたから、衣装・サーベルの名前をアピールできる曲を念頭に、へビィメタ・ハードロックで、どのバンドをも圧倒するような曲造りをしようと心を割いたわけですね。その努力の甲斐あって、それでお客もちょっと増えてきて、ライブハウスの入用もまかなえ、しかもバンドのみんなにも何がしかの分配を産むまでになった。負から正への転換は、メンバー同士の雰囲気もよくなるし、演奏も勢いが出て来る。自分達の演奏が受け入れられてる、認められてるという感覚は、なんともいえない力みなぎる快感になりましたね。それではここで当時のライブハウスでの演奏ナンバーで印象深い一曲をお聞きください ”
 hide本人は、何をしゃべったかな。いざ、今日の回答は『そういう感じでバンドを始めていったんですけども、なんだかんだいって、単純にオリジナルを作ってたのが僕だからという理由で・・・リーダーだったんですよね。そのバンドの。なんですけど、やっぱり人間関係をこう、おさめるほど、あの私、人間できてなかったし、そういうところがいちばん苦手なところだったんですよね(咳払い)。なんですけど、だんだんだんだん欲が出てきますよね、バンドを始めてると。上昇志向といいますかね。こういう曲やりたい、ああいう曲をやりたいとか。そのためにはテクニックが必要であるとか、そういうことが出てきたりとか、アイツが好き、アイツが嫌いっていうことも出てきますよね。そういう場合に私はどうしたかといいますとですね、私と同じ意見の人をメンバーの中で探し出すんですね。で、そいつに言わせるように仕向けたりとかですね、わりと本人から退くように仕向けたりとか、悪魔のような采配を振るっていた当時なんですけども。うん。そんな中、でも・・・どんどんどんどんメンバーとかも変りまして、オリジナル・メンバーが、自分一人ぐらいになっちゃいまして。ホントにあの、理想的なメンバーに、その「サーベルタイガー」で出会えたっていう。えーと今は、前「ダイインクライズ」というバンドでやっていて、現在ソロのキョーちゃんと、あと「クレイズ」ってバンドで、今はドラムを叩いてるテツって男と、あともう死んじゃったべーシストがいて――トキヒコというすごい素晴らしいべーシストがいたんですけども――その彼と、もう一人、今では歯医者をやっているレムという男5人で、「サーベルタイガー」っていうのができて、それで東京に出てくるようになりまして。そこからは本格的にもう、プロになろうとしていた時期ですね。で、“このメンバーが崩れるんだったら、僕はもうバンド辞める”って思っていたのが、このメンバーのころですね。
 これでわりと東京のライブハウスに出るようになって、東京近郊とかでもチョロチョロ出るようになって。その東京のバンド関係の人脈とか打ち上げとか・・・「X」の噂とか。「X」はもう全然活動してましたから。超有名でしたから、その界隈でも。で、その「X」のその恐ろしさとか、会ったことはないんですけどね。噂はスゴイんですよ。打ち上げに4000人ぐらい来るとか(笑)。それまでは横須賀でやってたんですけど、ひょんなことから、東京のライブハウス「鹿鳴館」に穴が1コできたので、代わりの穴埋めに出ないかっていわれたのがきっかけで、だんだん東京に出てくるようになったんですね。うん。そのベストメンバーになる前、ずっとコピーしてたころに、米軍基地の周りでやってたのは「アイアン・メイデン」が中心だったんですよね。その「アイアン・メイデン」でショッキングだったのが、ファーストの『アイアン・メイデン』というアルバムなんですけども、それから1曲聞いてください。「アイアン・メイデン」・・・『プローラ』。』
 hideのしゃべり、短かったですね。hideの東京初ライブは『鹿鳴館』だったんですね。2年前ぐらいに鹿鳴館25周年がありましてその際少し改修されてしまいましたが、改修前のステージカーテン天井付近には、折り目にほこりがたくさんたまっていましたが、そのほこりの層の地層(ほこり層ですかね)の最下部にはhideのサーベルタイガーのほこりもあった訳ですね。それにXも。あのほこり、顕微鏡で覗いて見たかったです。地質学ならぬライブ学ほこり専攻から当時のライブを検証してみる。すすが出れば火を噴いていた。土ぼこりがある層に多ければXジャンプがあった時代というように。・・・それにバンド仲間の内紛みたいなことは、あまりしゃべらない方がいいみたいですね。サラっと流して行くのがコツみたいですね。ラジオを聴いてる人に不快な気持ちを起こさせないことが大事ですね。ここに出てきたベストメンバーの今は歯医者をやってるレムという人が1999年11月25日に発行した本、天国にいるhideの35歳のバースディに・・『Pink Cloudy Sky』(荒木“REM”正彦著、バウハウス発行)という本は、hideとのサーベルタイガー時代を書いたもの。またいつかこれも読みたいですが、当面は『夢と自由』に添って、まずhideの肉声を辿って進みたいと思います。
No.17562 - 2007/05/12(Sat) 08:36:51

Re: 逍遥のエックス(20) / えり
ある方のご好意により鹿鳴館の楽屋に遊びに行かせて頂きました。
ステージは改装されたと思いますが楽屋は改装されたとは思えない雰囲気に感じました。
ここをXのメンバーが使っていたのかと思うと通路の壁さえいとおしく思えました。
もう、来る事が出来ない空間なのでチャンスと思いアチコチさわちゃいました(笑)
No.17564 - 2007/05/12(Sat) 10:28:45
こんばんは(*^_^*) / CasaBlanca [ Home ]
papaさんのレポ〜読ませて頂いていますよ。
感動したり〜感心したり〜悲しくなったり〜
寂しくなったり〜楽しくなったり〜
いろいろ私になりながら〜読んでいます。
papaさんに〜感謝(●^o^●)

PATAさんのLIVE〜もうすぐですね。
気温の差も大きくなっていますので〜
えりさん体調を整えて〜
遠征に備えてくださいね。
レモショに〜覗けそうですか?
新しいグッズが入荷しているといいですね。

和服の〜お手入れは大変ですよ。
着こなしが悪いのか〜すぐに袖とか襟元が〜
汚れてしまいます。
昔は〜母やお婆ちゃんが〜ベンジンで〜
汚れを落としていましたが〜
私は〜クリーニング屋さんの力を借りています。(笑)
えりさんも〜タンスの中を整理するのは〜
大変でしょうけど〜着物を眠りから目覚めさせて〜
いかがですか?

日曜日〜母の日ですね。(●^o^●)
明日〜お花屋さんを覗いてみようかと思っています。
きっと〜カーネションでいっぱいでしょうね。
青いカーネションも発売されているそうですよ。
青い薔薇も〜今年発売になるとか・・・
早く見てみたいですよね。
YOSHIKIさんに〜ピッタリのお花ですよね。
No.17561 - 2007/05/12(Sat) 00:17:38

Re: こんばんは(*^_^*) / えり
papaさんの逍遥のエックスを読んで頂いてありがとうございます(^^)
感想を聞かせて頂いて嬉しいです〜♪

そういえば我が家も和服を来た跡に母がベンジンで汚れを取っていました。
姉は和服を大事にするので土用干しと言うのか・・・夏に和服を部屋中に掛けておりますが、私には出来な〜い。

ラベルの付いてないビデオが2本出てきたので、先ず1本を再生してみたらXのLIVE映像だったんです。
何時の時かわかんない?
TAIJIさんがいて、PATAさんがメイクをしているので92年以前のものと思われ。
もちろんYOSHIKIさんは髪が長くTOSHIさんは髪を立てています。
MCでTOSHIさんが東京ドームと話しているのでドームの映像だと思うんだけど???
和服よりこちらの方が気になる困ったチャンです(>_<)

数日前よりカレンダーの13日の所にハナマルを書いて下に大きく母の日と書いたんだけど無視されています(泣!)

青い薔薇のイメージキャラクターはYOSHIKIさんがピッタリだと思うので遣ってくれないかしらねぇ。
No.17563 - 2007/05/12(Sat) 10:11:28
逍遥のエックス(20) / papa
4月10日第一回放送「NRN3」は「<少年時代の話(2)>*音楽をやるようになったきっかけの曲は? *なぜ選んだ楽器はギターだったのか? *最初にバンドを組んだのは?」となってる。問題を与えられての一瞬のひらめき、書きながらの創作で〜“答えを出す”っていうけれど、hideの過ごした年月(としつき)を、そんなもんでは、語れない〜。森田公一・トップギャランの「青春時代」のうろ覚え一節が頭をかすめる。
 では、自分の中のhideさん、どうぞ―“音楽って、どんな世代の人にも、年代に応じた形で存在しますよね。僕らだって物心ついたかつかないかの幼稚園時代から、お遊戯歌に始って、小学校の童謡や唱歌、中学校になって歌謡曲などに興味が走る訳ですよね。何か言葉の会話にはない心地よさというものがあるから、歌や音楽が存在し続けるんだろうと思うんですよね。意識はしないが、音楽って、つい口ずさむという心の共鳴ですか、そういう要求というのが誰にもあるように思うんですよね。小学生になると、テレビでみる漫画やキャラクター番組に触発されて、その主人公やヒーローにあこがれ出すと、威勢良く場面のクライマックスでは勇敢な感じの音楽が事態の好転をもたらして行く。音楽に乗って物語が解決されてゆくというストーリーに、私、hide少年も少なからず毒されて行く訳ですね。そういう音楽のなかで、一番かっこいい音楽というのが、個人の感性として出来上がってゆく。登校前によく聞いたビューティフル・サンデーもこれから学校に行くゾーというテーマソングになった訳で、自分の生活(物語)の登校の嫌悪感を取っ払う、物語解決ソングになるわけですよね。歌や音楽というのは、自分の心の問題解決の一翼をになってる。そんな所から、音楽に興味が湧きだすわけで、心地よい節やフレーズが心に住み着くと、友達に話したくなりますよね。KISSがいいと教えてくれた友達も、感動してその友人の、私hideに教えてくれたわけですよね。自分はそのときは、発展途上状態でその域には達していなかったが、あるとき暇をもてあました時、そのKISSをきいてみようかとなった時が、その域に達した時でもあって、運命の音楽的出会いとなった訳ですね。初めての衝撃は、バンドから流れる音のいくつかに惹かれるわけですが、ドラムやベースやギターやボーカルですね。で、私の場合、ギターの強烈な音が心に響いたんですかね。その時、ギターをやってみたいと思ったのは。別にベースでもドラムでもボーカルでも多少の反応は出来ていたと思うんですが、聞いた曲の伴奏がギターのフレーズが多くて、かっこいい ってなってしまったんでしょうね。そんなことからギターをやってみたいと、無意識の内にギター優位が決ってきたというわけです。で、さっきも話しましたが、ギブソン・レスポールはその機能のほとんどを発揮せずにペッペケペーだったわけですが、高校に入って、ペッペケペーの友人もいるわけですよ。まだ音楽仲間でもないんですが、つい口を付いて出るKISSとかの曲に、ペッペケペーの悲劇の中にある友人も反応するわけですよね。何かやってんの?とコンタクトが出来て、そしてギターやってる話になって、俺ギブソン・レスポール持ってやってんだーとなると、スゲエーとなって、俺の家に見に来たり、さわりに来たり、弾きに来たり、来ることが帰りの順路になってきて、じゃ何かバンドでもやろうかとなった訳ですね。バンドは高1ぐらいから意識し出して練習し出したんじゃないですかね。そんなバンド生成を後押しした曲、聞いて下さい”
 hideの答えは、答えは・・どうかな?『それで、その悲劇の中学時代を卒業しまして、やっとのことですね、高校生っていうのは文化祭もあって、でかいステージで、ギターなんぞ弾いて、そういう友達と巡り合えるかなあなんて思ってたら、入った学校が“エレキギター禁止”って生徒手帳に書いてありまして。何ということだー!と。このあと見渡すあとの三年間っていうのが、僕にはもう灰色に見えてしまったんですけども。
 僕は地元が横須賀なんですけども、“ドブ板ストリート”というのがございまして、そこはわりと米軍基地にほど近く、ミッドウェイとかがやって来て、異国情緒というか、「無頼漢」がそこらへん練り歩くような、ぶっそうなストリートだったんですけども。横須賀の、普通の良識ある家庭の親御さんたちとかっていうのは、「あんなところ行くんじゃない」「あんなところ行くと首を切られるぞ」とホントにいわれたんですよ、僕たちは。で、僕もやっぱり田舎の保守家庭に育った、保守的な子供だったので、昼間ぐらいしか通らないし、通ったとしても、走り抜けて行くぐらい(笑)。
 中学時代に、一人友達がいまして。横山という、今でも頑張ってる「ユナイテッド」というへビィメタル・バンドがいるんですけども、その彼が、別な高校でガンガン、バンドやり始めて、すごくうらやましく思ったんですけども、その関係で、別の高校の友達を紹介してもらったんです。で、その友達っていうのが、そのいちばんヤバイなって思ってた“ドブ板ストリート”のクラブのあたりで遊んでる奴で。で、そいつとバンドやらないか?みたいな話になったんで、そいつと会うためにそこのライブハウスに行ったんですよ。そこには僕のほかにあと4人いたんですけども、ヒゲは生えてるし、髪の毛はもう肩より長いし、なんかロンドンブーツ履いてるし、ベルボトムのロンドンブーツ履いてる松田優作みたいなヤツ出てくるし、どう考えても、僕と同じ年には見えなかったんですけども。なんだかんだいって、結局そいつらとバンドやることになりまして。で、そこの“ドブ板ストリート”って言うところに“ロックシティー”という、もう今ではないライブハウスなんですけども、そのライブハウスに出入りするようになって、バンド仲間が初めて出来たんです。本格的に・・・本格的にというか、バンドの形態で始ることができたのが高校2年か、3年ぐらいですね。その会ったバンド友達っていうのは、けっこうそういう感じで、その当時から革ジャン?革ジャン、ベルボトム、ロンドンブーツ?もうロックンローラーな格好してたんですよ。うーん、僕はそんなでもなかったんですけどね。
 で、まあだんだんそこに入りびたるようになっていくうちに――まだ僕太ってたんですけども――だんだんヤセていっちゃいまして。あのですね、たぶん今思うとですね・・・。たまに僕、実家に帰るんですけど、自分の実家の食卓に並ぶ食材を見て、わかりました、僕は。結局、食いすぎだって(笑)。
 やっぱり、そういう夜の街に遊びに行くようになると、必然的に家でゴハン食べる回数が減っていくんですよね。で、タバコとか買いたいから、親からお金もらってもそれをそっちに回したりとか、するようになって、なんかどんどんヤセてっちゃうんですよね。それで最初のステージっていうのがあるんですけども、そのバンドでわりと派手にいこうってのがあったんで。あの、「サーベルタイガー」って言うんですけども、えー僕がつけた名前じゃないんですけども。結局、なぜか僕が曲を作ったりしたので、僕がリーダーになってしまったんです、なんだかんだいいながら・・・。
 で、派手にいこうぜー!ということで、当時はですね、僕ぐらいの人たちは、パンクロックというよりは、へビィメタルなものとかアメリカン・ハードロックとかを志向していまして、あの・・“スパッツ”ですか? 今でこそロックショップとかに行くと“スパッツ”っていう細〜いピターっとしたレオタードですね、あれ売ってるんですけども、当時なくてですね、それが。あの・・“やっぱ、気合の入ったロックバンドはスパッツだろう!”ということになりまして(笑)。みんなで渋谷の「チャコット」に“レオタード”買いに行ったりとか(笑)。わりとオバハンの?あ、オバハンの洋品店にあるじゃないですか、商店街にある!あの安っちー、安売りのああいうところに行くと、意外にあったんですよ。黒の“レオタード”が。で、そこに買いに行ったんですよ。で、それぞれみんな試着してるんですよ。で、みんなそれぞれ、「あー、すげーロック〜!」とかって言ってるんですよ。で、僕、試着室入ったんだけど、まだデブの名残りがあって、太モモパンパンだったんですよね。で、ちょっと人に見せられなくて、そのまま「うーん、俺も大丈夫だって」って、それ買って帰って来たんですよ。で、最初のライブに日まで、僕はそれを部屋に飾って、それを指差して“はいてやるぞー!この・・・レオタード!”っていって、当日まで頑張ったんですよね。そこは、ちょっとの期間だけダイエットらしいことしましたけどね、うん。そんなときに、周りでそうやってロックを好きな友達とは、会えたんですけども、わりとパンクロックを聞く人が少ないのが、すごい当時は悲しかったんですけどね。
 当時、わりと自分の中ではアンセムだった、あの少年時代の心を奮いたたせてくれた曲、「ザ・クラッシュ」で『セイフ・ヨーロピアン・ホーム』。』

「ドブ板ストリート」は、行く前はドブが流れ、その上に板を張った通路があって、店が両脇に連なり、臭いもきつい所かと思っていましたが、行って見るとレンガを敷き詰めたきれいな通りで、まさに「ストリート」であったのですが、逆になんで「ドブ板」なのか不明でした。昔はそんなところも有ったのかも知れません。hideがだんだん痩せてゆく、生活もおかしい、お母さんが部屋に入ると、なぜかスパッツがかけてある、タバコの臭いもする。これは非行少年の仲間に入りかけてるんじゃないかと一悶着あったんじゃないでしょうか。いずれ家庭内不和が生じないはずはなく、バンド練習も夜に及ぶと帰宅が遅くなり、「何処に毎日行ってんの」と雷が落ちたはず。hideの行った学校は、有名な進学高校で、だからエレキギター禁止が生徒手帳に書かれたあるわけで、学業中心の高校生が塾でもないのに帰宅が遅いのは、親の目から見るとおかしいとなって、なにか悪い方向に入りかけてると心配したはず。すんなりライブを迎えられたはずがないと思いますが、そんな保守家庭の顛末の話があるのだろうか。その困難をどうhideは乗り越えたのだろうか、見てみたですね。
No.17557 - 2007/05/11(Fri) 08:37:19

Re: 逍遥のエックス(20) / えり
今でも学生に高価なギターを買う親は少ないように思います。理解のあるおばあちゃまがいらっしゃった事が幸運だっんでしょうね。
そうは言っても当時のどぶ板通りは今と違っていたと先日、NHKで放送していました。
ご両親の心痛は大きかったでしょうね。

この、困難をどう乗り越えられたのか。。。。聞いてみたいですね☆
No.17560 - 2007/05/11(Fri) 16:25:38
こんばんは(*^_^*) / CasaBlanca [ Home ]
今日は〜午後から雨と風がすごくなるって〜
予報でしたけど〜夕方に少しだけ〜
カミナリがなって雨が強く降りましたけど〜
たいした事が無くて〜良かったですよ。

呉服屋さんに寄ったら〜
お手ごろな値段の真綿紬の花結城があったので〜
買ってしまいましたよ。(●^o^●)

Gyaoでhide特集〜すごいですね。
「MISERY」「Beauty & Stupid」「ROCKET DIVE」
「ever free」「HURRY GO ROUND」の5曲も〜
見れて(●^o^●)
これで〜また新しいhideちゃんのファンが〜
沢山できそうですね。(^^♪
No.17556 - 2007/05/11(Fri) 00:03:04

Re: こんばんは(*^_^*) / えり
雷は怖いのですが家の周りに高層マンションが建っているのでこんな時は安心です。
高い所に落ちると聞くのと高層なので避雷針が有るので我が家よりそちらの方に行くと思うのですが、それでも雷が鳴っているときは怖い(>_<)
風が強いのでキャップが飛んじゃいそうになっちゃった(^^;

和服のお話を聞くと我が家の和ダンスを思い出して怖い!
いい加減に開けて中を見なきゃいけないんだけど。。。
母が嫁入りの時に持って来た和服も年代物だからと持たせてくれたのが有るのですが・・・中がどうなっているのでしょう???

無料でhideさんの映像と歌が聞けるので「はじめて聞いてファンになった」と言う方が増えてくれそう。
5月2日から配信をしていたのですが、知らなくて・・・教えて下さったお友達に感謝をしています。
PCを起動したら先ずはGyaoに行ってhideさんに曲を聴いてます(*^^*)
No.17559 - 2007/05/11(Fri) 16:05:38
Gyao hide 特集 / えり
お友達にメールで教えていただきました(^^)

Gyao hide 特集

今もなお語り継がれる伝説のロック・ミュージシャンhide!
数多くのミュージシャンに大きな影響を残したhide。2007年5月2日には、毎年恒例の「hide Memorial Day」が開催されます。そんな記念日に合わせて、再びリリースされたhideのシングル5曲の映像と曲が聴けちゃいます☆

詳しくは↓へ
http://www.gyao.jp/sityou/catelist/pac_id/pac0004754/

「MISERY」「Beauty & Stupid」「ROCKET DIVE」 「ever free」「HURRY GO ROUND」以上の5曲です(o^-^o)
No.17554 - 2007/05/10(Thu) 11:47:26
逍遥のエックス(19) / papa
4月10日第1回放送の台本「NRN2」は「<少年時代の話(1)>*最初に買ったレコードは? *自分のお小遣いで?」となってる。番組は本来、入念な打ち合わせをして構成するもの という常識から遠く離れて、この「ヒデのオールナイトニッポンR」は、番組ディレクター節丸雅矛氏のよれば「ちゃんと話したのは、オールナイトニッポンR」のロスでの収録が初めてだったんです。とにかくハガキもないところから始めたので、話の内容をどうするか話し合ってるうち、『番組を通じて、誰かが押し上げなければ世に出ないような、いい音楽を広めてあげたい』というヒデさんの言葉に同感したので、そういう番組を目指してスタートしました」(あとがき)という、何も決ってない所から始ったらしい。したがって台本もあるようなないような、とにかくhideのしゃべりで番組が埋ってゆけばOKという感じ。台本=「問題」に真っ向反応する必要はなく、「NRN1」の続きで自分がhideになって話を出せば・・          “ヂルチでした。このバンドはですね、私が今後、アメリカのミュジックシーンに打って出ようかというかくし玉でして、アメリカではまだ無名のバンドです。かつてX-JAPANも世界制覇を狙ってですね、アメリカに渡った訳ですが、音楽の壁は何とか打ち破れるように思われたのですが、言葉の壁が、如何せん、大変厚うざいまして、これでなかなか壁を乗り超えるまでには行きませんでした。そこでhide流壁の克服を画策したという按配なんですね。言葉には一つの国にもいろいろな方言があろうかと思うわけです。日本で言う標準語が国の、ここではアメリカの通用語なら、テキサスなまり、西海岸なまりというのが、たぶん在ろうかと思います。要するに言葉は完璧でなくてもいい。一地方の方言で歌ったっていい、主眼は音楽の方に力点を置いていけばいい。吉幾三の方言の歌のようにアメリカ版方言の歌でいい。言葉は二の次にして、斬新な音楽、見た目のビジュアル、全体でかもし出す雰囲気で勝負しようかと思っている訳です。日本のファンが僕の音楽に大勢賛同してくれてることで、世界共通の音楽を通せば、必ずアメリカの若者達にもヨーロッパやその他世界中の若者達にも、僕の音楽が通じるんじゃないかと、無謀にも錯覚を大いにして攻め込んで行こうかと考えてる次第なんです。ヂルチはその戦力、ミクロマンなんですね。ミクロマンの基地はLAに設けまして、あらゆる国の若者の心をターゲットに、狙い撃ちしてゆこうかと思ってる訳でありまして、日本には世界ツアーの中に組み込んだ形で、海外渡りで登場しようかと。中学生のころ、始めて見たKISSの異様な音楽やコスチューム、あの気分が悪くなった部分をえぐり出して、今度は自分がさらにさらに増幅させてインパクトを与えててゆく。小遣いで買ったKISSのレコードの何弾めかのアルバムのように、KISSの印象がそんまま自分のイメージに大きく合致したように、みんなの心にhideの音楽の一歩進んだ進行形の大胆な音楽をいつか届けられるように、ここLAから出発しようかと思ってる訳で、ではここで音楽を1曲。”
 hideの『回答』はどうかな。『そんな不遇な(笑)少年時代、中学時代を過ごした私なんですけども、最初にロックンロールとして出会ったのは「KISS」なんです。けども、単純に音楽として初めて買ったレコードっていうもにはですね、当時小学6年だか中学1年ぐらいのときの朝、“おはようセブンオー”という番組がありまして、ケンケンが――“見城美恵子さん”でしたっけ?――ケンケンがアフリカだとかいろんなところに行くテレビが異常に流行ってたんですよね。で、それを見てから学校に行くっていうのが通例だったんですけども、そのときのテーマソングってので「ビューティフル・サンデー」という曲がございまして。その曲・・・もう音楽が云々っていうよりも「泳げたいやきくん」ぐらい社会現象的な感じで?買いましたよね。やっぱ、それだけ売れたということもございましてですね、ホントに僕が買いたかったのは“ダニエル・ブーン”という人の「ビューティフル・サンデー」という英語のヤツだったんですけど、僕、買ったら、いきなり♪さわやかな 太陽♪って・・・。“あれ〜っ!”とかって思って、何か違うレコードになってしまったんですよ。それが、あの田中星児さんバージョンだったんだなあ・・(苦笑)。で、仕方がないから、“ダニエル・ブーン・バージョン”・・・あの、「ビューティフル・サンデー」に関してはですね、家族ぐるみで欲しがってたので、田中星児で失敗しても、ダニエル・ブーンをもう一度、親が買ってくれたという。そして何でか知らないけど、このあと“トランザム・バージョン”と、3つのバージョンがうちの実家には、今でも眠っているという(笑)。   えっと確かねぇ、アレンジはほとんどいっしょだったと思うんですけど、「トランザム」さんはやっぱりバンドだから、バンド・バージョンだったかなあ・・・。今思うと、もう1回聞いて見たいなぁと思うんですけど、で、これ聞くんですよね? このレコード、誰のバージョンがいいですかねえ(笑)。もう夜中で朝近いということで、それでは田中星児さんバージョンで、『ビューティフル・サンデー』。
 で、そういう感じでギターをおばあちゃんに買ってもらって、ギブソン・レスポールを手に入れたんですけども。今でこそギターが、あーいう歪んだ豪快なワイルドな音が出るっていうのはエフェクターっていうのがあってこそなんですけども、当時はそんな知識もなくて。僕は明星の歌本でコードを覚えたんですよね。明星の歌本っていうのは、当時のヒット曲がダーッって書いてありまして、それで下にコードが、マメに全部使うコードっていうのが書いてありまして、それを見ながら、歌いながらコードを覚えていったんです。でも、なぜかそれってフォークギター仕様なので、すべて“ローコード”っていう簡単なコードで書いてあるんですよ。で、ロックロールのコードっていうのは“パワーコード”っていって、指2本か3本くらいでガーッと出すコードなんですけどね。   
 で、僕それわからなくて、“きっとうまい人が弾くと、「ディープ・パープル」の『スモーク・オン・ザ・ウォーター』のリフとか、あーいうすごいもの弾けるんだ”とばっかり思って必死にジャカジャカ。だからイルカとかなんかのとか、“♪時間よ止まれ〜”とか矢沢さんとかそういうのを歌って、ローコードを覚えていったんですよね。それがそれで、けっこう長く続くんですよ。んで中学時代はその“ギブソン・レスポール”を持ちながら、歌謡ヒットパレードを歌う男だったんですよね。で、そのうちに「KISS」とか、「パープル」とか「ツェッペリン」とか弾けるようになるんだと錯覚していたんですよね。コピーはそれでも、『ヤングギター』とかっていう雑誌があったんで、そういうのを見ながら(コード)押さえてはいるんですけど、歪まないんですよね。そう、エフェクター持ってないから(笑)。ペケッペケッペケッっていうんですよ。だから「スモーク・オン・ザ・ウォーター」やるときは、♪ペッペケペー、ペッペケペー♪っていってしまうんですよね(笑)。だからだから“きっとうまくなると、ああいう音になるんだ”とずーっとおもってたんですよね。
 アンプは持ってたんですよ。でも、優秀なアンプみたいにガーッて歪まないんですよ。だからもうペッペケペーなんですよ。ベンチャーズみたいな音だから。ペッペケペーっていう・・・ずっとペッペケペーでやってて。ある日、夜うるさいからってヘッドホンでやってたんですよ。で、ヘッドホンをほったらかしにしといて、そしたらなんか自分の部屋からグオーッて音が聞こえんですよ。あれ?レコードかけっぱなしなのかなって戻ったら、そのヘッドホンからもれてる音が歪んでたんですよ。で、僕は、“アッ!これなんだ!”って思って。“あ、みんなこうしてるんだ!ジミー・ペイジも、リッチー・ブラックモアもエース・フレーリーもみんなこうしてるんだ!”と思って、ずーとヘッドホンで大音量・・・ていうか大音量は出ないんですけど・・・。で、それから僕はアンプを買い替えないで、ヘッドホンを5つも6つもつぶして(笑)。そう、どんどん壊れていっちゃんですよ、ヘッドホンは。そうなんですよね・・・。だから、そういう楽器友達がいないというのは、こういう悲劇を生んでいくのですね(笑)。エフェクターに気づいたのは、高校入る直前ぐらいですかね(照笑)。やっぱりそれでも、みんな楽器やってるヤツと情報交換するようになってからですよね。で、そういう不遇時代というか、そういう悲劇の中で弾きたかった曲に、あの「KISS」・・・やっぱり「KISS」が弾きたかったんですけども。「KISS」って明るめの曲がすごく有名なんですけども、次かけたい曲っていうのは、“女呼んでポン!”みたいな曲が多い「KISS」の中ではわりとダークで、“盲目の老人が15歳の少女を犯す”みたいな、けっこうその当時からしては文学的な詞だなあ、と子供心に思った曲なんです。「KISS」のセカンドから『ゴーイン・ブラインド』』
 全然当たりませんね。少年時代の話ということを忘れたからかな。問題をよく読まないと的外ればっかり。KISSに薫陶を受けたhideの音楽が、明るい音楽になったのは、『KISSって明るめの曲がすごく有名なんですけども・・』という話の中に在るように感じました。明るい曲が自分も気分がよく気持ちがなごんだ経験があったからでしょうか。それにギター、知らないでうまくなると信じて、一生懸命原始的な動作を繰り返す。誰にも経験がありますね。そういう誰にでもある馬鹿みたいな話をしてくれたのは、さらに親近感が湧きますね。なんだか勇気が出ます。自分にもできるんじゃないかという勘違いを起こさせてくれますね。
No.17551 - 2007/05/10(Thu) 00:13:49

Re: 逍遥のエックス(19) / えり
x japanは言葉の壁が厚かったので世界デビューは出来なかったけど、ヴォーカルなしのインストでデビューすれば曲の素晴らしさは何処の国の方にもわかって頂けたんじゃないかと思うと残念です☆

hideさんの曲を聴くと落ち込んだ気持ちが「頑張ろう!」と明るくなれるのはhideさんの天性の明るさから来るのかも〜☆彡
No.17553 - 2007/05/10(Thu) 11:38:45
こんばんは(*^_^*) / CasaBlanca [ Home ]
今日は〜暑かったですね。
庭のお花も〜水が恋しいらしいので〜
水をいっぱいあげましたよ。

hideちゃんのお墓に〜沢山のファンの皆さんが〜
訪れて良かったですね。(●^o^●)
hideちゃんも〜天国で喜んでいると思います。
ファンの皆さんが献花したお花を〜
一本一本丁重に生けてくださった〜
ご両親さんには〜深謝の思いでいっぱいです。
大島さんもお墓参りに行かれたなんて〜
なんか嬉しくなりますよね。(^^♪

肌がデリケートですと〜お化粧品を選ぶのも〜
大変ですよね。
私も〜強いほうでないので〜
刺激の少ないのを選んで使っています。
日焼け止めクリームというかローションは〜
Kaneboのアリィーを使っていますが〜
とてもいいので〜えりさんもいかがですか?
お互いに〜紫外線には気をつけましょうね。
No.17550 - 2007/05/09(Wed) 23:43:17

Re: こんばんは(*^_^*) / えり
昨日は本当に暑かったですね。
大阪でも30度を超えたとかで真夏日になっちゃいました(^^;
朝晩、お水を遣らなきゃいけない季節になりました(o^-^o)

命日のお墓参りが落ち着いたので5日に行かれたんでしょうね。
お墓を掃除してお花の痛んだのを取り替えて下さっているので何時行っても綺麗なお墓に思いお参りさせて頂けるのは嬉しいです。
いつもお掃除をしてくださるご両親に感謝!!!

普段は余りメイクをしないんです。
出来るだけ肌を休ませて皮膚科の先生がお勧めの日焼け止めくらいかな。
最近は天気予報で紫外線の強さを教えてくれるので助かっちゃいますね☆彡
No.17552 - 2007/05/10(Thu) 11:27:44
TAIJI&大島暁美さん / えり
・TAIJI
TAIJIさんの公式HPのT-Blogに5月9日に{天国の貴方へ」とhideさんへのメッセージがUPをされています☆
詳しくは↓へ
http://www.taiji-sawada.com/

・大島暁美
「大島暁美のロックンロール日記」が5月9日に更新されてhideさんの事が掲載!
5月5日に三浦霊園に行かれたら偶然、ご両親に会われて命日には1500人もの方が訪れたと話しておられたそうです☆
詳しくは↓へ
http://www.esp.ac.jp/oshima/rr_diary/2007/0705.html

永遠に愛され続けるhideさんですね(*^^*)
No.17548 - 2007/05/09(Wed) 17:04:55
逍遥のエックス(18) / papa
4月10日の第一回放送「冒頭」の次は、台本は「NRN1」となっていて、これは『ピンクスパイダー』の曲がかかった次の話の時間、すなわちナレーションの略かと思われます。台本NRN1の項目は「自己紹介〜アイドル風に? *好きな食べ物、動物、 〜など笑わせながら新人のように *現在の活動のこと *最近した失敗談など、」となっている。自分がhideならどう話すか。では“最新シングル、来月13日発売の『ピンクスパイダー』でした。蝶の羽を借りて、大空を目指したが、借り物の羽がうまく動かず、落下するという、だだそんな話なんでございまして、横須賀辺りでは、まだ田舎でございまして、クモや蝶がちょっと車を走らすとその辺におられるのでございます。動物は、一般に好きでして、出身地の横須賀では子供の頃、昆虫や魚、犬猫など飼っておりましたが、飼うのは好きなんですが世話をするのが、これが大変なんですね。世話が続かなくなると大空や川に戻してあげる。誰の餌にもならず、自由に暮らせよと声をかけるんですね。犬猫は逃がすと、ご近所迷惑になるということで、これはただ飯を食む食客となって行くわけで、私も中高校と勉強を第二にしまして、親から見ればただ飯食いに見えたかと思いますが、同類相憐れむの徒食人となって同居していたわけであります。それがなんと、徒食の同居を飛び出して、羽を借りたわけでもないですが、現在はロスにいるわけで、日々レコーディングに邁進しております。スタジオに昼に入って、ずーっとぶっ通しで、深夜の2時3時まで、あれやこれやと曲作りになる訳で、毎日これを繰り返すと、まず曜日が分からなくなって来るんですね、次に今日の日付が分からなくなる。そうするととんでもない失敗が起こってくるわけですね。突然スタジオに電話がかかってくるわけです。約束の時間に待ち合わせ場所に来たが、一向にhideさんが来ないんで、電話しました とかかって来るわけです。約束は覚えてるんですが、肝心の日時が狂ってしまってるので、自分では約束のない日になってるので、仕事をしてるということですね。記憶が飛ぶのは、仕事のせいばかりじゃなく好きなお酒のせいもあるかと、思っているこの頃です。それでは次の曲・・”。hideの答え『今夜から始ったヒデの「オールナイトニッポンR」。私はいったいどんな人間なのか、みなさん、お聞きになっているドライバーのみなさんとかも、思ってらっしゃるかと思うんで、自己紹介から始めたいと思います。えっと本名、松本秀人(笑)。えーとですね、現在は30なにがし・・・。で、本業はですね、ギタリストなんですけれども、もともと所属してました「X-JAPAN」というバンドから離れましたので、歌なんぞも歌っておりましてですね、曲なんぞも作っております。で、ですね、どのような音楽趣味かといいますと、基本的に、世界でいわれているジャンルというものは別に・・・何も気にしないんです。けども、もともとはですね、やっぱり洋楽育ちといいますか、この英語圏ではない国で育った洋楽ファンですね。  もともとは「KISS」が好きであったりとかっていうところからわりとロックンロールに目覚めまして。で、そのロックの目覚めのころっていうのはですね、私、今では人前に立って踊ったり歌ったりギター弾いたり、平気でしてるんですけれども、子供時代、ロックに目覚める前後はですね−、とてもとてもお見せはできないような、いわゆる“肥満児”でして。体脂肪率何パーセントだか知りませんけども、学校とかで、「お前、太り過ぎだから走れ!」っつって、メシ食ったあと無理やり、走らせられてしまうような“肥満児”ですね。絵に書いたような肥満児でして、で、別に勉強がスゲーできたワケでもなくて、なんてことない学生時代だったような気も・・・。中学生のある日に、友達の家で「KISS」聞かせられたんですけれども、最初はその「KISS」の毒々しいメイク――「KISS」って血吐いたり、火噴いたりするバンドなんですけど――その「KISS」のルックスが、どうしても何か気味が悪くて聞けなかったんです。けども、しばらく録ってもらったカセットテープを家にほったらかしといて、“暇だから・・・”と思って、そのほったらかにしておいたテープを聞いて、「何じゃこりゃー」ということになりまして・・・。それまではオモチャですとか、何かそういう形のあるものとか、プラモデルとかにしか興味を持たなかったんですけども、初めて、その形のない“音楽”っつーものに、何かこう雷を打たれまして、「あっ!僕はロックンロールをするために生まれてきたんだー」と勘違いしてしまいまして、そこから私のロックンロール人生が始ってしまったワケなんですけど。
   で、そうこうしているうちにやっぱり、そんなデブな松本もですね、いつしか「KISS」のビデオとかも見るようになり、「KISS」に心底入れ込んでって、ファンクラブにも入って。ファンクラブの申込書を書いたら、いつまでたっても会報がこないんで、毎日、郵便屋さん追っかけていたような(笑)日々が続くんですけども、それで、どんどんどんどん入れ込んでいって。「KISS」っていうのは、「ローリング・ストーンズ」や「ヤードバーズ」とか、そういうバンドから継承したグラムロックなんだということを知り、そして「Tレックス」などを知り、同時に、そのころ押し寄せてきた“パンクロック”にやっぱり雷を打たれていくのです。   それで、何だかんだいって、ビデオとかいろんなもの見ていくうちに、“自分でもギターを弾いてみたい”なんていう、無謀なことをだんだん思い始めまして。「KISS」に合わせてですね、部屋の中でラケット――その当時、私、テニス部なんぞ所属しておりまして、デブのくせに(笑)――ラケットもって、ガシャガシャ弾いてる真似をしてて、お母さんが急に入って来て恥ずかしい思いをしたことが数え切れず。そして、その、・・・そんな感じで、過ごしていたんですけれども。   で、どうしてもギターが欲しくなりまして、えー、おばあちゃんに・・・。そのころ僕、すごいおばあちゃん子だったんですけど、おばあちゃんは、何でも買ってくれたんですよ。その当時に流行ってたミクロマンとか、ミクロマンの基地とか買ってくれましたし、うちの父さんとか母さんは絶対ミクロマンの基地とか買ってくれなかったんですよね。あの超合金とか、超合金マジンガーとかも、全部おばあちゃんのところに行って買ってもらったんですけれども。そのおばあちゃんにやっぱり中学3年のときに泣きつきまして、「おばあちゃん、ギブソン・レスポール欲しいよ」といったんですよ(笑)。そしたら、おばあちゃんが――おばあちゃん当時、米軍基地の中で働いていたんですけど。働いてたっていうか、出入りができたんですけどね。おばあちゃんもともと美容師なんですけども、そのおばあちゃんが米軍基地の中で、買って来てくれたんですよね。なんとこともあろうに、中学生の私に“ギブソン・レスポール”のデラックスを!いくらかはね、ちょっとわかんないんですけど、当時の僕の感覚からしたら、何だかよくわかんないけど“カウンタック”買ったような感じですよね。んで、田舎の街だし、田舎の学校だし、田舎の子供だから、“ギブソン・レスポールが来た”ってことはすごいことで。たぶんギブソン・レスポールは僕の町には1本しかなかったと思うんですよ(照笑)。で、そんなに友達とかすごいたくさんいた中学生じゃなかったんですけども、その日からすごいですよ。もう隣町からみんな来ますもん。僕のギブソン・レスポールを見に!で、見るだけなんですけどね。だって、僕弾けないんですもん。まだ、何も弾けないのに(笑い)。弾けないんですけど・・・毎日もう、とめどもなくいろんな人がやって来たりとか、年上の高校生とかがやって来たり・・・。玄関に来て、それでそのたんびに見せて、「弾いてもいいか?」っつったら、「あー、どうぞどうぞ」っつって、「何か弾いてくれ」っていわれると、いちばん困ったんですけどね。  で、そんなこんなしてるうちにはですね、中学も卒業して。その当時はやっぱりバンドできなかったんですよね。やってる人も少なかったっていうこともありまして・・・。えーと、そんな暗い暗い中学時代でした。そんな私も、幸せにバンド活動ができるようになることを望んでました(笑)。私が今、LAでやっているバンドで「ヂルチ」っていうのがあるんですけど、それの曲を聞いて下さい。「ヂルチ」で『エレクトリック・キューカンバー』』。
 自己紹介するの、自分は忘れましたね。ラジオの前でやるとなると、やっぱ上がってしまいますね。それに台本とは話は違いましたね。この方がもちろんいいんですが、好きな食べ物、動物、失敗談・・はなかった。失敗談はギブソンの、弾けないのに見せびらかしたようなあたりかな。それにしても子供に対する教育の一面、考えられますね。おばあちゃんがいてhideが存在した。けちけちしていたら大きな人間は育ちませんね。子供がびっくりするような価値あるものを、子供の欲しい時に買い与える、このタイミングですね。
No.17544 - 2007/05/09(Wed) 08:52:17

Re: 逍遥のエックス(18) / えり
X時代のhideさんを見ているととても肥満児とは思えないほど細い〜!
おばちゃんの理解で高価なギターを手にすることが出来たのがhideさんの伝説の始まりかも。
デビュー当時に着ていたサリーもおばあちゃんから貰ったとか。。。
よく似合って着こなすhideさんは凄いです(o^-^o)
No.17547 - 2007/05/09(Wed) 16:55:56
こんばんは(^^♪ / CasaBlanca [ Home ]
今日も〜暑かったですよ。
薔薇の蕾も大きくなってきて〜
そろそろ消毒もしないといけないし〜
雑草も取らないといけないので〜
これからは〜日焼け止めが無いと〜
外に出れない季節になりましたね。

papaさんのレポ・・・・
読んでいると〜昔のことを〜
いろいろ思い出しますよ。
Xのこと〜hideちゃんのこと〜
そして〜昔の自分のこと・・・
papaさん〜ありがとうございます。
No.17543 - 2007/05/09(Wed) 05:55:07

Re: こんばんは(^^♪ / えり
今日も朝から暑い〜ですが天気のいいほうが植え替えとかがスムーズに出来るので嬉しいです☆
日焼け止めを買って来たんですが肌が弱いので普通のが使えないので困っています(^^;
紫の薔薇の花が咲き出したのですがYOSHIKIさんの薔薇は未だ見たいなのですがこちらの方は気長に待ってみようと思います。

大島さんのHPが更新されていました。
5月5日にお墓参りに行かれたそうですが、偶然お墓でhideさんのご両親を会われて1500人ものファンの方がお墓にお参りをして下さったと喜んでおられたそうです。
何年過ぎてもファンに愛され続けるhideさんです(o^-^o)

papaさんのレポを読んで頂いてありがとうございます〜☆☆☆
No.17546 - 2007/05/09(Wed) 16:40:50
その4 / 鴉羽
マドビ終了後、

頭上のスクリーンにはhideちゃんが登場☆

「MISCAST」のPVが流れる。

HIDEの部屋の映像は、いつ観ても惚れ惚れするなぁ☆


続いてALIVESTの「TELL ME」

映像のテープ発射に合わせて、こちらでも金銀テープ発射!!!

っでも始めに入った時から、発射の筒見つけてて
こうなるって分かってたの(笑)

だから映像のテープが飛ぶ瞬間、ステージ横の筒に注目。


もうさぁ、ニコニコしながら歌ってるhideちゃん観てると、
自然と笑顔になって、えも言えぬ幸福感が♪

大好きだよ☆☆☆

続いて「MISERY」

またまた入場から気になっていた頭上のロゴ入り風船は、
MISERYのパラシュートが落ちてくるのに合わせて落下。

でも下手分しか落ちずに失敗(笑)

最前までは風船来ないの(泣)


そしてそして、幕が上がると出演者が勢ぞろい☆

チロがセクシーポーズしてた(笑)

一バンドづつ紹介してたんだけど、

SHAMEの時にアニィーだけ一歩前に出て挨拶してたのが可愛かった☆


今回は裕士コールなかった。
ってか出来なかった。

何故なら我らが館長は呼ばれる前に出てきちゃったから(笑)

そこは呼ばれるまで待っててよ(笑)

今回のコールは「咲き」ながら語尾あげでしようかと話してたのに(爆)


でね!でね!みんながはけ始めたとき、
JESSEがセンターの子とステージから握手してて、
その勢いでステージから降りてきた!!!!

で下手側に移動しながら、みんなと握手してくれてて、

僕ともガッチリ握手!!!!!!!!!!

握手よりもっと凄かった☆


しっかりこっちの目を見てくれて・・・。


黒くてとても綺麗な目だった。

見つめているとそのまま吸い込まれそうなぐらい。


まるで純粋な少年のよう。

少年の心を忘れてないんだ☆

hideちゃんがいつも15才の松本少年と対話しながら
ロックしてたみたいに。

そんな大人、もとい、「こどな」になりたい。


ライヴ終了後、ゴミ拾いしながら風船をゲットしようと奮闘。


なんとかひとつだけゲットした☆

あれはライヴ中にちゃんと落下してたらあんな騒ぎにならなかったのに。

そこは主催者側のミスだと思います。






最後になりましたが、今年もありがと☆hideちゃん♪
No.17516 - 2007/05/07(Mon) 10:24:29

Re: その4 / えり
詳しいレポをありがとうございます(^^)

許可を頂けるのでしたらreportにUPしたいと思いますのでよろしくお願いいたしますm(__)m
お返事を待っておりますm(__)mm(__)mm(__)m
No.17521 - 2007/05/07(Mon) 16:18:23

Re: その4 / 鴉羽
こちらこそUPしていただけるなんて光栄です☆

どうぞご自由に♪
No.17524 - 2007/05/07(Mon) 17:42:42

\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/ / CasaBlanca [ Home ]
鴉羽さん〜読ませていただいていますよ。
素晴らしいレポ〜ありがとうございます。
No.17526 - 2007/05/07(Mon) 22:00:43

Re: その4 / 那托
鴉羽さん、レポありがとうございますm(__)m
行けなかった私にとって、メモデーの詳細がわかりとても嬉しいです。
今年も大盛り上がりだったみたいで良かったです☆
ありがとうございました!
No.17530 - 2007/05/08(Tue) 10:34:27

Re: その4 / えり
>鴉羽さん
ありがとうございます。
さっそく、UPをさせていただきましたm(__)m
快く承諾をして頂きまして感謝をしております。
今後ともよろしくお願いいたしますm(__)mm(__)mm(__)m

>CasaBlancaさん
本当にすばらしいレポを書いてくださったので、読んでいると楽しくなっちゃいますね。

>那托さん
亡くなって9年目の春を迎えるhideちゃんのイベントが大盛り上がりが嬉しいです。
これからも、続けていただきたいイベントですね〜☆
No.17536 - 2007/05/08(Tue) 16:22:21

Re: その4 / papa
鴉羽さん、詳細なレポ、本当にありがとうございました。
メモデー、何年か参加してきましたが、今年から大事(事故でも起こして追悼コンサートやVUK、X再結成を待たず、消滅できませんので)をとってやむなく欠席することとしました。当方にとって、この連休は1年で一番忙しい時。毎年、メモデーの行事終了後、徹夜で大阪に帰阪、すぐに三重に行ってぶっ通しの仕事。連休の交通渋滞のラッシュをかいくぐるため、東京→大阪→三重は、非常に厳しい運転になりましたし、あくる日の1日中の仕事も楽なことではないので、もう今年からはメモデーは、残念ながら参加不可能かと思います。メモデーのレポは、この後もよろしくお願い致します。前回お願いいたしましたレモショの最新情報も、お店に行かれましたら、よろしくお願い致します。当方も元気が出るような事やってみたいと思い、取り組み中です。
No.17539 - 2007/05/08(Tue) 16:45:07

Re: その4 / えり
安全第一!
連休で道路が渋滞するし運転も大変だもんねぇ。
無理をしないで気長にVUKのデビューを待ちましょう。
でも、13回忌の時は参加しましょうね〜☆

その頃にはXのメンバーが全員、イベントに参加をしてくれたら嬉しいですね(o^-^o)
No.17545 - 2007/05/09(Wed) 16:20:53
爆発寸前NIGHT 2007 / えり
鴉羽さん 教えて頂きましてありがとうございます(^^)

爆発寸前NIGHT 2007
hide & X 限定 開催決定
  ●公演日:2007年7月7日(土曜日)
  ●OPEN:16:00 START:17:00
  ●会場:西九条BRAND NEW
  ●料金:前売り ¥1500円 当日¥1800円

  詳細は↓へ
 http://www.roxite.jp/night.html

5/21(月)から5/31(木)までの期間限定で、チケット予約を先行で受け付けます☆
No.17541 - 2007/05/08(Tue) 16:56:00
hide Memorial Day2007 / えり
鴉羽さんが書いてくださった「hide Memorial Day2007」のレポをREPORTにUPをさせて頂きました☆

詳しくは↓へ
http://www.eonet.ne.jp/~xjapan/report/report-3/report-3-24.htm

凄く詳しく書いてくださっています(o^-^o)
No.17540 - 2007/05/08(Tue) 16:48:02
逍遥のエックス / えり
逍遥のエックス(11)〜逍遥のエックス(15)をreportにUPしました(^^)
詳細は↓へ
http://www.eonet.ne.jp/~xjapan/report8.htm

hideさんの最初のお墓がわからなくて、三浦半島にある霊園だけを頼りに大阪から始めて三浦半島に行ったけど運良くhideさんのお墓が見つかり北海道からのファンの方との出会い。。。

良かったら読んで見てくださいね〜☆
No.17522 - 2007/05/07(Mon) 16:26:20

Re: 逍遥のエックス / 那托
居ても立ってもいられない思い・・・
たどり着いたものの、突きつけられた現実・・・
その瞬間のえりさん&papaさんの胸中は、計り知れません。。。

北海道の女性の方には頭が下がる思いです。
私はhideちゃんのお墓参りの時は、お花を供えてhideちゃんとお話して・・・
要するに自分が納得すればそれでOKという浅はかな考えだったんだと思い知らされました・・・
今どうされているのでしょうね〜。
No.17532 - 2007/05/08(Tue) 11:00:35

Re: 逍遥のエックス / えり
TVでhideさんのお墓が映った時に行きたいと思ったけど、大阪からでは何処にあるわからないので、お墓に行けなくても近くの三浦半島に行ければ良いと思って出発をしました。

北海道の方はネットを遣っておられないのでお手紙を交換していたのですが、引越しをされて連絡が取れなくなりました。
今も、元気で過ごしておられる事を願っておりますm(__)m
No.17538 - 2007/05/08(Tue) 16:42:25
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